④ いただきましたよ、アイヌの貴女から
だが、舞は安心はしていない。初めてSNSの恐ろしさを感じている。
札幌に住まう素敵なOLライフを謳歌するキラキラしたタイムラインと、耳障りの良い明るく前向きな言葉ばかり並べられている呟きなど、充実した女性像が醸し出されているのに対し、舞と美羽に迫ってきた中年の女性は、プロフィールやタイムラインの美しさとはほど遠い厳つさと刺々しさを放っていた。容姿のことではない、ぱっと見た時の顔つきや目つき、そして立ち居振る舞いのことだ。三島先生のことを『あのババア』と平然と言い放ったあの醜さで、こんなオシャレで素敵な女性をSNSのタイムラインで作り上げているその虚像と比べると、ますます舞はゾッとするのだ。
美羽を捕まえようとした燃える眼も忘れられない。まるで般若のような眼光には執念を感じられ、美しいものばかりをオンライン上に並べているものとは、どうにも結びつかない禍々しさが漂っていた。
本当にあれで納得してくれたのだろうか。
それは日暮れが遅くなった六月最後の週末。ガーデンから人々がいなくなりカフェを閉店したときだった。宵の明星が光り輝く空の下、舞は納屋の戸締まりへとやってきて愕然とする。リージャン・ロード・クライマーが優しく花びらを揺らしている。夕風が吹くたびに香りもいつもどおり。だが森の入り口を彩っていた花が見当たらず、相当な数で減っている。目線を下に移すと、無残に地面に転がる珊瑚色の花たち――。五十個ぐらい、もぎ取られ捨て置かれている。
「え……、なに、これ……」
しばらくは呆然としていた。父に報告しなくちゃ、警察も? そこまで思いついたが、膝の力が抜けてがっくりと舞は土へと崩れ落ちていた。ただ花を見たい人はここまでしない。思いつく人がひとりしかいない。でも証拠がない。
「なんで、花は悪くないじゃない!」
手と膝を土についてうなだれると嗚咽が漏れた。鼻筋に涙が伝い落ち、土に吸い込まれていく。その視界に、見慣れぬ皮で作られている履き物が現れる。
「やはり僕は、あのスマートフォンというものを好きになれません」
来客が多くなると姿を現さなくなっていたその人が、久しぶりに森の入り口から現れた。俯いていた顔を上げた舞は、彼を見て驚きで固まる。
あのアイヌの服装でそこにいる。
「カラク様――」
「よくわからないのですが、少し前から、この服しか着られなくなりました――。というのは嘘で。少しだけ前のことを思い出してきましてね」
「そうなんですか!」
悲しさと悔しさでどうにもならない気持ちが心の中を占めそうになっていたが、それはそれでまた驚きの報告だった。
だがアイヌの姿をしているカラク様は、いつにない鋭い視線をむしり取られたリージャン・ロード・クライマーへと向けて、地面に跪いた。
「あの四角い機器は、ここまでの気持ちへと追い立てるものなのですね」
また舞はなにも言えなくなる。いつかもスマートフォンについてやり取りをした時に、SNSは店に良いことをもたらしてくれる大事なものだと思って否定が出来なかったのに、今回はそのSNSを恨んでいる。
そんなカラク様の肩にバサッと羽音を立てる黒いカラスが一羽止まり、カアと鳴いた。
「僕の友達です」
「そう……ですか。カラスはよくいるので、森の中でお話相手になりそうですよね」
思ったことを呟いたのに、そのカラク様がふっと口元を曲げて不本意そうに少しだけ笑みを浮かべていた。その時、舞は気がついた。肩に止まっているカラスの綺麗な黒い羽も虹色に輝いていて、カラク様とお揃いに見えた。
「わからないでもないです。僕も花が好きで好きで仕方がなく、我を忘れたことがありましてね。自分の役割と使命を怠り、大失敗をしたことがありますから」
鷲づかみにして花を握りつぶして地面に叩きつけられたことが頭に浮かぶほどの姿にさせられた花たち。そんな珊瑚色のバラを彼も手に取って眺めている。
「ですから僕は罰を受けたのです。これは罰に値することですよ。ノンノがそこで怒って泣いています」
手に取った花を、それでも愛おしそうにカラク様は撫でて微笑み、肩に乗っているカラスのくちばしに近づける。まるでその匂いがわかるかのようにカラスも鼻先に近づけ、やがて長いくちばしにくわえると、彼の肩先からザッと飛び立っていく。
「え、バラを持って行っちゃいましたね」
「さて。何を見つけてきてくれるか、ですね」
「警察犬みたい!」
「なんですか、それ」
やっぱり、現代のいろいろなものあまり知らないんだと思ったら、いつもの癒やしのカラク様に会えたせいか、舞の気持ちも落ち着いていた。
「父に報告します。警察に届けるか検討します」
「まあ、もう少し様子を見ましょうよ」
いつも舞が頼っている大人の顔で、にっこりと微笑んでくれる。夕の弱い光にもカラク様の黒髪は虹色に輝いている。本当にカラスの羽と一緒……。アイヌの着物もよく似合っている。たくさんの西洋の花に囲まれているのに、かつてあっただろう緑の中に溶け込んでいた北海道の民の世界観が、そこに違和感なくできあがっていた。舞はつい、うっとり魅入っていた。
「素敵な着物ですね。よくお似合いです」
「僕もお気に入りです」
思い出してから、自分の好みの着物だったことにも気がついたのかもしれない。
「マダムハーディが咲き頃ですね。びっしりとした白い花びら、真ん中のグリーンアイと相まって美しい色合いです。この花は貴女のように凜としていますね。舞にも、ずっとこうあって欲しいです」
麗しい男性にそう言われ、舞は思わず頬を熱くしていた。こんなふうに女として照れるだなんてと思っているけれど、神々しいこの人に言ってもらえると、どこか誇らしくなる。
その納屋の壁へと向かい、舞は腰にあるツールベルトから花鋏を取り出し、マダムハーディを一枝切り取った。それをアイヌ姿のカラク様へと差し出す。
「ここに無残に枝から離された花があるというのに。そんな僕のために」
「いえ、切り取られても愛してくださるなら花は喜びますよ。特にカラク様のそばで愛でていただければ。眠る時のお楽しみにしてください」
その香りをそばに眠ってほしいという、いまから夜を迎える森の精霊様へのお供えを送る気持ちだった。舞が気持ちを込めれば、現物は持って帰れなくても、伝わるだろうというものだった。
神妙な様子で、カラク様がその枝を手に取ってくれる。
「……え、今日は、お手に触れられるんですね」
「先ほども、リージャン・ロード・クライマーを掴めていましたよ」
あ、そういえば――と舞も思い出す。
「力が蘇るようです。確かに。いただきましたよ、アイヌの貴女から」
「私が、アイヌ?」
違うと先日も伝えたはずなのに。でも気がつくとまたふっと彼が消えていた。頭上を見上げると、カアと鳴いているカラスがいる。そのカラスがくちばしになにかをくわえている? 白い薔薇? それとも先ほどの珊瑚色のバラを咥えて飛び立った子が戻って来たのか。もう薄闇に溶け込んでしまいわからなかった。




