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リフレイン 〜特別な贈り物〜  作者: 館狩 夏樹
第一章 Stop when the……
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夏の朝


 早朝の夏の朝比奈家には、冷房をかけていなくても涼しい風がふわりと吹き込んできて、どんよりと濁ったような暑い昼間とは大違いに心地よい。けれどまだ日の昇りきっていないこの時間は、私にはどうもしっくりこない。


「あら、早いわね」


 顎が外れるくらい大きなあくびをしながらダイニングキッチンに行くと、お母さんが驚くようにこちらを見て言った。わざわざ食器を洗う手を止めるくらいだから、私の早起きがいかに貴重であるかがうかがえる。


「うん……なんか目が覚めちゃった」


 そう言ってテーブルの方に目を移すと、肩下まである髪を耳下できっちり二つ結びにしている妹の紗華すずかがもう既に座っており、文庫本を読んでいた。私、もしかしたら十七年間生きてきてまだ一度もこの中学生より早く起きたことないかもしれない(赤ん坊の頃を除いて)。なんてことだ。


 妙な劣等感に苛まれながら「おはよう」と言うと、紗華は無表情のまま小さく手を振り、無言の挨拶を返してきた。端から見れば無愛想に見えるかもしれないけれど、実際にはとても愛嬌がある紗華の無言挨拶だ。最近の朝は大概、こんな調子のやりとりで始まる。


 けれど夏休み初日という今日の朝はいつもと違っていて、心くすぐられるような、わくわくした気分になった。それは小学生の頃から変わらず、太陽もだらだらした生活を始めそうな私に棘を向けているみたいだ、いつもより強い日差しを放っているように見える。


 私はそんな太陽に無言の抵抗をするように、いつもよりゆっくり、一口一口噛みしめるように朝食を取り始める。うん、今日の朝食も美味しい。


 お母さんの作る食事は手が抜けていることなんてなくて、いつでも美味しそうに彩られている。


 今日のサンドイッチだって具は定番のものだけれど、手作りで焼きたての食パンにサンドしたてというのが見てわかるくらいフレッシュだ。こんなに新鮮な野菜をどこで手に入れたのか気になったけど、一度聞くとまた長いうんちくを聞かされそうなので、あとでスーパーの袋を盗み見することにする。


「また落ちたの?」


 サンドイッチを頬張りながら、紗華が言った。最初は何のことを言っているのかわからなかったが、やがてその質問の意味を悟った私は、引きつった口元を無理やり上げて笑顔を繕い、頭を掻いた。


「気をつけてたつもりだったんだけど……」


「沙月のベッドの周り、柵作る?」


 お母さんはケラケラと笑いながら私の隣に座って言った。手には野菜ジュースのパックが握られている。私は一つ目のサンドイッチの最後の一口を頬張り、牛乳で流し込んだ。


「この歳になって柵つけてもらうの恥ずかしいよ」


「毎朝落ちる方が恥ずかしいと思うけど……」


 夏休み初日でも紗華は容赦ない言葉の矢は健在のようだ。


 私と紗華は二人で一つの部屋、すなわち姉妹共同の部屋で生活している。それゆえに寝るときも二段ベッドを使用しているのだが、私の寝る下の段には柵がない。家具屋や建築士の人曰く「大して高くないから大丈夫」らしいけれど、とんだ冗談。実際は落ちると案外痛い。


「紗華、沙月の寝相見たことある?」


 お母さんが野菜ジュースにストローを差し込みながら言った。さらっと口にしたけど、私が一番答えを聞きたくない質問だ。


「この前土下座みたいな姿勢で寝てたよ」


 それを聞いたお母さんは野菜ジュースを噴き出す勢いで笑った。


 私は自分の睡眠姿勢というものに疑心暗鬼になり始めて、立ち上がって紗華に訊ねる。


「嘘でしょ?私そんな姿勢で寝てたの!?」


「嘘だよ」


 ああ、よかった。


 安堵の気持ちからふっとため息を吐くと、お母さんがストローくわえたまま腕を組んで


「でもあんた、寝る体制まで雑なのね」


 と言った。問題は、それだ。


 この朝食といい、野菜ジュースといい、何かと気を配る丁寧な性格であるお母さんの子どもだというのに、私はとてもいいかげんな女だ。自分の机の周りがきっちり片付いていることなんて一年のうちに十日あれば良い方だし、物の扱いも自分でわかるほど雑。”サバサバしている”なんて言えば響きはいいだろうけど、私の場合は完全に”がさつ”であるからどうしようもない。


 逆に紗華はと言うと、お母さんほど口数は多くないが、その器用さと丁寧な性格はしっかりと受け継いでいる。私の制服のとれかけたボタンも何度か縫ってもらったことだってあるし、部屋の掃除を任されれば完璧に綺麗にしてみせる。おまけに、とても大人びていて淡々とした口調で話す割に根はものすごく素直だ。私が男の子だったら、紗華に惚れていたんじゃないかな、とまで思ってしまう。


 遺伝って不公平だな。


 ぼんやりとそんなことを考えながら二つ目のサンドイッチに手を伸ばした______が、私のお皿の上には目玉焼きが一つ寂しそうに盛り付けてあるだけだった。少しの間お皿と見つめあった後、私はサンドイッチを頬張る紗華へと視線を移した。


「紗華」


「ん?」


「そのサンドイッチ、誰の?」


 口元を凝視する私を見ると、リスの頬袋のように口を膨らませている紗華は


「まあまあ」


 と、よく分からない返事を返してきた。


「それ!私のでしょ!なんで食べてんの!?」


「いやあ、ぼーっとしてたからいらないのかなと思って」


「ねえ、お母さん!酷くない!?」


 いつもなら早朝になんて出そうにない大きな声とともに、お母さんの方を向く。だがお母さんは紗華に何も言うことなく、一口だけサンドイッチを口にした後


「弱肉強食!」


 と、わけのわからないことを言った。


「……なにそれ」


 諦めて私は、目玉焼きにいつもはかけない醤油とともに口に運んだ。分量がわからずかけすぎてしまったのか、少ししょっぱい。


 いつもより長くしようと思っていたのに、逆に短くなってしまった朝食という幸せな時間を終えた時、私はいつもなら紗華の隣のイスに座るであろう主がいないことに気づいて、


「お父さんは?」


 と訊ねた。ややあって、紗華は満足そうな表情で両手を合わせ「ごちそうさま」と言うと、その整った端麗な顔をニヤリと歪ませた。


「二日酔いでダウン中……」


 なるほど、と私は言った。言われてみればお父さんは昨日、だいぶ遅くに帰ってきた。いや、確か時計は十二時を回っていたから、正確には昨日ではなく今日だ。


「紗華、起こしてきて」


 お母さんが少し不機嫌そうな声でそう言うと、


「おとーさんおきろー」


 と、紗華が小さい声で棒読みをしてみせた。絶対にお父さんには聞こえていなかっただろうけど、お母さんはそれ以上何も言わずに、私の方を向いた。


「ねえ沙月、今日は孝太郎こうたろうくんの月命日だけど、お墓参り行くの?」


「……うーん、行くけど、親族の人たちの邪魔になっちゃうから昼間は行かないかな。夕方に行くよ」


「そう」


 お母さんはため息を吐いて、どこか遠くを見るように目を細めて呟いた。


「早いわね、もう六年……か」


 私はゆっくりと頷いた。こみ上げてきた記憶を一つ一つ辿るかのように、そっと瞼を閉じる。


 その時、紗華が何も言わず静かに私のコップに牛乳を注いでくれた。



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