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第十二話 考察

「フェンリル、ですか……」


 僕は内心の動揺を悟られないように注意を払いながら、ローンさんの口にした単語を復唱した。一度跳ねた心臓の鼓動が早くならないように、呼吸をゆっくりと行う。


「あぁ。狼系の神獣は全て、フェンリルの眷属とされている。彼の王が現世に存在していたのは遥か太古のことだから、詳しいことは何もわからないんだけどね」

「そうなんですね」

「何か、心当たりでもあるのかい?」


 サンドイッチを口に運びながら問われたことに、僕はゆっくりと首を横に振った。


「僕はまだこの島に来て浅いので、どんな神獣や精霊がいるのかを完璧に把握していません。なので、心当たりはないですけど、もしかしたらフェンリルが何処かに隠れているんじゃないかなぁ、とは思いますね」

「その可能性も否定はできないが、限りなく低いだろうね。何せ、我々が暮らす島の半分は全て調べつくされている」

「少し前に、それは教えてもらいました。なので、心当たりは特にないですね」


 ミルを見つめながら、僕は答える。

 まぁ、嘘です。心当たりに関してはバチバチにあります。それはもう、マジかよ信じられないよ、と心の中で叫んでしまうくらいに。

 だけど、それは言わなくていいだろう。というか、ローンさんだけには言いたくない。興味を持たれて研究対象にされるなんて御免だし、そんなことを頼まれたら喫茶店の営業ができなくなってしまう。ああでも、そうなったら皆が助けてくれるのかな。ここが開かなくなったら、皆怒るだろうし。

 ローンさんはあっという間にサンドイッチを平らげ、食後のコーヒーを飲みながら首を傾げた。


「だとしたら、この子は一体どうやって生まれ、何処からやってきたのか」

「もしかしたら、神獣じゃないのかもしれませんよ」

「それはない、というのはわかっているだろう。少なくとも、この子は神獣に間違いない」


 それ自体は、ミレアーナさんたちにも言われたからね。ミルは間違いなく神獣で間違いない。それは同じ神獣なら、わかることだというし。


「少なくとも言えることは、眷属が生まれるのは主となる種族の王が傍にいる時、ということだ」

「? そういえば、王は一体ですけど、どうやって生まれるんです? 番がいるわけでもないんですよね?」


 まさか分裂するわけでもないだろう。眷属は番を見つけて子供を産むし。


「これは詳しくは解明されていないんだけどね。王は体内のマナを用いて、眷属を生むんだよ」

「マナって、人間が使う魔法の源になる、あのマナですか?」


 ほとんどの生物の体内にも存在する、いわばエネルギーの源であるマナ。力の源ではあるけれど、そこから生物が誕生するなんて俄かには信じがたい。だけど、ローンさんは僕では比べ物にならない程の博識。ここは、黙って聞くことにしよう。


「そのマナだよ。体内から膨大なマナを放出した王は、自らの力の一部を複製し、そのマナに宿す。すると、不思議なことにマナは王と似た姿の生物に変化するんだ」

「俄かには信じられないですね。それだと、まるで力が生物の形を決めているみたいだ」

「その通りなんだよ!」


 おお、ローンさんがいきなり元気になった。食べたサンドイッチがエネルギーに変換されたのかな。


「力を持ったマナがその生物の形になる。それはつまり、力を使うのに最も適した形になる、ということが考えられる。リントヴルム様を基準に考えれば、彼の御方は強力な膂力、音速で空を舞う飛行能力、鋼を溶かす程の高熱のブレス。それらを最適に使う姿になっている。神獣の姿は、力によって決定される、ということが考えられるんだ」

「な、なるほど……」


 あまりの熱の入りように、僕は思わず後ずさる。相変わらず研究……というか、興味を持ったことに関しては誰にも負けない程熱い人だな。でも、今の仮説はちょっと面白い。神獣は力によって姿かたちが決定される、か。


「となると……やはり、何処かにフェンリルがいるのかもしれませんよ」

「そうだと面白いね」

「でも、騒がしくなりませんか? 種族の王が、再臨したなんて」

「いいじゃないか、それでも。某は結構、騒がしい環境は好きだしね」


 コーヒーを啜ったローンさんは、沸き上がった熱意が収まったようで、とても落ち着きながらそう言った。

 結構以外だね。研究大好きで、文字通り命を捨てる勢いでのめりこんでいるローンさんは、研究に没頭できる静かな環境が好きだとばかり思っていた。賑やかな空間も好きだなんて、だったらもっと外に出るべきだと思うけど。研究室に籠りすぎだよ。


「さて、某はそろそろ失礼するよ。御馳走様でした」

「お粗末様です。ただ、今後は餓死しないように注意してくださいよ? 神獣は、流石に簡単に死なないとは思いますけど」

「はっはっは、それは了承しかねるね。某は命をかけて研究という名の遊びをしているので」


 そう言い残して、ローンさんは扉を開けて帰ってしまった。

 店内に残された僕は、机の上に置かれていた食器類を回収して洗って拭き、食器台の上に置く。面白い話が聞けたけど、研究者ではない故に確かめることはできない。大人しく、ローンさんが研究の成果を上げてくれるのを待つしかないかな。

 僕は頭の片隅で先ほどの会話を思い出しながら、椅子の上で丸くなって眠っていたミルを見つめた。


「……まさかね」

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