第3話 後の祭り。でもそこからが大事
「お先失礼します」
「おーうお疲れー」
アルバイトを終えて事務所から出る。携帯で時刻を確認したら午後10時15分だった。明日の金曜と明後日の土曜は休みなのでかなり時間ができ、本来なら喜ぶところなのだが、何かをして気を紛らわしたい身としてはつらい。それがただの現実逃避と分かっているから尚更だ。
「あー……、どうしよう」
盗み聞くという悪い事をしたのは自分だ。だから謝るべきだと思う。だが、それは彼女を傷つける結果になるだろうし、相手が相手なのでまた何かされるのではないかという怖さも無いと言えば嘘になる。
「ぬぁーんーむぉーんー」
気持ち悪いうめき声を上げながら、自転車をこいで岐路に着く。空を見上げると綺麗な星空が広がっていた。ベタな展開で『この広大な星空に比べたら、俺の悩みなんてちっぽけだな』とかいうシーンがあるが、それはそれ、これはこれだ。なんで星空と比べるのか分からないし、ちっぽけな悩みとも思えない。
『ジリリリリーン ジリリリリーン』
そんな捻くれた考えを展開していたら、携帯電話が鳴った。止まって開いてみるとディスプレイには女神様の文字。俺は自転車から降り、手で押しながら電話に出た。
「へいらっしゃい!何握りやしょうか?」
『じゃあ、あなたのその足りない脳みそ握りつぶして下さる?ついでに不快な声を発する声帯とそれらの諸悪の根源である心臓もセットでお願いするわ』
「…………」
『……まだかしら?断末魔の叫びが聞こえてこないのだけれど』
「……咄嗟によくそんな言葉がさらりと出るよな。俺、電話で泣かされそうになったの初めてだわ」
軽くボケただけなのに。
『ご、ごめんなさい!私、日本語って苦手で。出来る限り最大の愛情を込めたつもりなの。傷つけてしまって本当にごめんなさい!』
「日本語苦手な奴は諸悪の根源どころか断末魔なんて仏教用語まず出てこねーよ。何回目だよこのやり取り。あと今さらだがおはよう」
一瞬騙されそうになった事は絶対に悟られてはいけない。
『もう、可愛らしいジョークでしょ?でもさすがにちょっと言い過ぎた気がしないでもないから、お詫びに相談に乗ってあげるわ。あと今さらだけどおはよう』
挨拶を同じ方法でやり返されたが、今の俺はそれどころではない。
「……えーっと、相談?」
『そう、相談』
昔はこいつ人の心が読めるんじゃね?と思うほど俺の考えが筒抜けだった。まさかそれが電話越しにもばれるとはなかなかのショック具合だ。
「ち、ちなみに、何で分かったんだ?」
嘘をつく事は出来ないので、取りあえず理由を聞く。
『話してたらなんとなく分かるわよ。それでも今回は分かりやす過ぎたけれどね。何かある時は分かりやすいほどの空元気で誤魔化す癖、治ってないのね』
懐かしいわねーとか聞こえてくるが、軽くパニックの俺には右から左。俺の開口一番のボケから怪しいと思われてたのか。すげぇ恥かしい。
「いや、大したことじゃないから大丈夫だ。心配掛けて悪かったな。ありがとう」
『あなたが急にお腹抑えて苦しそうにしてたとき、私が病院に連れて行こうとしたらたら大丈夫って言って病院行かなかったわよね?結果、急性胃炎だった訳だけど』
「……まあ、そんな事もあったっけなぁ。ははっ。あれはまあ若かったし、もう懲りてもうそんな馬鹿な真似してないって」
『それから退院して間もないうちに校舎の3階から落ちた時、私が尋ねもしてないのに大丈夫って言ったわよね。無理やり確認したら血をだらだら流していた訳だけど』
「そ、そうだったっけなぁ。あははははー」
『……先に言っておくけど私、修司の大丈夫って言葉は運気が上がるという100万円の壷以上に信用してないから』
「……あは、ははは、……は」
『…………』
痛い。無言の圧力が痛い。なんだかこいつが鋭すぎるんじゃなくて俺が馬鹿すぎるんじゃないかと思い始めて来た。でも、わざと厳しいボケをかましてお詫びという名のきっかけをつくったり、もっとがんがん口で責めれるのに(これでも)必要最低限の言葉で逃げ道無くしていって自分から白状させようとしたり。なにより相談しないという選択肢は存在しない辺りがこいつの優しさなんだなと痛感する。
