② 私にも撮らせろ!!
その夜だった。ダイニングにある父のノートパソコンでネットをしていた美羽が『ねえねえ、みんな、来て来て! お姉ちゃん、大ちゃん、パパ!』と大騒ぎで、大人たちを呼び集めた。
二階の部屋にいた舞も一階ダイニングに降りてみる。テーブルには美羽がパソコンに向かっていて、その両隣から父と優大が一緒に覗き込んでいた。
「おお、美羽。良かったね。三島先生が仰ったとおり、フォロワーさんが素敵なイラストとコメントがいっぱいだね」
父はもうほくほくした顔で美羽とあれこれ会話を交わしていた。優大と目が合った舞も手招きをされ、彼の横まで向かい、その隣から覗き込んだ。
『スミレ・ガーデンカフェさんのお庭で素敵なスケッチをしている方と出会いました。許可をいただき、撮影させていただきました。ターシャ=テューダーや、坂本直行さんのような素敵な植物画ですよね』
先生のコメントと共に、美羽がスケッチしたリージャン・ロード・クライマーや、紫のネペタ、丸いポンポンのような青いアリウムの花、ジャーマンカモミールに、ピンクのデルフィニウムが、図鑑のようにひとつひとつアップで描かれたものを投稿してくれていた。ぶら下がりの下につくコメントは軒並み絶賛されていて、美羽はとても嬉しそうだった。
そしてあの写真も。
『青空に白い雲、緑の丘に羊さんたち。花畑と煙突のカフェ、そして麦わら帽子の少女さん。絵本のようですよね。(ご本人と親御さんの許可を得て投稿しています)』
花畑に立つ後ろ姿の美羽が、サフォークの丘を眺めている写真もアップされていて、いいねが数千を超えていた。
「やっぱ、すげえな三島先生。影響力ハンパねぇ」
優大も呆気にとられていた。
美羽は自分のイラストが、大人たちの目線で褒められていること、自分が入っていることで素敵な世界観を引き出してくれた画像を、たくさんの人々が『素敵』、『このお庭とカフェに行きたいです』、『かわいい。この女の子の服装も素敵』とコメントされていることにも、ずっと興奮しっぱなしだった。
「よし。これはまた客が押し寄せてくるぞ。三島先生と話し合った試作をさっそく作ろう」
優大も張り切ってベーカリー厨房へと向かった。
その夜。久しぶりに美羽が舞の部屋へとやってきた。
「眠れないの」
夏物のブランケットを抱きかかえた美羽を、舞はベッドへと招き入れる。
二人一緒に並んで寝そべってみると、窓辺からたくさんの星が見える。初夏になって少しだけ空かしている窓から入ってくる夜風には、花の蜜の香りがしていた。
「このおうち、大好き。……お姉ちゃん、もう帰りたくないよ……」
なにも言ってあげられず……。舞もただ妹を抱きしめてあげるだけ。
夜の風の音、花の香り、夏の匂い。頼りなげでも、大事なぬくもり。
リージャン・ロード・クライマーが満開を迎えると、週末は忙しさを極める。カフェの外に並ぶランチを待つ列。ガーデンにはたくさんの来客が花を求めて賑わう。
ついに父が週末のみのアルバイトスタッフを雇った。町内の主婦を二人、ホールのサーブスタッフとして採用したのだ。もともと顔見知りの奥様たちだったので、なんとかスムーズに回転しているが、厨房をひとりで担っている父に負担がかかっている。優大が資格をひとつ取り、父と同様に厨房で調理をするようになった。ドリンクの作り方を教わるのだが、まだまだ手伝いのみ。父の負担が減ったわけでもなかった。
閑古鳥が鳴いていたカフェの面影はもうどこにもない。北海道を紹介する雑誌には常に取り上げられ、今年は早い内から道内テレビ局から取材の申し込みもあった。そして、昨年とは違う現象も起き始める。
週末で学校が休みになると、美羽はお気に入りのガーデナーの服装に整え、姉の後をひっついてガーデンの手伝いをしたり、舞のそばでスケッチを楽しむようになっていた。
