駄文製造プログラム イジロー
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
あ、先輩、もしかして、レポートをもう出してきた後ですか?
やっぱり……ちょうど、今日が締め切りですもんね。私もぎりぎりまで推敲していました。
締め切りに遅れてはいけないというのは自然ですけど、早く出してもいけない、と聞くと、私は変な気分がしてきますよ。
こう、ですね、夏休みにぱぱっと宿題を終わらせて、残り時間をゆっくりバカンスに使いたいのに、許してもらえないような感じですね。
今までの人生でも、そうじゃなかったですか? 学校見学したり、願書出したり、入試を受けたりとか、早めに終わらせたいとか、納得いくまで手直ししたいとか思っても、日時が決まっていて……。
――え、出すのが学校関係ばかり?
そこは私の人生経験から、お察しください……私の作品、学園か異世界ジャンルしかないでしょう? 前者は良く知っているし、後者は好き放題できるからですよ。現実の制度やルールに縛られず。
リアルなんてくそくらえな、非効率的で、ご都合主義な世界を創っても「異世界だから」で、カタがつく。私のような人生の青二才にとって、書きやすいんです。やり過ぎて叩かれることもありますけど……。
そりゃ、名声への憧れはむんむんですよ。でも、究極的には執筆も賞への応募も、好きだからやっていること。ちょっと酸をぶっかけられたくらいで、根っこまで腐っていられませんって、ええ。
先輩、この後時間あります? レポート出してきますから、一緒に学食でお茶でもしませんか? 先輩の好きそうな話も手に入ったんです。気に入ってもらえるといいんですが。
これは私の友達が話していたことです。
知り合いのおじさんに、小説を書いている人がいるらしいんですよ。何度か書斎を訪れた時、膨大な紙束が転がっていたのが、印象的だったとか。
暇さえあれば、色々な賞に応募しているらしく、作品をいくつか読ませてもらったところ、ジャンルもタッチも多種多様。読んでいて頭が痛くなる硬派から、読んでいて目がすべってしまいそうになる、ぎりぎり日本語と言えるユルい文章まで。
クオリティも様々。目も当てられないひどい出来もあれば、プロ顔負けの文章と面白さを持っているものもある。
「まだまだ、駄文量産屋の域を出ないよ」
おじさんは笑っていたそうです。デスクトップパソコンと、百科事典を脇に置いた作業机の前にある、プラスチックの安物イスに腰かけながら。
「でも、こいつらの有効活用法がある。執筆がてら、こんなプログラムを組んでね」
おじさんがデスクトップを立ち上げると、その上のアイコンの一つをクリック。名前は「駄文製造プログラム イジロー」となっていました。
パッと展開された画面は、Wordとほとんどおなじだけど、上部のツールバーに「シャッフル」「再変換」の項目ボタンが入っています。
「これは打ち込まれた文書の文字や句読点をいじるプログラムなんだ」
おじさんが、別のウインドウで作品ファイルを立ち上げます。文字数はおよそ10万文字。
「システム的には20万文字を超えると、処理に時間がかかる。ゆくゆくは大河ドラマレベルの長編も組み込みたいんだがね」
おじさんは展開した文書を、すべてコピー&ペースト。「イジロー」にそっくりそのまま、作品が貼り付けられました。
「シャッフル」ボタンをクリック。すると、整っていた文章が、意味不明の文字列になりました。
「文字通り、10万文字あまりをシェイクしたわけだ。ほとんどが意味不明だろ? けれど、偶然、意味の通る単語、断片になることがある。それが面白い」
今度はおじさんが「再変換」のボタンを押しました。意味不明の文字列たちは、たちまち、漢字に置き換わります。その様は、およそ経典のようです。
「このパソコンには、私が集めた漢字が入っている。常用範囲外はもちろん、今は使われていないようなものまで。探せば探すほど、リアルタイムで追加している。もうおよそ10万文字は入ったかな。どうだい、これ読めそうかい?」
友達はじっと画面を見ましたが、初見の漢字が多すぎて、わけがわからなかったようです。
それを察したおじさんは、「読んであげよっか」と、朗々とした声で読み始めます。
たいていが知っている五十音の並びでしたが、イントネーションからして、中国語の読みをしていると友達は感じたそうです。
最初の一分は、ただ国語への侮辱ともいえる、音読が続きました。しかし、友達はじょじょに下りエレベーターに乗って、急降下しているような、不思議な感覚に襲われます。
開いたブラインドのすきまから入って来ていた陽の光も、青信号に照らされたように、緑がかったものになっています。書斎にある本棚、写真立て、ストーブたちも、ひとりでに揺れ始めました。
地震かと思い、かがんで床に手をつこうとする友達を、「今は、いけない」と、音読を止めたおじさんの鋭い声が制止します。
はっと止まった、友達の腕の先。10センチほど先にあったはずの絨毯。そこが蝶の口吻のように渦を巻き、ちょうど友達の拳を呑み込めるサイズに開いていたとか。
けれども、それも数秒のこと。あっという間に口を閉じて、小さくなり、もとの変哲のない網目模様に戻っていたのです。
部屋の震えも収まり、窓から入る光の色も、元通りに。
「物語は別世界への入り口、というだろう? 文章によって招くものが違う。私はどうやら、そこへの切符を手に入れたらしいんだよ。この『イジロー』でね」
誇らしげにパソコンをなでて、いすごと振り返るおじさん。その靴下は、犬に噛み疲れたように破れており、血がにじんでいます。先ほどまで、穴すらなかったというのに。
「私は別世界にだいぶ気に入られたようでね。もっと色々な作品と世界に触れたいんだ。知れ渡ったものじゃない、作者しか知らないような世界に触れたい。そのためなら、もう手段は選ばないよ」
おじさんの目がギラギラ光り、おそれを成した友達は、帰る旨を伝えます。
去り際におじさんは、いくつかの文学賞の名前を告げました。どれも今年に入って賞金総額がアップし、競争率の増加が見込まれるもの。
「今年は、それらの賞を狙っている」と言い添えて。
数ヶ月後。それぞれの文学賞は公募期間を終えました。
ですが、その後に発表された公募総数は、予想を大きく裏切り、例年をはるかに下回るものだったとのことです。