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リフレイン 〜特別な贈り物〜  作者: 館狩 夏樹
第一章 Stop when the……
3/3

憎らしい花粉と気まぐれな春風


 こんぺーが亡くなったのは、私たちが中学校という新たな環境と、初めての制服というものに心を躍らせていた三月の末だった。



     * * *




 その日お気に入りの腕時計が七時ぴったりを指したまま止まってしまったから、私は近くの時計店へ電池交換をしに行こうとしていた。出かける時はいつもペットのパル(当時はまだ小さかったピーグル)も連れて行くのだけれど、日は沈んでいたし、パルも眠っていたので、一人で行くことにした。読んでいた本を片付けて出かける支度をしていると、一緒に部屋にいた紗華が


「別に今じゃなくてもいいんじゃないの?」


 そう言ったけれど、私は


「お気に入りの時計なの。だから今すぐ取り替えたいし」


 と返して、部屋を後にした。この時計は、私がまだ小学五年生の頃にお父さんが買ってくれたものだった。特別高価なものではないけれど、当時の私にとっては、腕時計を誕生日のプレゼントとしてくれるなんて、お父さんが私を大人として認めてくれたような気がしてとても嬉しかったことを覚えている。


「ちわっす。まーたうちの母ちゃんが煮物作りすぎちゃったみたいで。よかったら、食べてください」


 階段を降りると、玄関先から何やら通りの良い声が聞こえてきた。


「あらあら、いつもありがとうね。どう、上がっていかない?」


「あ、いえ。今日は晩飯食っちまったんで。また今度お願いします!」


 どうやら、いつものようにおっとっとがおかずのおすそ分けに来たようだ。”おっとっと”こと、古賀こが乙稀おときの家は農業を営んでいて、この辺でも有名な野菜農家だった。その美味しい野菜をふんだんに使ったおかずを持ってきてくれるもんだから、いつしかうちのお母さんも常にそのおすそ分けを夕食のメニューに加えてしまっていた。


「こんばんは」


 玄関に行って、そう声をかけると


「よっ、さっち」


 と言って、おっとっとは親指を立てて見せた。彼は相変わらずの色黒で、その小麦色の肌はまるで夏に日焼けサロンにでも行ったような色だった。なんてゆうか本当に、エネルギッシュボーイという感じがしていた。


 小さな敬礼ポーズを返した後、私はお母さんに針の止まった時計を見せた。


「時計屋さん行ってくるね」


 最寄りの時計屋さんは歩いて十五分ほどのところにあって、だからそこまで遠いわけではなかったけれど、私のその言葉にお母さんは


「こんな遅くに行くの?」


 と驚いたような声を上げた。けれど私は


「近いから大丈夫」


 と言って、だいぶ古くなってきた運動靴を履いた。


 お母さんは元気で明るい性格だけど中々の心配性で、私が出かける時は昼間でも不安そうな顔をする。さすがに中学生になろうというこの頃になってからは極度の心配は無くなったけど、いつも玄関の外にまで出てきて見送りをしてくる。


「雨降りそうじゃない?」


「快晴だよ、外」


「風も強いよ?」


「葉っぱが揺れてるかどうかも怪しいよ」


 そんな私たちのやりとりに、おっとっとが白い歯をのぞかせて、がははと声を上げた。それは和やかな家族の雰囲気と春の穏やかな気候と混じって、より一層優しいそよ風を誘う。おっとっとは頭の後ろに手をやって


「俺も行きましょうか?」


 と笑って、そのまま


「家の近くなんで」


 と言った。私はさっきより大げさに敬礼ポーズをして


「あ、じゃあ付き合ってよ」


 と言った。私の声は風に運ばれてきた花粉に負けて震え気味になってしまい、違う国の軍人さんが言う言葉のように響いた。


「よろじぐ」


「おっし、行こうぜ」


 そう言っておっとっとは加減の知らない力で私の背中を引っ叩いた。バシンという音は、私の家の玄関どころか隣の家のリビングまで届いてしまったんじゃないかと思うくらい大きく鳴った。