「……まあ、その。ところどころぼやかすし、荒唐無稽な話だからさ。話半分に聞いて欲しい」
観念した俺は、照れながらも電話越しと言う事に助けられながらそう釘をさし、その優しさに甘えて恐る恐る話し始めた。
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「――――と、いう訳なんだけど。ちょっと、意見を聞きたい」
名前や性別、詳細な情報を伏せて話し終える。
『まさか本当にあなたの脳を一度握りつぶした方が良いのではと考えるとは思わなかったわ』
相槌のみで最後まで聞いてくれたあと、頭が痛いとでも言いたいかのようにため息をつきながら唐突に言われた。
『警察に行きなさい』
と。……いや、唐突でも無いか。
「いや、でもそこまでするほどでは。酷い目に合わされずに普通に返してもらえたし。このまま平穏に済むならそれでいいかなぁと」
『それ、取り返しがつかなくなった後でも同じ事言える?』
その言葉には重みがあった。
『警察にどうこうしてもらおうって訳じゃないわ。重要なのは事前に警察に相談していたという事実。あと相手への牽制。こちらは相手に対して備えなきゃいけないんだから』
いい?と念を押してくる。
『警察に行って話をしたら向こうに話ぐらいはしてくれるでしょ?これで釘をさすの。それで多少は動きにくくなるでしょ。で、それに対するリアクションも窺って今後の対策を練る』
「対策って、何の?」
半ば予想がつきつつも一応尋ねてみる。
『もう誰かに脳みそ握りつぶされた後なの?報復の対策よ』
ある程度、予想していた通りの言葉。しかし、さらりと吐かれたその言葉に少し身が硬くなった。
『断定するのは危険だからあくまでも仮定の話だけど、その人は突発的ないしあまり深く考えずに行動するタイプのようね。直情的で行動も単純そうだから、重要なのはなるべく一人でいる事を避ける事。そして護身用の道具を常備する事くらいかしら」
話しながら考えを纏めているようだ。
「護身用って、あの紐を抜いたら音が鳴るやつか?」
『馬鹿ね。あんな周りに助けを求める物でどうやって身を守るの?相手を攻撃するものよ。そういえば、修司にも1つ渡して置いたわよね?スタンガン』
「……へ?」
思わぬところで出た馴染みのない言葉に理由もなく聞き返してしまった。
「忘れたの?私が引っ越す前にもしもの時はこれで身を守りなさいって渡したでしょ。あれなら初心者でも大丈夫よ』
「ああ、初心者用なのか。ならまだ安全そうだけど」
少しだけマシになった気はするが、それでも危ない物だ。
『勘違いしてそうだから説明しとくわ。あのスタンガンは使用者の安全は確保されているけど、初心者用だからこそ威力は強力よ。争いに不慣れな人が暴力をふるってこようとする相手に恐怖を感じず、何度もスタンガンを当てられるほど軽快に動けると思う?相手が出されたスタンガンに何度も対策なしに来てくれる馬鹿ならいざ知らず。確実に当てて決定的な一撃で仕留める事が重要なの』
「そう、か」
さっきから、何かよく分からない汗が止まらなくなってきた。
『まあ相手にみせて威嚇するタイプのスタンガンもあるけれど、直情的なタイプなら怯まずに突進してくる可能性は捨てきれないわ。だから止めておきなさい。それを使わずにあえて威嚇用を用意するほどのメリットは無いわ』
「え、えと。確かスタンガンって、持ち歩くのは駄目じゃなかったか?」
「ええ、軽犯罪法違反ね。でも、死ぬよりはマシでしょ?」
その発言にぞっとした。
『とにかく、そっちの説明は考えが纏まってからまとめて後でしてあげるから、まずは警察に行きなさい。今そっちは夜中よね?だったら明日の朝、学校休んでね。それで警察への説明が終わったら学校に行ってそっちにも説明。あっ、無断で休んだ方が、遅刻して行った時に注目集めやすいわね。それで生徒がいる前で説明したら話が広まりやすいからベストか。そうすれば相手を“排除しやすい”し。もし何かあった時の言い訳は「恐怖で頭が回らなかった」で大抵通じるわ。それでその後の状況を逐一報告して。それに対応してアドバイス送るから。分かった?』
