4 数学科準備室にて
「どうしても、通す気はないのね……」
「ええ。それがアタシに与えられた使命。そして、ここで戦う運命」
扉の前に立ちはだかる奈央。手には黒板で使用するコンパスと、三角定規を盾のように構えて持っている。
私は一本の直線定規を握りしめ、構える。
一瞬の静寂。どこかで聞こえた椅子の動く音とともに、同時に斬りかかる。
私は勢いよく定規を振る。それを三角定規で受け止められ、コンパスの突きを体を捻って躱す。負けじと連撃を繰り出す。
守りから攻め。流れるような戦闘は私の後退によって止まる。
「どうしたのレイちゃん。まさか降参?」
「そんなわけないでしょ。それに、奈央はまだ気づいていない」
「なに?」
「私はまだ、2回の変身を残しているのよ」
「なん、だと……?!」
そういって、後ろの棚から武器になりそうな道具を探す。奈央は空気を読み、その場で止まったまま待ってくれている。
正直もうレパートリーがないので、もう一本の直線定規を持ち、構えてみせた。
「待たせたわね」
「な、それは数学の草ヶ部にしか使えないという、伝説の二刀流?!」
「早くしないと授業始まるから。一気に決めるわよ!」
颯爽と斬りかかる。2本になった攻撃はその勢いを飛躍的に向上させ、奈央は防戦一方となった。
やがてそこに隙が生まれ、空いた頭に、軽く定規で叩く。
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?!」
「これで勝負ありね。さあ、早く私を授業に行かせなさい」
「……ふっ。アハハハハハハハハハハハハハハ!」
「何故笑う。いや、まさか……?!」
「そう、アタシには究極の奥義がある。これを凌ぎきれるかしら?」
奈央はゆらりと立ち上がり、持っていた武器を捨てる。
そして彼女は、禁忌と呼ばれた技を繰り出そうとしていた。
「身体はチョークでできている」
「え、なんて?」
「血潮は赤色。心は白」
「それ材料じゃないし。てかそれ止めなさい! 肖像権とかいろいろあるから!」
「ただ一度の赤点もなく、その……身体はチョークでできていた!」
「覚えてないんかい」
彼女の隣の棚。チョークの入った箱を取り出し、指の間に挟んでみせる。にやりと笑い、手を大きく掲げる――
「あ、ちょっと。本当に投げる気?!」
「アンリミ〇ッド・○レードワー○ス!!」
「ダーーーーーーーーーーーーーメーーーーーーーーーーー!」
奈央は一切の静止を振り切り、次々とチョークを投擲する。
力はそんなに強くないので当たっても痛くはないが、砕け散っていく新品のチョークが床に落ちてゆくを見て、心が壊れそうになった。
こんなの、小学生だってしないのに――
「アタシは、自由だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
彼女の雄たけびと同時。学校中にチャイムが鳴り響く。同時に、奴は現れた。
テストも授業も厳しすぎることから名付けられた異名。
鬼の赤点メーカー。数学の草ヶ部だ。
「……柴崎が遅れるのは珍しいと思ったが、そうか。白羽も一緒だったか」
「先生違うんです。これは……」
「そうだよ。レイ……柴崎さんが!」
「今更押し付けないでよ! もとはと言えば」
「二人とも、終わったら職員室まで来るように」
静かに告げるその姿は、鎮座する不動明王像の如く。音のない威圧に晒され、私たちは小さな声ではい、と答えた。
運命をかけた戦いは、思わぬ形で終わりを告げた。
☆
「はぁ。高校生にもなって反省文を書かされる日が来るとは……会長にネタにされる」
「レイちゃん1枚でアタシは3枚とか、この扱いの差は何?!」
「罪の重さと、日頃の行いでしょ」
正論に奈央はがっくりと肩を落とし、進まない反省文を前に突っ伏していた。
今思えば、どうして珍しく校内で派手に遊んでしまったのだろう。
先生に媚びを売るつもりはないが、成績を下げられないよう真面目に振る舞っていた柴崎麗奈は、一体どこへ行っていたのだろう。
それもこれも、一緒にいたら気が緩んでしまう彼女のせいだ。
ひとつ、大きなため息をつく。
「でも、楽しかったっしょ?」
「それは……」
無邪気な笑顔を浮かべる奈央。先生が見たらまた怒りそうなものだが、私にとっては――つい許してしまうような、愛しい笑顔だった。
「たまには、悪くないかもね」
「じゃあまたやろう?」
「あのね。流石にチョークはダメよ? 器物損害でお金とられるようなことはしないで」
「はーい」
この顔は、また何かやらかそうとしているものだ。しっかり見張っておかなければ。
窓の外を見る。校舎内にある桜の木はそのピンクの花びらを散らし、時間が過ぎてゆくことを知らせている。
こうして4月は半ばを過ぎ、学生たちの希望。ゴールデンウイークが近づいていた。