④ 喧嘩相手は俺とだけ
年が明ける。三度度目の士別市での年越しと新年を迎えた。
徐々に変わってきたのは、この町での知り合いが増え、この家にも新年のお客様が来るようになったことだった。
野立ベーカリーのお父さんとお兄さん、木村農園の木村氏、羊毛のアパレル用品や、サフォークのジンギスカン肉を仕入れさせてもらっている、丘の上にある『ひつじ館』の館長さんや、紬工房の奥様たち。仕事で通じて新たに親しくなったお仕事仲間との賑やかな時間を、父も楽しそうに過ごしていた。
リビングで話に湧いているおじ様おば様たちをそっとして、舞は隣にあるキッチンへと向かう。
そこには舞と同じくエプロンをしている優大が、料理の追加分を作っているところだった。
「優大君がつくったカナッペがなくなっちゃったみたい」
「いま作ってる。まったくよう、親父のヤツ、息子の俺をこんなところでこき使いやがって」
「ごめん。私がするよ。父のお客様なんだから」
「うるせい。おまえより、俺のほうが手慣れてるだろうが」
ごもっともで。とても綺麗なカナッペを数種、優大はぱぱぱっと作ってしまうのだ。
「スモークサーモン。まだあったかな」
「あるよ。タマネギスライスとブラックオリーブもある」
苫小牧にある鮭食品老舗会社のスモークサーモンは、道民にとってもお正月のご馳走。父が欠かさずに用意してあるので、それを冷蔵庫から取り、優大に渡す。
「俺がもってきた小豆島のエクストラバージンオイルもくれよ」
「これだね。オリーブオイル」
舞はアシストに徹する。クリームチーズとイカの塩辛に、数の子とマヨネーズに海苔。お正月に準備していた物で、優大がクラッカーに彩りよく乗せていく。
「おまえ、食ってんの。おじちゃん、おばちゃんたちにばっか気を遣ってないで食えよ。ほれ、これとこれ」
できあがったばかりのカナッペを分けてくれる。実際のところ、お腹が空いているのも事実。舞も遠慮せずに手に取った。
「おいしいー。ほんとうに優大君が作るもの、なんでもおいしい」
ひとつ屋根の下で暮らすようになって数ヶ月。優大は実家に帰ることが少なくなってきた。
そのうちに、朝食も夕食も父と舞と一緒に取るようになる。そうしたほうが、実家から通うよりも、一緒に働く上川父娘と同じ生活ルーティンで上手く噛み合うようになっていたからだ。
今回も、大晦日の夜と元旦の夕方までは実家で過ごして、すぐにこちらに戻って来てしまった。
そうして三が日、父を訪ねてきたお客様をこうしてもてなしている。
リビングとキッチンは個別になっていて、ドア一枚で繋がっている。タイル張りの調理場にフローリングのダイニングスペースになる。そこで二人でせっせと追加分や、お酒の準備、お茶の準備などをしていた。
廊下に出るほうのドアは開け放してるが、そこに優大の父親が姿を現した。
「おー、ちゃんとやってるじゃないかー、優大」
優大と同じく背が高くがっしり系のお父さんが、缶ビール片手にほろ酔いになっている。
「うっせい。そこそこにして帰れよ。オーナーも舞も大変だろうが」
「そこはおまえがちゃんとやってやれよ。恩があるだろうが」
「車で来たくせに、飲みやがって」
「謙太が飲んでないから、あいつに運転させるんだ」
「ちっ。兄ちゃんも付き合わされてるってわけか」
男同士のつっけんどんなやり取りに、舞はハラハラしていた。そんな舞へと野立氏の視線が届く。
「舞さん、すみません。こいつの思うようにしてくれるために、いろいろ、嫌な思いをしてきたでしょう」
「最初の頃は、ご存じのとおりですけど。いまは大事な同僚です」
そう答えたら、目の前で和え物の盛り付けをしていた優大の手が一瞬だけ止まった。
「ほんと。こいつが嫌になったら追い出してくださいね。ちゃんとこっちで引き取りますから。優大、お嬢さんが傷つくこと二度とすんなよ!」