そう一気に、坦々と言われた。こんな非現実的な話を聞いた後で、普通にここまで考えられる事に素直に感心する。
「…………」
恐ろしい意見もあったが、それは俺の身を1番に考えてくれて結果といるのも分かる。とても優しい奴だから。
『返事は?』
「…………出来ない」
それでも、俺はその提案は受け入れられなかった。
『ふーん。一応聞くけど、何で?』
怒鳴るでもなく、先程までと同じ調子で尋ねてくる。
「……俺には、その人がそこまで悪い人には見えないから」
俺以外の全てを蔑にしているという点はあえて伏せた。この理由だけで十分だという事もあるし。
『馬鹿丸出しの返答ね。万歩譲ってそうだとして。だったら万が一、殺されてもいいと?』
それでも追及は止まらない。
「殺されそうになったことなんてないぞ」
『ないわね。でも誘拐はされたんでしょ?私からしたら誘拐も殺人もどっちも異常者がしでかす犯罪だわ』
「規模も被害内容も全然違うだろ。誘拐と呼べるほど大層なものでもなかったし。それに、そこまでするほどの何かしらの事情があったんだと思う。百歩譲って警察に行くにしても、そこら辺の事情が分かってからするべきだと思う」
『百歩譲って、ねぇ……』
向こうの声のトーンが落ちる。あいつが俺の心を読めるほどではないが、俺だってそれなりに理解しているつもりだ。だからこれがどういう事か分かる。
『なら、どの程度の事情なら、どうなるというの?』
先ほどよりも冷静で、こちらも聞きやすいほどゆっくり丁寧。そんな言葉に俺の体は強張る。
『まず、誘拐ないし殺人を犯す事情。妹の高額な手術費用を稼ぐため。家族の莫大な借金を返す為。積年の恨みを晴らす為。恥をかかされたから。服装が被ったから。ただなんとなく。同情できるものから理解に苦しむものまで大小様々な理由があるわよね。その差でいったい何が変わるの?罪の有無?それとも程度?思い上がりも甚だしいわね。それは司法により裁判で決まる事よ。なら事情が分かる前と分かった後で何が変わるの?』
「俺は、橘をどうこうしたい訳じゃない。このまま終わるならそれでいいし。ただ、そこまで事を大きくするのなら、俺自身が納得する必要があるだろ」
『ようするに自己満足ね。反吐が出るわ』
これが誇張でも何でもなく、純粋なる本音だという事は分かっている。
「…………」
『…………』
仲は良い。少なくとも俺はそう思っている。ただ、どうしてもお互いが譲れない部分がある。ただ、それだけ。
『なら好きにしなさい。貴方の人生、私には関係ないわ』
その言葉が深く刺さった。それだけ相手を怒らせている事が分かる。
「うんそうする。ありがとな」
ブチッという切断音が聞こえる。携帯画面を見ると通話終了の画面が。俺はすごすごと携帯をしまい、自転車に乗る。
「…………世知辛いねぇ」
冗談めかして言ってみたが、心は靄は晴れなかった。空を見上げる。先ほどよりも心なしか輝いて見える。
「…………俺の悩みは、ちっぽけかなんかじゃねーぞ」
こぼれた言葉に、答える声は無かった。
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「やべっ、大分遅れちまったな」
次の日の昼休み、雄馬達に先に食堂に行ってもらった。昨日の今日なので、電話をかけてみたのだが、案の定出てくれなかった。かなり怒らせてしまったようだが、着信拒否にされてないだけ未だ望みはある。……と、思いたい。諦めて食堂に行こうと思った時には昼休み終了まで5分前の余令込みで15分を切っており、俺は急いで食堂へと向かった。席は雄馬達が取ってくれているだろう。
「おばちゃん!学食弁当1つ!」
駆け込むと同時にそう言い放つ。
「駄目です」
