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プロローグ


 大事なものは 私たちのすぐそばにある


 あまりに近すぎて 気づかない


 あまりに親しくて わからない


 そのくせ 


 それが離れることなんて


 想像できなくて したくなくて


 未来から目を背ける



 いや もしかしたらわかっていたのかもしれない


 私たちが離れ離れになることなんて 最初から


 そうじゃなかったら 


 いつか


 大切な繋がりが断ち切れてしまった時のために


 それぞれの断片を交換し合うなんて


 悲しい真似はしなかったと思うから______




     * * *




 展望台の階段を登り終えるや否や、


「俺たこ焼き頼んだだろ!」


 男の子としては少し長めでサラサラな髪を振り回す小柄な少年が、鬼気迫る顔で怒り始めた。その隣で屈託なく笑う少女が食べているりんご飴や、完璧に着こなされた赤い着物、それらと甲乙つけがたいくらいに顔を真っ赤にしているところを見ると、相当ご立腹のようだ。


「ごめんごめーん。ついうっかりー!」


 通称”みんみ”、松戸まつど美波みなみは全く謝意の感じられないトーンでそう言った後、その赤い着物のすそをひらりとひるがえした。小学六年生とは思えないくらい着物姿が似合っていて、通りすがる人々が思わず振り返ってしまうほど可愛い。いや、美しいと称した方が適切だろう。


 けれど、今回歩行人がこちらを振り返る要因は間違いなく違っていて、みんなから”じんちゃん”と慕われる長瀬ながせ仁大じんだいがものすごい剣幕で怒声をあげているせいだった。クスクス笑いながらこっちを見る人もいれば、中には心配そうな顔をして足を止める人もいた。


「自分のりんご飴はきっちり買ったくせに、何がうっかりだ!都合よすぎんだよ!」


 じんちゃんの嫌味ったらしいその言葉に我慢の緒が切れたのか、さすがのみんみもりんご飴を握る力を強めて目を大きく見開く。


「なにそれ!?人間なんだからうっかりするときだってあるじゃん!」


「うるさい!」


 じんちゃんが今にもみんみに飛びかかりそうになったので、私が止めに入ろうとした時、


「そろそろ花火……始まるよ」


 という小さな声が聞こえた。


 振り向くと、照れくさそうにたじろぐ”せゆちん”こと、宮坂みやさか聖奈せなが、俯きながら着物の袖をしきりに気にしていた。鼻の先についてしまいそうなくらい長い前髪がその目元をすっぽりと隠してしまっているけど、きっと視線は相変わらず下を向いているのだろう。


 そんな姿を見たじんちゃんとみんみはお互い気まずそうな表情をして顔を見合わせる。ややあって、「あんたのせい」と呟いた後、みんみはせゆちんの方を見て、小さく頭を下げた。そしてすぐに、じんちゃんも「ごめん」と口にした。


 せゆちんは二人を見て控えめに微笑んだ後、再び夜の風景の方に視線を移した。


 彼女に惹かれるようにやってきた穏やかな夏風が、二人のエネルギッシュな心をそっと撫でながら私の頬を優しくかすめて行ったような気がした。


「せゆちん、ありが______」


「そ、そうだ!せっかくの花火大会なんだからせゆちんの言う通り、喧嘩やめようよ!」

 

 私がお礼を言おうとした矢先、せゆちんの後ろから間の悪いげきが飛んできた。いや、タイミングの悪い檄というよりかは、ただ単にせゆちんに便乗したかっただけであろう台詞だ。


 やがて、迫力のない怒り顏を浮かべた坊主頭の、”おっとっと”というあだ名の古賀こが乙稀おときが、ぎこちなくこちらに歩いてくる。


「喧嘩やめなよ!」


 そんなおっとっとを見たみんみは深いため息を吐いた後、腕を組んで私の心を代弁するかのように口を開く。


「タイミング悪い」

 

「へ……?」


 空気の抜けた顔と間抜けな声というお供を連れて、おっとっとは辺りをキョロキョロ見回した。その姿にあのじんちゃんさえ呆れた顔になっているくらいだから、彼の天然っぷりもすごい。


 私がそんなやりとりに思わず吹き出すように笑っていると、


「さっち」


 隣で手すりに肘を預けながらぼんやりと遠くを眺めていた、”こんぺー”と呼ばれる来島きじま孝太郎こうたろうがほんの小さな声で私のあだ名(朝比奈あさひな沙月さつきという名前ゆえのもの)を呟いた後、私の左肩をポンポンと叩いた。


 どおん!


