② お花のお供え
「カムイって……、アイヌ、人の世界では生物やモノの姿にしかなれない、だったよね。人の姿に戻るのは神の国に帰ってからなんだよね」
「いいや。ひとつだけ、俺ら人、つまりアイヌと同じ姿で現れるのは、夢の中でのお告げ、そこでは人の姿で出てくるらしいぜ。ま、アイヌの言い伝えなんだけどよ」
夢の中で? 夢なんかじゃなかった。美羽がいるときも、この優大がいるときも、父がいるときだって、舞が正常で眠っていない状態でもカラク様は見えていた。だとしたらカムイじゃない。やはりアイヌの血筋を引く青年の霊?
「でもカラスが襲ってきたのもそうだけれど、世の中は、摩訶不思議なことは結構あるからな。案外、この家にいたアイヌの婆ちゃんが引き寄せていたカララク・カムイかもしんねえな」
アイヌのお婆様がカラスを敬っていたことが、カラスの子孫に受け継がれていただけじゃないかという話に落ち着きそうだった。
そのまま二人でじっと静かな時を過ごしている。
「おまえ、疲れてねえの。警察沙汰になってよ」
「ううん。全然。優大君は? 勉強の邪魔になってない? 寝不足になっていない? 最近、騒々しいことばっかりだったし」
「俺も平気」
会話が終わった。お互いを気遣っているのに、それ以上の会話が続かない。
でも不思議かな。意心地は悪くはない。
「また先輩のところに、メシ食いにいくか」
「うん。道の駅にも寄りたいな」
デートなんてする間柄ではないが、休みの日に一緒に出かけることは、よくあることになった。アイスティーがなくなる頃が休憩終わりの合図。そろそろ行こうかなと一緒に立ち上がると、ダイニングルームの入り口に、スケッチブックを抱えた美羽がいることに、ふたり一緒に気がつく。
「お姉ちゃん、大ちゃん。いいかな」
「どうしたの、美羽」
「おう、いいぞ。まだ少し時間がある」
気後れした様子で、美羽が入ってくる。舞と優大は、もう一度椅子に座り直した。美羽も向かい側のいつもの椅子に座った。
「八月になったら東京に帰ることにしたの。いままで、ありがとうございました」
わかっていたことだが、ついにはっきりとした日程が決まったのだと、舞と優大は顔を見合わせ一緒にうつむいた。
「そうなんだ……。やっぱり、あの襲われたことを心配されちゃったのかな」
「美羽はそれでいいのか。また東京で嫌な思いをしないのか? 嫌なら嫌とはっきり言ってやれ。大ちゃん、美羽の味方になって猛プッシュしてやるから!」
いつもの優大の勢いに、美羽が嬉しそうに微笑んだ。そしてそっと首を振った。
「ううん、いいの。それに庭で襲われたことが原因じゃないよ。私ね、お姉ちゃんと一緒にいて、パパとたくさん話して、それから三島先生が私の絵をたくさんの人に見せてくれて認めてくれて嬉しかった。大人になっても、どうしようもない気持ちを抱えて、あんなふうになっちゃう人もいるんだってわかった。私、決めたの」
ここに来た時には暗い顔をした頼りない美少女の風情だった美羽が、元気いっぱい自信を輝かせる女の子の顔を見せた。
「お父さんに言われるからやるじゃなくて、自分がやりたいからやることにした。いっぱい勉強をして、イギリスに行きたい。リバティ・ロンドンのお店にも行きたいし、たくさんのガーデンを見て、お姉ちゃんみたいなガーデナーになるって決めた。ターシャおばあちゃんのように。お庭の絵を描きながら、園芸の仕事をする」
そこにはもう、内に籠もって家族さえも信じられなくなっていた暗い少女の姿はなかった。舞が見続けてきた果てに見えるようになった、愛されて自信を持って太陽を見上げることを疑わない少女がいる。
「お父さんになにを言われてもいいの。私がそこに戻ることにして、私が決めたところに行くことにしたの。だから、心配しないで。それから……、また来るから、よろしくお願いします」
椅子から立って綺麗なお辞儀をした美羽を見て、舞も微笑むしかない。でも隣の優大はもう手の甲で、盛大に流れ出ていた涙を拭っていた。
「大ちゃんが、いちばん泣き虫なんだよね」
「ちゃんと来いよ。美羽が好きなもん、いっぱい作ってやるからな」