それを拒否された。今の発言はおばちゃんが言ったわけでも俺が一人二役やったわけでもない。ようするに別の所から発せられたってことだ。俺は「何でだよ!?」と文句を言ってやろうと振り返る。だって学食弁当は誰にだって食べる権利はあるんだぞ!?今日も今日とて強制的にバカップルを見せつけられるわ学食弁当食えないわでいったい俺は何に希望を持てばいいんだよ!?半ば八つ当たり的に怒りを露わにしながら声の主を見た俺は、素の表情で固まってしまった。
「もう一度言いましょうか?駄目って言ったんです」
そこには女性が二人。
「……何故でしょうか?」
しかもそれが両者とも顔見知りだった。
「胸に手を当てて考えてみたらどうですか?理由なんていくらでもでてくると思いますよ」
よし、ここで状況を整理させてくれ。俺は食堂に入り、カウンターで日替わり弁当を注文した。ここまではバカップルが鬱陶しいくらいで平和な日常の1ページだ。ところがどっこい(こらそこ古臭いとか言うな)、ここで「駄目です」と発言する新たな人物が登場。そのセリフにむかっときた俺は、本能のおもむくままに声のした方へ振り返る。すると俺のすぐ横に貫禄が半端ないと評判の布施さんが。そしてその布施さんと対峙するように、なんとあの橘さんがいたのだ。要するにあの発言は俺にじゃなくて橘さんに対してで、さっきの「何故でしょうか?」ってのは橘さんが言ったということだ。要するに俺の早とちりで勘違いだったわけだ。お恥ずかしい。これで無関係だと判明した俺は心置きなく日替わり弁当を食べたいとこなんだけど、ところがどっこい(このセリフちょっと気に入った)、そうもいかなかったりする。何故なら布施さんと橘さんの距離はおそらく1メートルなく、そして俺と彼女らの距離も1メートルもない。ということはだ、端から見たら『3人が』揉めているように見えるわけだ。今回の3人ってのは説明するまでもないけど、布施さんと橘さんと……俺だ。つまり、食堂の注文するカウンター前で2人が争っている中に俺が気付かず突入してしまったと。……俺、もーちょい周りを見ような。2人は睨み合ったまま微動だにせず、俺は逃げるタイミングを逸してしまったわけだ。だってここで逃げたら「当事者のくせに女の子2人をほって自分だけ逃げだした奴」と誤解されてしまうし、それ以前にこの空気で逃げ出せるほどの根性を俺は持ち合わせていない。そうですどうせチキンですよ、だから誰か教えてくれ。俺はどうすればいいんだ?
「あいよ、学食弁当。350円」
「あ、どうも」
そんな空気でも流石おばちゃん。何も気にせず俺に弁当を渡してきた。その強さが俺にもあればとおばちゃんちょっとだけ憧れながらお金を渡してそれを受け取る。
「お得意の無視ですか?本当に人をおちょくるのがお好きなようで」
俺がそんなことをしている間に、布施さんは表情を変えずにさらりときついことを言い、それを橘さんは何も言わずにただじっと布施さんを見つめていた。話の流れでだいたい察しはついた。橘さんが布施さんを昼ご飯に誘ったのだろうと。正直に言えば橘さんの応援をしたいという気持ちはある。だけどさ、布施さんが拒否する気持ちの方が分かるよ。さすがにそれは無茶だろ。そう思いながら橘さんを見た時、ふと何故か、その姿が昨日の廃工場での彼女とだぶって見えた。そして、俺は気付いた。学食弁当を受け取ったときに、その流れでこの場から逃げ出せたという事を。
「YESかNOかも言えないでよく人を昼食に誘えましたね」
只今食堂はどんどんシリアスな展開へと突入していて、学校でもいろんな意味で有名な布施さんと橘さんが揉めているので食堂にいる生徒はみんなカウンターにいる俺達を注目してシーンとしている。おそらく「あそこにいる男は何だ?」とか思われているんだろうな。正直に言います。内心結構泣きそうです。俺はズキズキと痛む胃をさするどころか微動だに出来ずに目線だけ動かし周りに助けを求めようと見渡す。すると、布施さん越しに瀬上と雄馬の姿が目に入った。
「…………!?」
そうだあいつ等がいたじゃないか!あのバカップルなら友達である俺のためになんとかしてくれるに違いない!あいつ等は顔が広くて社交的、それになんてったって「まこと」の「とも」と書いて真友と読む2人だからな!
