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8/11

『文通』  ラブ格

 彼女は僕の文章に目を通したのだろうか。僕の気持ちを受け取ってくれたのだろうか。彼女からの手紙の返事は未だ来ないままだった。



「何書いてるの、手紙?」

 着替えを手に僕の傍らに母が近づいてくる。ほぼ毎日とはいかないが入院している自分のところに訪ねてきてくれる。入院してからもう何ヶ月たったのかわからないが、担当の医者が言うにはもうすぐ退院できるらしい。

「そう、手紙だよ。 ずっと前に病院を移っちゃった女の子に送るんだ。」

 送り先の女の子は数ヶ月前までは同じ病院で闘病している子だった。いつも笑顔で弱音を吐かない僕から見て、とても強い子。そんな彼女も病気には勝てず、自分のいる今の病院では治療が存続できなくなったらしく他の大きな病院に移ったのだ。

「そうなんだ。 どんなこと書くの?」

「たわいもない普通のことだよ。」

 そう、僕たちにとっては普通の会話なのだ。

 窓から見える花壇の花が綺麗、今日の空は曇りとかそういった簡単な風景、現状をつらつらと書いている手紙も僕にとっては書いている時や読んでいる時でさえ楽しい一時だ。彼女は、この文章を読んで前の病院からの風景を思い出してくれるだろう。そんなことを思うだけでペンが進む。



「手紙が届いてましたよー。」

 ナースさんが僕のもとに手紙を届けてくれる。彼女との文通も三通目を超えた。手紙を真面目に書いたことのない僕達は拝啓とか前略などを使わない。いつも決まって、元気?病気はどう?などから始まる。病人ならではといったところか。遊びに誘うこともない。ただただ僕達の変わらないで欲しいと願っている日々をひたすら伝え合うだけなのだ。これは文通と呼べるのだろうか。手紙によってコミュニケーションを取るというより、初めの文章以外は一個人の日記に似ているものかもしれない。ただ、僕はそれで満足していた。



 今日届いた彼女からの手紙はいつもと違っていた。いつもはどこにでもありそうなボールペンで書かれていたが、今回のは違っていた。文章に目を通すとその理由がわかった。

「誕生日に万年筆を買ってもらったんだ! これからはこの万年筆を使って手紙書くね。」

 文章から見て気持ちが高ぶっていることがわかる。彼女は僕との文通をとても楽しんでいることがわかって心無しか安堵した。

「万年筆か……。 僕には手が出せないな」

 彼女に手紙を送ることについては楽しいが、自分の文章力のなさは熟知していた。僕も真似して万年筆を買っても宝の持ち腐れだろう。そして、親に万年筆を買ってと言い出すこともできないだろう。そんなことを考えて返事を書いていた。



 彼女と文通を初めてこれで何通目になるだろうか。万年筆を買った彼女はそれからというもの、文を書く事に楽しさを覚えたのか質問や自分の病状、病室で見たテレビの話などたくさんの話題を振ってくれるようになった。それに応じて僕もできる限り話題に答え彼女にも答えやすいように返す。そして、こちらからも彼女が入院している病院での出来事などを聞いてコミュニケーションと呼べる全うな文通を送り合うようにしている。便箋の枚数も徐々に増えていき、枚数は二枚、三枚と増えていた。



 彼女から病状が悪化していると伝えられたのは、割と早かった。手紙を送ってくるペースも段々と遅くなり、やがて便箋の枚数、書く文字数も減っていってしまった。彼女が言うには今度手術をするらしい。彼女のお気に入りの万年筆によって描かれる文字は徐々に弱々しく小さく、そして細く見えていた。


「もうこの手紙のやり取りも長くはできないかもしれない……。」

 普段弱音を吐かない彼女が初めて弱音を文字にしていた。

「もう万年筆を握る力もなくなってきたし、手が震えてしまう。 日々私の中で力が抜けていくのを感じるの。」

 僕は返す言葉が見つからなかった。僕が見てきた、思い描いていた彼女は強く元気な女の子であった。それが今はこんなにしおらしく元気がない。僕はこの事実を文字によって、彼女の現在の姿を創造するしかない自分がとてももどかしかった。どうして自分も入院しているんだ。彼女のもとに行って、顔を見て彼女を励ましたい。そう願おうとも何も変わらない。


「もし……私がもう文字を書けなくなったら、私の代わりにいっぱい文字を書いて。 私の代わりにいっぱい文字に起こして。 私の代わりにいっぱい楽しんでね」

 こんな言葉を彼女からの最後のメッセージにしたくない。その一心だけで僕はペンを持った。心の中の思いをそのまま文字にして伝える。初めは慰めの言葉を送るつもりだった僕も励まし、応援の言葉を多く使っていた。そしていつしか僕の目には涙が溢れ、便箋の文字を黒く黒く滲ませていた。


 

返事を送ってからしばらく経った。彼女のからの返事はまだこなかった。手術は成功したのだろうか。元気にしているだろうか。僕は怖くて自分から手紙を送ることができなかった。


「お届け物だって」

 僕のそばにいつの間にか母が立っていた。手には自分に宛の封筒が一つ。心臓が早くなるのを感じた。


封筒の中には万年筆と便箋が一枚。便箋は彼女宛からだった。

「今までありがとう。 私が使い古して光沢も何もないけど、使って。」

 たった二行のみで終わってしまった彼女からの手紙を手に握りしめ艷の無くなった使い古された遺品に、涙を流すことしかできなかった。


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