③ カムイノミのお支度
「オレンジティーが好き?」
「はい。初めてご馳走になったのは、加藤さんのお母様だったとカララク・カムイ様が仰っていました」
「なぜ、カララク・カムイだと?」
「いつもカラスと一緒でした」
お爺さんが黙り込む。うーんと唸りながら顎をさすり、お母様が残したイナウやヘペレアイを収めていた箱を、じっと見つめてばかりいる。
やがて。その箱をそっと舞へと押し出した。
「これ使って。きっと母もそのつもりだったと思うから」
「あの、ですけれど。私はアイヌの皆様が受け継いできた儀式のやり方がわからなくて」
「最低限でも気持ちが通じればいいと思うよ。だって、そのカムイは舞さんの目の前に現れていただけでも、あなたは特別な存在だったことになるよ。既にカムイとアイヌとして通じ合っていたんだからさ」
「私が言っていること……。おかしいとか、気が触れているとか思われないのですか?」
「オレンジティーだね。母が、そのカムイを待っている時に作っていたのがオレンジティーで『彼が好きなの』と言っていたんだから。こんな一致ある? 僕は舞さんとは、あのペンションの引き渡しや、リフォーム後に見せてもらった時にお会いしただけで、母のことなど『アイヌだった』とも伝えていなかったのに。オレンジティーが好きなカラスのカムイなんて一致が出てきちゃうんだから。信じちゃうじゃない。カラスが娘さんたちを助けたことも、町中が噂しているんだ。信じちゃうよ」
こんなところで、カラク様がオレンジティーを好きだったことで、あり得ないことを信じてもらえるのも、息子さんだからなのだろう。緊張してここまで訪ねてきた舞もホッとした。
「熊送りのイオマンテでは、帰るための矢を射るんだけど。それも準備してみたらどうかな。送るのはカラスのカムイだけど」
儀式の最後、その矢を東の空に放つと、その矢に乗って、アイヌモシリから、カムイの国カムイモシリに帰ることができるんだと、加藤のお爺ちゃんが教えてくれた。
その矢を舞自ら作成してみる。本来はアイヌの男性の仕事らしいが、カラク様が乗って帰るものなのだから、ずっとお付き合いをしてきた自分がそのお道具を作りたいという舞の思いだった。
加藤のお爺ちゃんが、メールやメッセージアプリを使いこなして、いろいろな資料やアイヌの知り合いを通じて得た情報などを送信してくれ、見送る矢と弓の作り方を教えてくれた。
素材も森から得た。森に入る前に、自然の一部を譲ってもらうことをお祈りして、弓の素材となる木を探した。庭仕事もほぼ落ち着いたので、自室に籠もって、舞はナイフ片手に矢と弓をこしらえる。お爺さんも出来具合のチェックや手伝いで、スミレ・ガーデンカフェまで訪ねてくれるようになった。
雪が積もる前に。あの谷の上でお見送りをする。優大と加藤のお爺ちゃんが付き添ってくれることになった。父は、いきなり前の家主であるお爺ちゃんが訪ねてくるようになって不思議そうにしていたが、舞自身が『アイヌの血筋と知って、興味が湧いた。お母様がペンションを経営していた頃のこの土地での暮らしぶりなど、いろいろと昔の話を聞きたい』という名目で、療養中の娘に会いに来ていると思っている。
射る弓は『ク』と呼ぶ。アイヌのお婆様が準備してくれていたもの、お土産に持たせる花矢『ヘペレアイ』の飾りを、矢がらに取り付けて矢の形にしていく。
綺麗な模様が彫られている飾りを、細い木の棒に差し込む細工をほどこして整えていく。いくつも飾りを準備してくれていたのは、それだけたくさんのお土産をカララク・カムイに持たせたかったという、お婆さんの気持ちが舞にも通じてくる。
最後、空に放つ花矢一本だけに矢羽をつけ、あとは束ねてお供えするようになる。
加藤のお爺ちゃんのアドバイスと協力を経て、十一月の半ば、すべてその準備が整ったが、残念なことにそれまでに何度か雪が溶けたり積もってしまった。
しかし、儀式は予定通りに、根雪になる前に行うことにした。
決行日は、店が定休の日。午後に行う。
優大と一緒に焼き菓子にお茶の準備をする。もう花が咲いていないのが残念だった。あんなにお花が好きなお人だったのに。
「またカムイとしてアイヌモシリであるここに戻って来たときに、舞の花畑に来てくれる。今度は新しい肉体を得られるだろうから、もうカラク様の姿ではなくてカラスだろうけれどな」
ベーカリー厨房で、一緒にお供えを準備してくれる優大がそう言ってくれる。
「そうだね。それに、カラク様、優大君の焼き菓子が大好きだった。お父さんのオレンジティーも。それで十分だよね。私はまた来年、ガーデンを花満開にする」
保温の水筒にオレンジティーを注いでいると、焼き菓子をラッピングしている優大がそばに来てくれる。
「おまえ、あそこまで歩けるか。小雪も降っていて、足場も悪い」
長い腕が、そっと舞の腰にまわって抱き寄せてきた。背が高い彼の胸元へと、舞も額を静かに預けようとしたのだが。
「加藤のお爺ちゃんから、こちらカフェを訪ねますという連絡をもらったんだけれど? ちょっと二人ともいいかな。話がある」
優しいパパの顔ではない、真剣な面持ちの父がベーカリー厨房に現れ、二人揃ってどっきりとして咄嗟に離れた。だが父はそんな若い二人に疑り深い視線を向けていた。