 お母さんは眉を八の字に垂らして「気をつけてね」と言って、小さく手を振ってくれた。今思えば、その姿は紗華の無言挨拶とよく似ていた気がする。


 その日の外は、肌にやわらかくて気持ちが華やいでくるような夜気に包まれていた。






「みんみ」


 おっとっとが急にみんみの名前を口にするから、私は不意を突かれてついびくりとしてしまった。


 みんみとはしばらく会っていなかった。中学の入学準備で忙しいとのことだったけれど、私は、みんみが私たちと会おうとしない理由がそれだけではないことは知っていた。


「やっぱダンススクールが近い中学に行くんだってさ」


「やっぱり。その方が何かと負担少なくて済むよ」


「……淋しくねえの?」


「そりゃ淋しいけど、仕方のないことじゃん。じんちゃんだってボクシングやるために鶴見の方の中学行くし、せゆちんだって私立の中学受けるんだもん。みんなそれぞれ事情があるんだよ」


「そうだけどさ……」


「なになに?せゆちんと離れ離れになるのが嫌なの?」


 おっとっとは顔を真っ赤にして、また私の背中を叩こうと手を上げた。私は慌てて避ける体制に入ると、間一髪でその張り手をかわした。彼は馬鹿力だから、まともに二発も受けたら赤く腫れるどころじゃ済まない。おっとっとは火照った頬をそのままにこちらを睨んだ。


 ややあって、私がぷっと吹き出すと、彼も呼応するかのように笑顔を浮かべた。


 こうして笑いながら、冗談を真っ向から受けてくれるおっとっとは、私の中で初めて出会った頃のおっとっとそのままだった。せゆちんのことが大好きな、嘘の天気予報を信じて暑い日でも何枚も上着を着てくるくらい純粋で、素直な男の子だ。


 でもこのところ、おっとっとはよく淋しげな表情を浮かべるようになっていた。感情を露わにして怒ったり泣いたりすることは以前にもあったけれど、せゆちんのこと以外でため息をつくことも、どこか遠くを見てぼんやりすることもなかったというのに。


 前は丸刈りだったとはいえ相変わらず髪は短い、けれどおっとっとの目元にはよく影ができるようになっていて、差し込んでくる光を拒否しているように見えることもあった。


 おっとっとは真っ直ぐで優しいから、別の中学に行ってしまうみんみやじんちゃん、せゆちんのことを、特別な感情を抜きにして淋しく思っているんだろう。だからこの頃、みんなの話をすることが多くなっていた。


「ねえ、おっとっと」


「なぁんだぁよ」


 今度はおっとっとが花粉にやられて、知らない国の軍人のような言葉を発した。私のそれが最前線に配置される特攻部隊の言葉だとしたら、おっとっとのそれは、指令を出しながら仲間の安全を思い続ける本部の軍人、そんな人の言葉みたいだった。


「本当は私だってすごく淋しいよ……」


 私のその声を最後に、コンクリートを蹴る乾ききった音以外の音が消え去った。何気なく下を向くと、いつの間にか私の古い靴の底は剥がれかけてきていて、不恰好だった。


 一瞬、少し強めの風が吹いた。


 今まで温厚だったそれは少しやんちゃになってきて、私たちの上にある電線を揺らす力を強める。おっとっとの短い髪さえも、流れるようになびかせた。


「……だよな」


 ようやく沈黙を破ったおっとっとの声は、まだ少し異国の軍人さんの言葉のような響きを残していた。しかし同時に、なんとなくそれが花粉のせいではないのだろうということも感じた。


「そうだよな……」


 私は少し歩くスピードを早めて、すぐにでも時計屋さんに着きたいと思った。おっとっとはいつの間にか私の隣ではなく後ろを歩く形になっていて、お互いがお互いの顔を見ることは無くなった。今の私たちにはもう少し多くの花粉があった方が、都合がいい。そう思っていたのに、さっきまで強めに吹いていた風が、ぴたりと止んでしまった。


『タイミング悪い』


 夏の花火を見た時、みんみがおっとっとに言った言葉を思い出して、私はバッグを両手に抱えて駆け出した。






 あの日の夜に現れた憎らしい花粉と、気まぐれな春風を私は一生忘れることはないだろう。望んだこととはまるで逆のことをするそれらは、まるで私を嘲笑うかのようだった。いや、私だけではなく、おっとっとも。私たちの進むべき道に遮断機を下ろしたかのようで、何度蹴飛ばしたってそれは上がろうとしなかった。


 しばらく歩いているとようやく時計屋が見えてきて、再び歩む足を早めようとした、その時だった。


 後ろで、聞き慣れないベルが鳴ったのだ。


 振り向くと、おっとっとがポケットから携帯電話を取り出していた。どうやら電話がかかってきたようだ。


「携帯持ってたの?」


「キッズ用だけどな」


 おっとっとと私は久しぶりに顔を見合わせた。


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