第五話 早朝の紅茶と
ロアムさんが久しぶりに店に顔を出した、翌日。
昨晩は比較的早くに店を閉めて眠ってしまったので、今朝はいつもよりも早く──早朝六時半に目を覚ました。ベッドから下りてカーテンを開けば、まだ昇りきっていない日の光が差し込み、眠気ですっきりしていない頭を一気に覚醒させる。
やっぱり、夏の早朝は気持ちがいい。昼間と違って心地いいくらいに涼しいし、寒くてベッドから出ることができない、なんてこともない。一年の中で、一番起床が辛くない季節だね。
一度大きく伸びをした後、僕は洗面所に向かい、桶に水を溜めて顔を洗う。水滴に塗れた顔を白いタオルで拭い、ふと鏡に視界を入れて溜息を吐いた。
鏡の中にいたのは、いつも通りの僕だ。
冒険者をしていたのにも関わらず華奢で鎖骨が浮き出ており、更には生まれつきの女顔。しかも、藍色の髪が肩口まで伸びているので余計に性別が逆転して見える。青い双眸の形は丸く、睨んでも全く怖くない。
一度髪を短く切ろうかと思ったのだけど、ミレアーナさんを筆頭に多くの人から却下され、泣く泣く断念した経緯があるんだ。僕の髪型を僕が決めるのは当然なんだけど、あの時は周囲からの圧力に屈するしかなかった。皆、怖かったからねぇ……。
「……ちょっと散歩でも行こうかな」
ティーカップの中に入った淹れたての紅茶を飲みながら、寝間着から外着に着替えた僕は室内よりも冷えた空気の広がる外へと出た。
僕が寝起きしている家は、喫茶店の裏手にある小屋だ。生活に必要なものは全て揃っており、一人で暮らすには少々大きいのではないか? という程。事実部屋は二つ程余っており、そこは現在倉庫として活用されているわけである。まぁ、この島には僕以外に人間がいないし、皆各々の家があるので、今更他に使う人なんて出てくるわけない。そもそも誰か来てしまったら、僕から一人の時間が消えてしまう。それは流石に勘弁してほしいな。
夏の早朝にする散歩は、これまた格別。
植物に囲まれた新鮮で綺麗な空気を肺の隅々まで取り込んで吐き出せば、それだけで気分がリフレッシュされる。葉に付着した朝露は陽光を反射して輝いており、その光景を見ながら飲む紅茶は別格の美味さだ。
今この瞬間、僕はこの島に来てよかったと心の底から思う。こんなに自由で開放的、尚且つ人間関係に悩まされない生活は、元の街にいたら絶対にできなかった。毎日何処かから聞こえてくる怒号に苛立ち、ギルドに行けば女が来るところじゃないと絡まれ、清潔とは言えない環境下で魔獣の討伐や素材の調達に行かなければならない。
今考えれば、よくあんな生活を何年も続けてこれたなと思うね。どうやらあの時の僕は狂っていたらしい。それが普通なんだと思っていたことに、ちょっと恐怖を覚えるよ。
でもまぁ、今はそんな生活とはおさらばしたわけだし、考えてもしょうがないけどね。
喫茶店の裏手に広がる草原を、僕はティーカップを持ったまま歩き進む。陽光でキラキラと輝く草の海を突き進むのは、童心に帰るというか、何とも言えない楽しさがある。
このままずっと歩き続けてみようかな、なんてことを考えて時、僕は前方にとあるものを見つけて足を止めた。
「あれは……」
目を凝らして見つけたものを注視する。
そこにあったのは、小さな花畑だった。いや、花畑という程の規模はないのだけど、青々とした草が広がる中、その一点だけ、色とりどりの花が芽吹いているのである。いや、芽吹くとかそういうレベルじゃないな。完全に開花してるわ。
何とも奇妙な光景なのだが、僕は内心でもしや……という疑念を抱き、朝日を浴びて咲き誇る花々の元へと歩く。
そしてそこを覗き込み、やっぱりか、と笑った。
「今日はこんなところで寝てたのか、チルシー」
綺麗な花々の上には、一人の少女が横たわり眠っていた。
まだ七歳か八歳か、そこいらの歳に見える幼い容姿に、長く艶やかな桃色の髪が風に吹かれて揺れている。花をモチーフにしたかのような衣装を纏う少女は、僕にはとても見覚えのあるものだった。
「おーい、風邪ひく……かどうかはわからないが、ここで寝てたらシルフのお姉さんたちに怒られるぞ?」
「うにゅ……」
僕が呼びかけると、少女はそんな声を上げ、うっすらと開いた瞳で僕を見た。そして、数秒程そのまま停止した後、むくりと身体を起こして目を擦った。
「……夜?」
「どう考えても朝だろ。周りが明るいんだから」
奇妙な小ボケを披露した少女にツッコミを入れ、俺は湯気の立つ紅茶を一口啜った。
彼女はチルシー。神域に住まう精霊の一人であり、フラワーピクシーと呼ばれる花の精である。基本的にフラワーピクシーは花の傍から離れないものなのだが、チルシーは外出が好きらしく、日がな一日宙に浮いて神域中を漂っている。そして、眠る時はその場に花を咲かせ、それをベッドにして眠るという、とっても不思議な子なのである。フラワーピクシーの中でも、かなり異質と言われている。
眠たげな瞳で俺を凝視しているチルシーは、ゆっくりと片手を上げた。
「お~……ラテ……おはよう」
「おはよう。あと、僕はラテじゃなくてドレな」
いつまで経っても、僕のことはラテって呼ぶんだよなぁ……。
チルシーに初めて会った時、僕はこの子にカフェラテを飲ませてあげたのだが、それ以来僕のことをラテと呼ぶようになってしまったのだ。もうこのやりとりも何回目かわからないので、今後も呼び名が直ることはないだろう。
「昨日は何をしていたんだ?」
「ずっと、浮いてた」
「一日中か……まぁ、間違って魔獣領域に飛んでいかなければ、それでいいけど」
当然ながら、このチルシーにはこの島の強大な魔獣を狩る力はない。この子たちはあくまで花の近くに漂うだけの精霊だ。そもそも、精霊の中で狩りができる程の力を持っているのは、かなり限られてくる。本来魔獣を狩る狩猟とは、精霊ではなく神獣の役割だからね。
と、そこでチルシーのお腹が可愛らしく、く~、と鳴った。一日中浮いていたと言っていたし、昨日は何も食べていないのかもしれない。
全く、しょうがないな。
「とりあえず、朝ごはん食べるか?」
「うにゅ。甘いの」
「はいはい。わかったよ」
了承すると同時に、背中の羽を動かし宙を飛んだチルシーは、背中から俺にしがみついてきた。どうやら、このまま行くらしい。彼女たちは精霊で、ほとんど重さを感じないので別にいいけど。
俺は今一度紅茶を啜り、朝食をつくるべく家の方角へと引き返した。