「――――!!」
俺は最後の希望の光である2人にすがりつくようにアイコンタクトで(助けてくれ!)と念じた。お願いだから気付いてくれ!するとさすが真友達、すぐに気付いてくれて2人ともアイコンタクトで(分かった)とこちらに頷いてくれている。よしっ、成功した!思わずガッツポーズをしそうになる。微動だに出来ないかった先程から3段跳びの大進歩だ。これであいつ等がなんとかしてくれるはずだ!頼んだぞ!俺の期待を背負った2人は一度お互いを見て頷き合う。そしてこちらに向き直り、俺のために――
「…………」
黙祷を捧げてくれた。そして2人はアイコンタクトで言ってくる。
(これでいいだろ?(でしょ?))と。
「用件は以上ですか?なら昼食をとりたいのですが」
俺は久々にキレた。
「いい訳あるかぁ!!!」
勿論あのバカップルに。そして、場が凍りついた。
「………」
「………」
「………」
わーるど、わず、ふろーずん、ばい、みー。わーおれすげーまほうがつかえたぜー。
「………」
「………」
「………」
当然の如く、沈黙し続ける3者+オーディエンス。そんな俺の心情。
もし仮に
穴があったら
埋まりたい。
季語なんて考えてないので悪しからず。
「………」
「………」
「………」
どうしよう。もう現実逃避のネタが無くなった。こんなこと考えてる余裕があるんじゃなくて、こんな事でも考えて現実逃避しないと今にも失神してしまいそうだってのに。今の俺はあまりの恥ずかしさにガチガチなんてもんじゃなくギァチギャチに固まっていて、それに続いて自分の顔がものすごい勢いで熱くなっている。やばいやばいやばいやばいどうする俺!?俺が急に叫び出しただけなら思い出し興奮とかテキトーなこと言って逃げれた可能性があったかもしれないけど、偶然にも上手いこと2人の会話に入ってしまったのに加えてバカップルが布施さんの背後にいたために食堂中の視線を独り占めしているからこの作戦は無理だ。
「さっきからあえて触れませんでしたけど、あなた何ですか?」
俺が極限状態に陥ってパニクっていると布施さんが話かけて来た。や、やばい!まだ何にも思いついてないぞ!?えーっと……そうだ!とりあえず時間を稼がないと!
「えっと、右方って、言います」
とっさに思いついのはた自己紹介をだらだらして時間を稼ぐ方法。かなりベタだけど贅沢はいってられないし、これで少しは時間が
「それはわかっています。右方修司君ですよね?」
稼げなかった。
「は、はい」
一瞬何で俺の名前を知ってんだ?と思ったけど、それを考えている余裕なんて全く無いので無理やり忘れる。
「私は、あなたは「誰ですか」ではなく、あなたは「何ですか」と聞いたんです」
やべぇ、会話に割って入られたせいか布施さんの機嫌がすこぶる悪い。今なら瀬上が言ってた泣く子も黙る貫禄って実体験で納得しているが、出来ればもっと別の形で知りたかった。
「黙ってそこにいたかと思えばいきなり叫んで。あなたは私達と何か関係がありますか?」
「いや、それは」
当然布施さんの言い分が正しいので、俺は思わず黙り込んでしまう。
「関係ありませんよね?なら部外者は黙ってて下さい」
「は、はい」
そう言って俯く。
そんな俺の心の中で埋め尽くされてるのはたった一言。
(助・か・っ・た!!)
