② イナウと花矢
舞の通院日の帰り。父から事前連絡を入れてもらい、前の家主だった加藤氏のところへと、優大と向かう。
アイヌだったお母様のことを聞きたいという名目で会えることになった。
息子さん夫妻とお孫さんと暮らしているというとのことで、お嫁さんが出迎えてくれた。お土産に、優大が焼いた菓子やパンを持参して、お嫁さんに渡した。
「あら、よろしいの。そちらのお店には何度も。野立ベーカリーの次男坊さんが焼いているというお菓子も、この町は評判だもの」
喜んでくれてホッとしたところで、奥の間にいるというお爺ちゃんのところへと案内してくれた。
「おじいちゃん。スミレ・ガーデンカフェのお嬢さんと、野立ベーカリーの次男坊さんが来られたわよ」
『はいはい』と、ゆったりしたお年寄りの声が聞こえてきた。
「いらっしゃい。お嬢さんは、お久しぶりだね」
「その節は、家と土地を購入するときに、お世話になりました」
「父と母が経営していたペンションが、また違う形で人がたくさん訪れるようになって、嬉しく思っていたところだよ。母も喜んでいると思うな」
舞ぐらいの身長に小さくなったお爺さんが、部屋の中に招き入れてくれた。
暖かい南向きの部屋で、暖房が既に入っていた。窓の外は、雪が少し残った庭が見える。机にはノートパソコンなどもあって、お年は召しても元気に現代の生活に馴染んでいるのがよくわかる。
「お父さんの剛さんから聞きました。亡くなった僕の母の話が聞きたいんだってね」
どうぞと、床に敷いてあるラグの上に、ふっくらした座布団を出してくれた。床といえども、床暖房が入っていてぽかぽかしている。そこで優大と並んで座る。
「あれだよね。カラスが花泥棒を退治したり、舞さんの遭難場所を知らせてくれたりしたんだよね。僕もあそこで育った者だから、町内の仲間からいろいろ聞かれたよ」
すぐに核心に触れてくれたから、舞も遠慮せずに聞いてみる。
「カラスのことを、お母様が帰ることが出来ないカムイだと仰られていたと、お聞きしました。加藤さんは、お母様が仰っていたことを、どう思われていたのですか」
「母はアイヌだったからね。僕もだよね。アイヌの血を受け継いでいる。でも、母はまだアイヌの思想を強く持って生きていたから。まあ、そこらへんの物も生き物も、なんでも、カムイがいるという思想で生きていたから普通かな。ただ晩年、カムイとお茶をしているんだと言い出したときは、やっぱ呆けちゃったなあと思っていたよ。でもね……。今回のスミレ・ガーデンカフェさんのカラスの話を聞いて、母が言っていたことは、呆けて何度も繰り返していたところもあっただろうけれど、呆ける前にも、確実にそう感じる出来事でもあったのかなと……思ってね。僕もいろいろ、インターネットで調べちゃったよ」
机の上にあるパソコンを指さして、お爺さんが笑う。
「花泥棒のまとめサイトってやつ? 最近の若い子があれこれネットでどうしているかはわからないけれど、見つけちゃってね。そこで動画を見たよ。おたくの中学生のお嬢ちゃんを助けるかのように、泥棒女にカラスが襲いかかるのを。あれを見た時に、母のことを僕も思い出してね。あの庭は僕にとっても遊び場だったし、思い出の庭だから。確かにカラスはよくいたよ。母も無闇に追い返したりしないで、ほんとうに共存していたかんじだよね」
「カララク・カムイだと思って、大事にされていたんですね」
「その子孫なのかなとか、母に大事にされていたカラスが子に伝えるだなんて、そんなことは思えないんだけれど。だとしたら、カララク・カムイとか、アイヌの母なら言ったと思う。もしかすると、母も何度か助けてもらっていたのかもね」
そこでお爺さんが『ちょっと待ってね』と腰を上げた。建て替えたばかりの家なのか、ご老人が住まうにはモダンな洋室で、奥にあるクローゼットを開けている。そこから、細長い箱を取り出した。舞と優大の目の前へと置いて、蓋を開けてくれる。
「施設に入る前に、母が準備していたものなんだ」
そこには木の棒を逆さに薄く削りだし、それを飾りにしている物だった。隣にいた優大が身を乗り出した。
「イナウですよね、これ」
「そうだね。儀式の時に、アイヌとカムイの間をつないでくれるもの。依り代みたいなものだけれど、供物としての意味合いも持つね」
元々アイヌの伝統に興味を示していた優大が、わくわくした目つきでイナウを手に取った。
「たしか、人間の手が作り出す細やかな工芸品は、カムイの世界にはないから、上等な供物になるんですよね」
その話を聞いた舞は、いつだったかカラク様が『あなたたちが作りだしたものには触れられないのです』と言っていたことを思い出した。だから、舞が『差し上げます』という意思を持ったものだけ、カラク様も共に味わうことができていたのだろうか。ワックス・サシェもそうだったが、優大の焼き菓子なんて特にそうじゃないかと、急に視界が開けるような思いだった。
箱の中にはまだ細工された道具が入っている。加藤のお爺さんが取り出し、舞と優大に見せてくれる。
「そしてこれが、ヘペレアイ。お土産としてカムイに持たせる花矢だよ」
白木に黒く塗られた箇所に白い文様が彫られ、薄く削って造りだした綿帽子のような飾りもついている。カラク様の着物の模様のようなアイヌ独特の文様で、手が込んだ細工だった。その繊細さと精巧さに舞は感動する。
「すごい、素敵な飾りですね」
「地域によって言い伝えられた模様があったり、見送りの儀式で役割や意味を持つ模様を施したりするんだよ」
箱からは、木くずが入った小箱も出てきた。
「これはきっと、このイナウやヘペレアイを削って造り出したときに出た木くずだね。儀式では、この欠片もきちんと火にくべるんだ」
自然の物を無駄にしない、どれもカムイになるというアイヌの思想のひとつに、舞は触れた気がしたのだ。
「供物をたくさん持たせることで、カムイの国での徳があがるんだよ。そしてカムイもアイヌのお土産を楽しみにして、またアイヌに祈りを捧げてもらえるようにと、役に立つ物となってアイヌの国に再び来てくれるんだ」
そうなると、カラク様はアイヌに害をもたらしたカムイとして罰を受け、カムイの国にも帰れずにいたのだろうかと、舞は思い至る。そう思うと、また涙が出そうになる。胸が痛む。そんなカムイじゃない。あの方も徳がある神様じゃないか。店を導き、舞を導き、美羽を助けてくれて、舞の危機も救ってくれた。
「母は、帰れないカムイがいると言っていた頃から、これを準備していたみたいでね。あの家を引き払うときに出てきたんだ。どこも傷んでいないのも不思議で。知り合いの男性アイヌに作らせたのかどうかもわからないんだ」
加藤のお爺さんが、舞を見つめた。それまでの穏やかなお年寄りの顔ではなかった。
「お嬢さん、もしかして、母とおなじような体験をしたのかな」
もうぼやかさずに、はっきり言おう。おかしなことを言う娘だと思われても良い。そんな舞の気持ちを察してくれたのか、隣にいる優大がそっと手を握ってくれた。彼も同じ気持ちでいてくれるのがわかる。
「お見送りしたいカムイがいます。オレンジティーがお好きな方で、お母様のお話もよくしてくれました」
加藤のお爺ちゃんが、驚きおののいた様子を見せた。