「お部屋はそのままにしておくね。飛行機代ぐらいお姉ちゃんが出してあげるから、冬休みも夏休みもおいで。空港までパパと迎えに行くよ」
「おう、大ちゃんも一緒にいくぞ!」
美羽も嬉しそうにしてくれている。でも徐々に徐々に、彼女の顔がくしゃっと崩れてきて、かわいい瞳からは涙がぼろぼろとこぼれ落ちてきた。
「ほんとうは、ずっと、いたいよ! でもずっといるだけじゃダメってパパと話して決めたの! 大ちゃんのおやつ毎日食べたいし、お姉ちゃんのお花と一緒にいたいよ!」
子供らしく声をあげて泣き始めたから、舞も妹のそばまで向かい、そっと抱きしめてあげる。優大もそばに来て、泣いている美羽の頭を大きな手でそっと撫でてくれる。
「うー、俺も、ぎゅっとしてあげたいけど、できねえ!」
抱きあう姉妹の仲間になれなくて、もどかしそうにしていた。
「いいよ、同僚としてセクハラとはいわないから」
「私も、大ちゃんがぎゅっとしてくれるのは、ラグビーのスクラムだと思うから大丈夫」
「マジか、ほんとだな。よし、しちゃうぞ」
舞と美羽が抱きあっている外側から、男の長い両腕が遠慮がちに回ってきて、そっと力を入れてきてた。
「私には、お姉ちゃんと大ちゃんがいる……」
「俺も味方だからな。美羽のためなら、姉ちゃんと東京まですっ飛んでいくぞ」
貴女には、帰る場所がある。もうひとつ。ここだよ。
それが心に通じた妹は、もうすぐ元の家族のところへと新たに旅立っていく。
中学校が夏休みに入り、ガーデンカフェはシーズン最盛期を迎える。だが、七月最終週の平日は、大人のお客様が多く、家族連れはいない状態でまだ静かだった。
あれからカラク様には一切、会えずにいた。なにもかも思い出せたから、気ままに会えなくなってしまったのだろうか。
今日も陽射しが高くなる前に、納屋で庭仕事の準備をする。美羽も一緒だった。
納屋へと一緒にやってくると、外にある水道蛇口のところにカラスがちょこんと止まっていた。
「あ、カラスがいるよ。お姉ちゃん」
首を傾げているカラスが、美羽をじっと見つめて飛び立とうともしなかった。
美羽もなにか感じるものがあるようだった。
「この前、助けてくれたカラスさん、かも」
戸惑っている美羽が、後ろにいる舞を見上げる。
「お礼、しておく?」
美羽がこくんと頷いた。
「じゃあ、こっちにおいで」
花を終えたリージャン・ロード・クライマーの蔓の壁を伝って、その道筋にあるバラのサークルへと向かった。今年も舞が選んだオールドローズが何種も咲いている中から、今年初めて挑戦したネオモダンと呼ばれる『はいから』へと向かう。
「はいから。日本らしい名前だけれど、本当はハイカラーから名付けられているの。薔薇らしい赤黒い色からワインレッドにかわるのよ。香りもよくて咲き頃。これをお礼にしましょう」
そのバラを一輪、花鋏で切り落とし、茎の棘も取り除いた。それを美羽に持たせる。もう一度、納屋に戻ると、カラスも通じているようにして、まだそこにいた。
舞も確信している。このカラスはカラク様の肩に止まっていた子だろうと。美羽も、特別なカラスだとわかっているのだろう。舞に言われずとも、その花をカラスへと差し出した。
「助けてくださって、ありがとうございました。あの、東京に帰ります。もっといろいろ勉強をして、この庭にまた来ます。それまで、お姉ちゃんの庭をまた守ってくれますか」
カラスが美羽をじっと見つめていた。その間が長いので、舞も付け加えた。
「カララク様へ届けてください」
カラスがちょこんと頭を下げ、美羽が差し出しているバラの枝を咥えた。そして大きな羽を広げ、ざっとアカエゾマツのてっぺんまで飛び立っていった。
「私たちの言葉、わかっていたみたいだね。カララク様ってなあに」
「カラスのカムイ、神様のことよ。アイヌの人がそう呼んでいたの」
「そうなんだ。この庭の神様でもあったんだね。花を無残にされて怒ったんだ。あの人にいけないことだと罰を与えたんだね。SNSはこれからも気をつける。変なことに使っちゃったけど、二度とあんなことしない」
「そうよ。美羽にはもう、逃げたくなったらここがあるからね」
「うん。今日は、さっきの『はいから』を描くね」
二人で笑いながら庭へと出た。