まさか向こうから助け舟がくるとは思わなかった!もし「んなわけあるかぁ」発言のことを聞かれたら本当にやばかった。だって今更「布施さんに言ったんじゃなくてその後ろにいるバカップルが……」と言ったところで誰もその場しのぎの嘘だろうと信じてくれないだろうし。俺は緊張から安心への激しいギャップで腰が砕けそうになる。ともあれ一安心だ。これはあれだな、きっと日頃の行いが素晴らしい俺のために、神様が助けてく――
「どうせあなたはこの見てくれだけの彼女を庇って自分の株でも上げようとしたんでしょうけど、はっきり言って先程の行為は最低です」
その言葉が心に引っかかり、イラっとした。布施さんが冷めた目線で俺を見てくる。
「知っているでしょう?彼女が“どんな”人物か」
布施さんが強調した“どんな”という意味。それはこの学校に通っている1年生なら誰でも知っているであろう事件を指しているのがありありと分かる。そりゃあ俺は同じクラスだし当然知っている。布施さんが主に女子から絶大な支持を得て、橘さんが女子に嫌われもしくは避けられ始めたあの事件を。それは入学式が終わって次の日の学校初日、当時からあった無敗伝説や左目の傷。そしてなにより負のオーラによりみんなから距離を置かれていた橘さんに勇気を出して話しかけた女子がいた。その女の子を橘さんはあろうことかガン無視して泣かせた。それだけならまだしも、泣いている子をそのまま放置して帰ったのだ。その後、クラスの女子が慰めようと駆け寄る前に、その子は悲しさからか走って教室を出ようとした。その時に教室に入ろうとしていた布施さんとぶつかった。布施さんはぶつかった相手が泣いている状況の訳が分からずに困惑しっていたが、周りから事情を聞くにつれみるみるげ激怒していき、「あなたはいいことをしようしました。それは胸を張っていいことです」と慰めた。そして橘さんに対しては「彼女は人として間違っている」と次の日、遅刻して橘さんが来たと聞くと周りが止めるのも聞かずにすぐさまうちのクラスに乗り込んで来た。みんなが「いったいどうなるんだ?」と固唾を飲んで見守ったが結果は呆気なかった。ノーゲーム、試合すら始まらなかったからだ。何故なら橘さんは昼休みが終わる最後まで無視し続けたからだ。そして布施さんはそっちがそうくるならと『目には目を、毒には毒を』といわんばかりの行動を起こした。こちらも無視をすると。ここから先は集団女子の恐ろしさ本領発揮で、他の女子は当然布施さんの味方をしたので学校2日目にして橘さんに関わろうとする女子はいなくなり、男子も女子に恐れて声をかけれず、彼女の周りはいつもがらんとしていた。
「あのときは自分から拒絶しておいて今更一緒にお弁当を食べよう?ふざけているにも程があります。いったいどんな悪巧みを考えているのでしょうね」
布施さんの言うことは理論的にも感情的にも正しいだろうし、俺もそう思う。
「はっきりいって私は彼女が嫌いです。人を馬鹿にしている彼女が。だから一緒に昼食などとりたくありません。そして右方修司さん、あなたにも失望しました」
今度はこっちに矛先が向いた。
「周りがあなたのことをどう思っていようと、私は一目置いていました。ですがこんな人を庇うとはあなたもその程度の人物だったのですね」
イライラする。お前に何が分かるんだよ?と。だけど我慢して耐え抜くんだ俺。布施さんあの事件から女子から絶大な支持を得て、男子からも女子からのプレッシャーだけでなくその見た目とルックス、そしてそのリーダーシップから人気がある。そんな奴に噛みつきでもしたら、俺の学校生活たまったもんじゃない。
「私に人を見る目はなかったようです。あとこれはアドバイスですが彼女に関わらない方が賢明ですよ」
……我慢だ。イライラするな。感情を押し殺せ。そう自分に言い聞かせながら、怒りの気をそらそうと橘さんの方を見ると、彼女は俯いていた。そして、見えた。いや、見えてしまった。みんなに背を向ける形になっているし、布施さんは横にいるのでおそらく俺以外は誰も気付いてないだろう。その彼女の表情に。
「おそらくあなたのような人物じゃ馬鹿を見るだけでしょうから。それでは今度こそ昼食をとりますので失礼します」