 彼の方に振り返った瞬間、お腹の底まで伝わってくるようなとどろきが耳に響いた。こんぺーが見つめる先へと視線を移すと、夜空を背景に大きな大きな花火が開いていた。


 それはここにいる全ての人を釘付けにしてしまうくらい綺麗な花火で、でもみんみの美しい着物姿やじんちゃんの鬼気迫る険相とはまた違う。見るものを圧倒するような迫力があった。宿った生命を精一杯、見せつけているかのようだ。


 大きく開いたそれをきっかけに、他の花たちも各々の花びらを咲かせ始める。まるで花火が花火へ、「おーい」と呼びかけているみたいに、そしてその言葉に呼応するかのように、次々と。


 丸いもの、しだれ柳のように咲くもの、噴水の形に似たもの。


 言葉で表すのが難しいくらい様々な形が、夏の夜空にそれぞれの芸術を描いている。


 あか色のもの、だいだい色のもの、臙脂えんじ色のもの、色のもの、みどり色のもの、あお色のもの。


 私たち各々の感情を彩ったかのように無数の色が、限りなく広い黒のキャンバスいっぱいに広がっている。


 さっきよりも少し暖かくなったそよ風が連れてきた火薬の匂いが少しばかりくすぐったい。


「綺麗じゃん」


 みんみは、さっきまで喧嘩していたことを忘れてしまったかのように、笑顔の花を満開に咲かせた表情をじんちゃんに向けた。けれどじんちゃんは口を尖らせ、そっぽを向いてしまう。もしかしたらさっきのは喧嘩じゃなくて、二人にとっての会話なのかもしれないな、と思った。


 おっとっとは何が何だか分からないといった感じであたふたした後、頬を紅潮させながらせゆちんの隣に行って、ロボットみたいなお辞儀をした。応えるように、せゆちんも俯きながらにこりと微笑む。


「……来年も見られるかな」


 不意に、漆黒の髪の間から細めた目を覗かせるこんぺーが、蚊の鳴くような声を出した。


 来年は私たちも中学生という事実ゆえの、何気ない言葉だったに違いない。だがなぜか、私の心が一度ドクンと大きな鼓動を刻んだ。小学校のマラソン大会の時でさえ聞いたことのないような、大きな鼓動だった。


 そして気づけば、私の瞳からは涙が溢れていて、眼前に広がる花火たちを霞ませた。


 どうしてこんなに淋しいんだろうか。


 みんなと過ごす時間は何よりも楽しいはずなのに。


 また来年もみんなで見ようと思っているはずなのに。


 ここには私のそばで笑ってくれる仲間もいるはずなのに。


 今、とんでもなく幸せなはずなのに。


 瞳いっぱいに溢れた涙が少し火照った頬を伝っていく。


 声がかすれていることなんて気づかずに、私は出ない言葉を何度も何度も、必死に絞り出そうとしていた。


「見られる、絶対」


 そう伝えなきゃ。来年も、絶対一緒に見るんだって。


 けれど私の声なんて聞こえていない彼はこちらに目を向けることなく、私の後に続くかのように一粒、小粒の涙を地面に落とした。


 ああ、だめだよ。ちゃんと言わないと。


 そう思っていたのに、声たちは私の口を出ようとしない。まるですぐそこに迫った未来が、しっかりとせき止めてしまっているかのように。


 言わせて。


 言わせてよ。


 だって、もしも言えなかったら。もしも伝えられなかったら______


 





「ん……うわっ!」


 ドスン。


 鈍い音が鼓膜を、硬い床が脳をいたずらに揺らして、私を一気に現実世界に引き戻した。どうやらいつものように、アウトオブザベッドで目が覚めたみたい。



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