3 時間が解決することは滅多にない
「奈央先輩! このあと……カラオケ行きませんか?!」
「……え?」
「あ、2人じゃないですよ? ダンス部の人も誘うので!」
「えーっと。どうしようかなぁ……」
「とか言われたんですが! どうしよう?!」
昼休み。
後輩の男に呼び出されてそう提案されたらしい。奈央にしては珍しく動揺しており、少しだけ可笑しくなる。クスリと笑うと、奈央は声をより大にして突っかかる。
「いいの?! 男と遊びにいくんだよ?!」
「ああ、その心配? 自己申告してるうちは大丈夫でしょ。別に奈央の遊びを制限する気はないし」
「やだ、この子寛容すぎ……男をダメにするタイプ!」
「はいはい。じゃあ私は生徒会あるから」
「ん、これはただ冷めてるだけ……?」
そんなことはない。むしろ気にならないといえば嘘になる。何せ彼女の武勇伝を一番近くで聞いていた私だ。彼女のことはよく理解しているつもりだ。
だからこそ、今回は彼女信頼してを送り出すことにした。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「……今の嫁っぽい! もう一回言って!」
「いやだ」
この軽さが、彼女を信頼しきれない理由だよなぁ……
♡
約束通り、奈央は後輩の男子に誘われてカラオケに行くことになった。
他の人は先に向かっていると伝えられ、奈央と後輩だけで道を歩いた。既に麗奈に睨まれそうな状況だ、と奈央は気が気でない。
告白されるのだろう。奈央は直感でそう思う。
だっていきなり誘い出し、他の人も来るからと彼女を来やすくし、お互い気まずくならずにかつ距離を詰めようという寸法。よくある手法だ。
この手のお誘いは何度も経験があるので、素直に乗っかったりはしない。今のうちに断り文句でも考えておこうと、ただ後輩の後をついていく。
「遅くなりました! すみません!」
「思ったより早かったね~」
「白羽。今日は来てくれてありがとう」
奈央は戦慄した。
それは他でもないメンツ。よりにもよって、もっとも仲の良かったダンス部の同級生たちが勢揃いしている。
部活を辞めてから半年以上。一言も話していなかった彼女らと突然の対面。彼女にとって気まずい以外の何者でもなかった。
断り文句ばかり考えていた自分が急に恥ずかしくなる。同時に、部活を辞めたころを思い出す。
楽しいことはあった。しかし、蘇るのは……
「どうした奈央。早く行こー?」
呼ばれた声にはっとし、慌てて集団を追う。
彼女の心は、台風が過ぎた川のように荒れ、かき乱されていた。思い出したくないものばかりが頭の中を駆け巡る――
俯きつつ、誰にも聞こえない声で呟いた。
「ほんと、最悪……」
♡
1、2年生合同。合計10人のカラオケが始まった。
順番は1年生から、終わったら2年生と回してゆくらしい。
小百合、柚希、美香がこちらへ振り返っている。彼女らは最後まで奈央が辞めることを引き留めてくれた、大切な友達……だった。
今となってはどうでもいい。遊んでもいないし、学校で見ても声はかけない。
友人関係はさっぱりしている彼女らしいが、今回はとにかく徹底的だった。3人にどう思われようと、当時の奈央にとってはどうでもいことだった。
彼女は新しい居場所を求めて今の生活を選んだ。
が、今日のイベントはそれを許さない。そう言っているようだった。
耐えきれなくなって、一度部屋を出た。するとやはり、3人は追いかけてきた。
「待って奈央。急にこんなことされたら嫌なのもわかってる。でも、こうでもしないと話してくれないでしょう?」
柚希が奈央の肩を掴む。彼女は真面目で正義感の強い人間だ。これを考えたのもきっと彼女だ。
気弱で仲間想いな小百合も、世話焼きな美香もきっと、奈央のことを心配してこの企画を立てたのだろう。判ったうえで、彼女らに問うた。
「どうして、こんなことを?」
「3年の先輩たちも卒業したでしょ? もう部員に奈央を煙たがる人もいないよ。誘った彼だって、本気で奈央に興味持ってる。だからさ、ダンス部に戻ってきなよ」
「奈央ちゃんがいれば、もっと部活も楽しくなる。だから、私からもお願い」
「私も。奈央なら後輩とも上手くやっていけるよ」
今にも泣きそうな顔で、3人は必死に奈央へ言葉を投げかけた。
その想いは間違いなく本物だ。きっと部活に戻れば、楽しい学校生活を送れるかもしれない。
けれど――
「アタシは戻らない」
「どうして!」
「一度抜けたら、中途半端な気持ちでは戻れない。そう思ってるだけ」
「誰も止めないし、悪いとは思わないよ」
止まらない懇願。それを断ち切るように、奈央はいつもより低い声で、薄く笑った凍るような表情で、告げた。
「さっきからみんなみんなって、アタシの気持ちは? みんなはいいんだろうけど、アタシに戻る気はないんだから無駄だよ。仮に情けで戻ったとしても、あのときのように楽しむことはできない。これ以上引き留めるなら、アタシ、本気で怒っちゃうかも」
同時に3人の心が音を立てて崩れる。今まで見たこともないような……いや、辞めるときもこんな顔をしていたかもしれない。
奈央も心が痛む。だが、これはどうしようもなく決まってしまった意志なのだ。揺らぐことはない。
「アタシ予定あるから。これカラオケ代ね。後輩君には、悪いけど付き合えないって言っといて。それじゃ」
奈央はくるりと踵を返し、その場を足早に去っていった。
だが、少しだけスッキリした。逃げた彼女をまだ心配している人がいたことに、言いようのない安堵が生まれていた。
やはり、彼女はまだ後悔していたのかもしれない――
♡
すっかり外は夕焼け色に染まり、オレンジ色になった校舎を背に自転車を走らせる。
すると校門に、思わぬ人物が立っていた。
「お疲レイちゃん! あ、全然待ってないよ~」
「奈央……カラオケ行くんじゃなかったの?」
「うーん。途中で帰ってきちゃった」
複雑な表情を浮かべる彼女を見て、私はなんとなく状況を察した。
でもその顔はあまり辛そうではなく、どこか嬉しそうでもあった。
「そう。ならいいけど」
「うん。じゃあ駅まで乗せてって!」
「えー……交番の近くでは降りてよね?」
「やったー! レイちゃん優しい~」
そういうと、彼女は自転車の後輪にまたがり、私の腰にしがみついた。
顔が近くなる。振り返れば……なんて妄想を振り払い、自転車を進めた。順調に走り出し、一直線に続く道を静かに進む。
「ねえ、レイちゃん」
「うん?」
「アタシは、今が一番楽しいよ」
この言葉に、どんな意味が詰まっているのかは分からない。だが、今の奈央は少しだけ、迷いのなくなったような声色をしていた。
楽しいならそれでいい。私も、今が一番楽しいのだから。
ずっと二人で、いつまでも。
そんな、子どもの夢のような台詞を描いた。
少しだけ重い話でした。
奈央は悪い子じゃないんだよ……