言いたいことを言えて満足したのか、布施さんはそういってこちらに背を向け周りの女子を連れて出口に向かう。はぁ、ようやく終わる。直ぐカッとなる性格である俺にしちゃよく頑張ったよなぁ。よし、帰りに自分のご褒美にプリン買って帰ろう。あとは彼女が食堂から出ていくのを数秒間待てばいいだけだ。そう、数秒待つだけなんだ。
「……ちょっと、待って下さい」
だが、その数秒すら我慢出来なかった。緊張から声が上ずりそうになりながらも、しっかりとそう言った。だってそうだろ?お前に何が分かるんだよ。始めに訝しげに取り巻きが、そして最後に布施さんが堂々とゆっくり振り向く。
「何ですか?いい加減昼食をとりたいのですけど。ひょっとして馬鹿にされたのを怒ったんですか?」
ここで布施さんは始めてニヤリと表情を変えた。うわぁ、こいつ絶対ドのつくSの方だよ。いじめっ子オーラガンガン出てるし、何より貫禄がハンパねぇ。怯みそうになるのをなんとか堪えた。普段の俺ならビビってそっこう逃げ出してるだろうけど、今回は例外だ。それにこういうタイプは‘あいつ’で慣れている。
「……知っていますか?」
「何をです?」
布施さんが態度を崩さずに真っ直ぐこちらを見て言う。それを見て、慣れているはずなのに決心が少しぐらつき、そこにつけ込んで弱い自分が訴えかけてくる。
『今からでも間に合うから止めろ、そんなこと言っても意味ねぇよ』
潰す。
『前にも似たようなことをしてあいつを傷つけてしまったじゃないか。そんな思いもうしたくないから廃工場でも橘さんを冷たくあしらったんだろ?』
潰す。
『今ここで我慢出来なかったら今までの苦労がパーじゃないか』
また潰す。
『それにこんな最低な俺が今更何するんだよ』
挫けそうな心を奮い立たせて、弱音を1つずつ丁寧に潰していく。そして全て潰し終わったそこには、『本音』が残っていた。
「橘さんってさ、見た目通りスポーツが得意なんだってさ」
「はい?」
布施さんが何言ってるんだ?みたいな顔をしているが、俺は構わずに続ける。
「んでタウンページを余裕で破けるらしいです。失礼ですけど、さすがに嘘だと疑ってます」
ははっと笑う俺とは対称的に、周りはざわざわしだし布施さんの目はすぅーっと細くなった。
「あとカニは食べにくいから嫌いらしいです。食べられる上に味以外で文句言われたらかわいそうですよね」
自分で言ってて意味がよく分からん。まあ細かいことは気にしない方向で。
「何が言いたいか分かりませんが、私は彼女の事を知りませんし知りたくもあり」
「相手の事をよく知りもしないでぺらぺら語らないで下さい。不愉快です」
お前に何が分かるんだよ。橘さんの何が。
「……すみません、今何と言いましたか?」
先ほどまでと同じ無表情で敵意100%。聞き直したということはここで謝れば許してやるという意味を込めたのかもしれない。反対に、ここで一歩でも踏み出せばもう戻れない真っ向勝負が始まるということなのだろう。よくある言葉で「しないで後悔するよりやって後悔した方がいい」ってのがあるけど、俺からしたらあんなの真っ赤な嘘だ。現に俺は数年前に思いっきってあることをしたが、それがあいつを傷つけることになりすごく後悔した。もし過去をやり直せるなら真っ先にその時に戻るくらい何もしなければ良かったと思っている。だからこんなことしたらすんごく落ち込むんだろうなぁ。
「よく知りもしないで橘さんの事を語らないで下さいと言いました」
それでも退く気はないけど。明日は土曜で学校ないしバイトも今日明日と休みだから思いっきり落ち込もう。
「私が橘さんをよく知らないのは事実ですが、私が先ほど言ったのも事実しかありません」
布施さんは軽く笑って馬鹿にしてくると思ってたけど、意外にも真正面からやり合いに来た。
「じゃあ何で橘さんが顔だけの奴だったり人を馬鹿にしているとか分かるんですか?」
「さっきも言ったでしょう。彼女は独りでいるところに好意で話しかけてくれた相手を泣かして帰るような人ですよ?その人のどこに良い要素があるんですか。むしろ顔だけでも褒めたところに感謝して欲しいくらいです」
布施さんは無表情で言ったんだけど、それを冗談ととったのか取り巻きがくすくすと笑う。
「じゃあ布施さんは何で橘さんがそんな行動とったか知っているんですか?」
それを聞いた布施さんは「はぁ」と溜め息をついて面倒くさそうな態度をとる。
「さあ?虫の居所でも悪かったんじゃないんですか」