「……しねえよ」
消え入るような声だった。それから野立のお父さんが酔った勢いで息子を貶すようにからかっても、優大は黙々と調理に没頭していた。
そのうちに優大の兄『謙太』がやってきた。
「もう、父ちゃん、すっかり酔っ払って。もう帰るぞ」
「なんだって。まだ優大があんなに作ってるじゃないか。まだまだ盛り上がってきたところだぞ」
「だったら。邪魔しない。ほら行くぞ」
調理をしている弟に目配せをして、ほろ酔いのお父さんをリビングへと連れて帰って行く。
またキッチンに二人きりになる。
「ごめんな。せっかくの休みなのに、田舎の集まりみたいになってよ」
「ううん。いつも父と二人きりだから、賑やかで私はいいよ。あ、でも、優大君がいなかったら、ちょっと嫌だったかも? 優大君こそ……」
「だから。俺は慣れているんだって。家族がベーカリーで商売していて、店は手が足りていたから。余り者だった俺が家事をやっていたんだから」
「真面目なんだね。ニートにはならなかったんだ」
遠慮なく思い浮かんだことを呟いたら、優大が顔をしかめて舞へと向かってくる。
「相変わらず、嫌な言い方だな。しかも冷たくて素っ気ない」
「ごめん。でも、優大君なら、それこそ慣れっこでしょ」
「だよな。俺はもう慣れたし、そうじゃない舞は舞じゃねえわ。喧嘩売るならどんとこいよ、いつでも真っ正面から買ってやるからな」
いつものヤンキーぽい睨みは健在で、久しぶりにそんな視線が舞を捕らえる。でも、その後すぐに優大が笑う。
「おまえの相手ができるの、俺だけだろ。あ、父ちゃん以外な」
「そんなわけないじゃない。札幌に仲のよい友人もいるし、花のコタンでも理解してくれるチーフがいたもの」
「じゃあ、これからは俺だけだな」
妙に強引な言い方だった。舞はそこで、なにも言い返せなくなる。優大もハッとしたようだった。
「だからよ、こういうときに、舞らしくビシッと言い返して来いよ。調子狂うだろ」
「……わかってる。優大君とはずっと喧嘩する」
言い返したつもりだったのに。彼が目をそらした。
お互いに、いままでにない空気を感じ取って、そして知らぬ振りをするのだ。
舞を舞のままにしてくれる人は少ない。優大も既にそんな存在だった。
「あとで甘酒をつくってやるから。もう少し頑張ろうぜ」
「わ、楽しみ。美味しいお菓子もね」
「おう、あとでオーブンで焼くな」
都会の美味しいお菓子も好きだけれども、いまは望めばすぐに焼いてくれる人が側にいる。舞の楽しみであって、優大がたくさん与えてくれるものにもなっていた。
父親たちの新年会が終わると、父はそのままリビングのソファーで横になって眠ってしまった。舞もブランケットを掛けて、そっとしておく。
片付けも優大と一緒にこなした。片付けが終わると、優大はオーブンを使ってアーモンドのフィナンシェと、舞が好きなクッキーを焼いてくれた。
夕食の時間になっても父は眠ったままだった。
ダイニングで、優大とひっそりとした夕食を終える。
「オーナー、やっぱり疲れたんだな。眠ったままだ。夏も忙しかったからな。こんなに連日の休暇なんてなかっただろう。この冬の間にゆっくり休んでほしいな」
優大もカラク様同様、父のオーバーワークを案じていた。
「冬の間は営業時間の短縮と、隔日にしたらどうかと、私から父に提案したいけれど。優大君もそれでいいかな」
「お、それは賛成する。俺、食品やパン技師の資格を取る勉強を増やしたいんだ。どうせ、この町は雪が降ったらスキー客だけになる。その間に英気を養って、夏に備えたらいいと思う」
そんな向上心を秘めていたんだと、舞は優大の意欲にまた感嘆するしかない。
意見が揃ったので、二人一緒にて、父に提案することになった。