納屋の壁伝いに、今年も白いマダムハーディのバラと紫のクレマチスがシックな佇まいで咲き始め、美羽がまた感動してスケッチをしているところだった。
「あの写真の子でしょ!」
見知らぬ中年女性が奥にある納屋にまで歩いてやってきたようで、突然に声を掛けられ美羽がびっくり固まっていた。
そばでカモミールを天日干しにしていた舞も、その声に緊張を走らせた。
「なんのことでしょうか」
本当はしっかり者の美羽が自分ではっきりと答えた。
しかし逃れられないことを女性が叫んだのだ。
「だって。このリバティプリントを着ていたでしょう。帽子も一緒じゃない。ねえ、お願い。私にも撮らせて。そこのガーデンのバラのところに立って、お願い!」
舞は驚く。そんな細かいところまでチェックして情報を分析するものなのだと。確かに、美羽が着ている今日のブラウスは、舞が譲ったあのリバティプリントのブラウスだ。お気に入りだから、美羽もヘビロテしている。
「申し訳ありません。この子は未成年です。保護者の許可が必要になりますよ」
「ここのガーデンの人? あんた、店のなんなの。責任者じゃないでしょ」
オーナーの娘だと言い返したいが、それはお客様には関係のないことであって、このような高圧的な人には、例え接客する側だとしても個人的なことは伝えたくはなかった。
「ね、顔は写さないから安心して!」
女性が美羽の手首を強引に掴んで引っ張ったので、びっくりした美羽が反射的に振り払い、姉の背中へと逃げてきた。
「なんなの! あの茶道の人には撮らせて、私には撮らせてくれない理由を言いなさいよ!」
それは懇意にしているお客様だから――なんて、やはり言えない。お客様は平等であるべきで。だったら、やはり撮影させなくちゃいけないのだろうか。いや違う。舞は気を強くして頭を振る。
「ここのお店、SNSでよくアップされているじゃない。宣伝してもらって、もうけているんでしょ。見てよ! 私のフォロワーも四千人いるんだからね。あの茶道の人と同じぐらいに人気があるの。『いいね』もいっぱいもらえるんだから」
ほらほら――と彼女が自分のスマートフォンの画面に開いたSNSアプリのプロフィール欄を見せつけてくる。
あまりの勢いに、びくっとした美羽が小脇に抱えていたスケッチブックを地面に落としてしまった。しかもそれが開いた。女性の視線もそこへ向かい、釘付けになる。
「あれ、これって」
舞はハッとして、怯えている美羽の代わりにそのスケッチブックを拾おうとした。
だが遅かった。落ちて開いたまま、その女性がカシャカシャとスマートフォンのカメラシャッター音を鳴らす。
「この子が描いていたんだ。ということは、やっぱり茶道のババアには特別に撮らせていたってことじゃん。同じ客だよね、撮らせなさいよ」
もう美羽は泣いていた。震えて舞の背中にくっついている。
「いえ、あちらの先生は当カフェと企画を予定しているパートナーなので許可をしております。この子は未成年ですから、撮影許可については、この子の父親、当カフェのオーナーまでお願いいたします」
父親がオーナーと言った途端に、一瞬だけ女性が怯んだ。その後すぐに『チッ』と舌打ちをした。
「めんどくさ。いいわ、もう。こんな下手くそな絵、私のタイムラインが汚れる」
そう吐き捨てて去って行った。
その女性の背中が見えなくなって、やっと美羽がうわんと泣き叫んだ。
「気にしないの。自分の思い通りにならなかったから、こちらが傷つくことをわざと言い捨てただけで、美羽に対する真の評価じゃないよ」
それでも美羽は舞の胸元にぎゅっと抱きついて、わんわん泣いてやまない。
あんな恫喝と強要、子供には恐ろしかったに決まっている。