そのセリフに今度は周りからも笑い声が上がる。俺は周りを無視して布施さんだけを見る。そして言った。
「では、布施さんは何でか分からないから勝手に理由を決めつけて相手を悪者にしたって事ですか?」
周りの空気がひりつく。布施さんがぴくりと反応して真剣な目で見返してきた。
「……私が悪いと言いたいのですか?」
布施さんの眼光に射抜かれるが、それを真っ向から見返す。
「誰がいつ善悪の話をしましたか?善悪の話を持ち出すなら、あの事件の時に怒った布施さんがクラスに乗り込んだとき理由も話さず無視し続けた橘さんの方がよっぽど悪いと思います」
布施さんは少し目を丸くし、そしてすぐ無表情に戻る。
「ではいったいあなたは何が言いたいのですか?」
「始めに言った通りです。相手のことよく知りもしないで語らないで下さい。不愉快ですと」
そして互いに無言になり、じっと睨み合う。いつの間にかざわついていた食堂はしーんとしており、昼休み終了5分前のチャイムの音だけが響き渡る。みんなが固唾を飲んで見る中、この均衡状態を破ったのは――
「布施葵はいるか!?」
個性的なチアガール、第三者の柏木優奈さんだった。てか以前にもこんな登場パターンしてたなこの人。
「おお食堂にいたのか。探すのに手間取ってしまったぞ。そもそも授業開始まで5分きっているのにこんな大勢で何してるんだ?」
柏木が「何だ何だ?」とキョロキョロ周りを見渡しながら尋ねる。
「貴方には関係ないことです。それより用件は何ですか?」
「相変わらず冷たい奴だな。友達無くすぞ?」
布施さんが俺から柏木に目線だけ移す。
「用がないなら邪魔しないでください。取り込み中です」
「そんなに睨むな。親切心にちょっとしたジョークを混ぜただけではないか。用件は我らの担任の言づてだ。職員室に来いと呼んでいる」
「……そうですか。先生が呼んでいるというであれば無視出来ませんね」
布施さんが柏木から目線を俺に戻して軽く目をつぶり、溜め息をつく。
「話は途中ですが急用ができたのでこれで失礼します。続きは次の機会にでも」
そして俺を一瞥してからそう言うと、目線をそらし出口に向かって歩き始めた。
「やべっ、授業はじまるぞ」
そんな誰かの声が聞こえ、みんなが食堂に掛かっている時計を見ると授業開始2分をきっていた。それを皮切りに集まっていた生徒達も「やばいっ」とか「遅刻するっ」とかいろいろ言いながら足早に食堂を出ていった。そして食堂には俺と雄馬と瀬上の3人だけになった。……3人?
「あれ?橘さんは?」
当事者の1人がいつの間にかいなくなっていたのに気付いて思わず口に出していた。
「あー、その。みんなと一緒に、出てったよ。うん」
言いにくそうに瀬上が言う。
「……そっか」
それを聞いた俺は橘さんが出て行ったであろう出口を見る。そして何があるわけでもないけどそっちをぼーっと眺めた。
「なあ結局学食で昼飯食えなかったし、パーッと外食しようぜ!」
そんなプチ黄昏状態であった俺の右腕を雄馬がガシッと取りながら大声で提案してきた。
「は?いや確かにかなり腹は減ってるけどさ、普通に午後の授業あるし」
するとタイミング良く『キーンコーンカーンコーン』とチャイムが鳴る。
「ほら言ってるそばから鳴っちまった!急いで教室戻るぞ!」
「いやーもう鳴っちゃったから間に合わないね残念だなぁ!」
雄馬の手を振り切って走り出そうとしたら、左腕も瀬上にがしっと掴まれた。
「お、おい!言っとくけどサボタージュといういわゆるサボりなんて行為俺は絶対嫌だからな!」
「ねえ雄馬何食べようか!?」
「そうだな!久々にイタリア料理の王道パスタなんてのはどうだ!?」
「それいいね!じゃあさっそくレッツゴー!」
俺を無視してどんどん話を進めていくバカップルを見て俺は思った。あ、あいつら、ひょっとしなくても完全に俺を舐めてやがるな?仕方ない。確かに最近下手に出てたかもしれないし、ここら辺でいっちょガツンと言っておくか。じゃないとあいつらますます調子に乗るしな。よしっ。俺は2人にずるずる引きずられながらガツンと言ってやった。
「俺弁当だからって1人だけドリンクバーとか嫌だからな!?俺だってパスタ食べたいし、ちゃんとみんなでこれ処理しような!?」
せめてものお願いを。そう言って掲げた俺の手には学食弁当。最後に叫び声だけが食堂に響き渡った。