『譲った化け物・譲られた化け物』 トレモロ
「師匠、此処で本当に合ってるんですか?」
「……うん、あってる、あってると思う、けど……」
私たちは今の時代珍しい、自然に囲まれた森の奥地に来ている。
この世界、というより地球から環境問題を全て解決しきったここ数十年。どの様に解決したかというと、【環境問題を解決するには、環境を壊し尽くして、再構築。後は全て我々で管理してしまえ】という、色んな意味で到達的な発想だった。
まあ、それで環境問題はしっかりきっちり解決しきったのだから、私からしたらご先祖様ありがとうと言う感じなのだが。
そんな時代だからこそ、此処まで自然豊かな場所は珍しい。
見渡す限り生い茂る木々が乱立している。
今の時節が影響してか、葉は散り、少し寂し気ではあるが、それでも作り物ではない、自然を感じるのは久しぶりだ。
だが、自然に慣れていない私たちは、此処に来てから目的地にたどり着くまでに、迷いに迷った。
普段は舗装されて、綺麗になった道ばかりを、元あった物全てを壊して、新しく構築された人の為だけの街を歩いて生きて居るのだ、だから純粋な自然物だけの地形には難儀した。
そうやって苦難の道のりを超えた先に漸く見えてきた目的の建造物。
自然物だらけの場所に、ひっそりと環境を崩さないように森と同化して建っている、木造建築の一軒家。
外から見る限り二階建ての、そこまで大きくない家だ。
要するに宿屋である。
「取り敢えず入ってみようか、鈴無君」
私の名前を呼んだ師匠に続いて歩きながら、宿の中に入っていく。
朴訥としたデザインのドアについてる無骨な金物式のドアノッカーを叩きながら「すいませーん」と呼びかける師匠。
すると、中から何かが歩く音、それも妙な音程の、リズムを刻むような物音が聞こえた後に人が出てくる。
「おや、これはこれは」
出てきた人間は髭を蓄えた壮年の男性だった。
大柄で威圧感があるが、表情が柔らかいので恐怖は感じない、人当りの良さそうなイメージだ。
「こんな辺鄙なところに人がくるとは珍しい、当店にご宿泊のお客様ですかな?」
「はい、予約はしてないのですが、大丈夫ですかね?」
「勿論で御座います。趣味でやっているような宿屋ですから、ご不快かもしれませんが、どうぞどうぞ」
声質も態度も表情同様柔らかに、宿屋の主人がドアを大きく開けて中に招き入れてくれる。
外見同様、宿の中の雰囲気も、木造が中心のようだ。
木の香りがするのが、なんとなく気持ちが良い。
「ではまずお部屋にご案内させて頂きます。ああ、お荷物は宜しければお持ちいたしますよ」
「いえ、結構です。有難うございます」
師匠は手ぶらだから、私に対して言ってくれたのだろう。しかし、右手にある小さいケースは、他人に預けるのは少々不安が残る代物だ、好意だけ受け取っておく。
主人は私の返答を聞いて、特に不快感を示す事も無く軽く笑みを浮かべ頷く。
そして、前を歩いて案内の為に進んでいく。
「今日は観光にいらしたんですか?」
宿屋の主人が、二階にある部屋に案内がてら、世間話を振ってくる。
「いやぁ、そうだったら良いんですが、残念ながら仕事で来てまして」
「ほう、仕事ですか?」
主人は不思議そうな顔で、こちらに顔だけをむけてくる。
まあ、そうだろう。仕事も何も、こんな場所で一体何をするというのだという感じだ。
だが、私たちは仕事出来た。
「ええ、僕達、之でも化け物退治とかの、そういう仕事をしてまして」
「……嗚呼、成程、そういう事ですか」
師匠も主人も、互いに苦笑い。
まあ、そうだろう、私達みたいな仕事をしている人間を、歓迎する人はそう多くない。寧ろ、主人の様に露骨に嫌悪感を出さないのは、珍しい部類と言える。
化け物退治の専門家。呼び方は色々ある、でもポピュラーなのは【ゴミ掃除屋】。意味合いとしては、化け物というゴミを掃除する、同様のゴミ野郎の集まり、と言ったところだ。要するに蔑視の対象である。だが同様に居なくてはならない存在なので、人に嫌われながらも頼られていると言ったところだ。後、公務員なので安定してて、そこら辺はグッド。
化け物の存在については一々説明するまでも無いだろう。
まあ、アレだ、人は暇だったんだ。
世界は平和になって、国家間の争いなんて消え去って、環境問題も全部解決して、向こう千年は安泰だって状況に飽きてしまった。
暇過ぎて暇過ぎて、だから人を化け物に変えるなんていう事に精を出す奴等が大量に出てきた。
人を豊かにした技術を、全部遊びに費やした。
そして色々出来てしまった。
漫画みたいな、アニメみたいな、小説みたいな。そんな物語に出てくるあらゆる非現実を現実に可能にしてしまった。
その所為で、それを取り締まる力が必要になった。
力にも種類は或る。非現実だった力を現実にしたことで、色々と世界に影響が出た。それはもう強く色濃く。
そしてその力を国が【悪】と見定めた時、それらは【化け物】と認定される。
そうして私達みたいな存在が、その化け物を駆除する。
そういう仕組み、そういうお話。
以上、冗長な説明終了。
◇
「それで、此処を拠点に付近を捜索して、化け物を見つけ次第駆除、という流れで良いですか?」
「そうだねぇ。まあ、出来れば今日中に仕事を片付けてそのまま帰ってしまいたいねぇ」
「そうですね。まあ、化け物は一体という話でしたし、対して目立った活動をしていない化け物らしいですから、可能でしょう」
「……目立ったことをしてないのなら、なんで駆除する必要があるんだって話だけどね」
「……」
宿屋の主人に部屋を案内され、大雑把に食事の時間などの諸注意を聞かされたあと、私と師匠は矢張り木の香りが漂う落ち着いた雰囲気の部屋で、これからについて軽い打ち合わせをしていた。
化け物を駆除するという仕事は、基本的に地味だ。
数多の化け物が犇めき合ってるこの世界。だが、化け物、というより、非現実な力を持つ現実の存在が、この地球に産まれてから三百年以上の時が経つ。
故に、それらに対処する方法も、機関も、しっかりと整備されている訳だ。
だから、私達ゴミ処理屋は、そのマニュアルに沿って地道に仕事を熟せばいい。
疑問をはさむ必要はない。
実際はその化け物が何も人に危害を加えていなかったとしても、地球が、世界が、国がその化け物を「駆除せよ」と命じてきたら、私たちは駆除しなければならない。
疑問を差し挟んではいけない。私たちは、只駆除すれば……殺せばそれで良い。
私たちの仕事はソレだ。
私、鈴無と、師匠、ルイ・リディックの仕事は、そういうモノなんだ。
「それじゃ、早速行くかい鈴無君?」
師匠は座っていたベットから立ち上がり、私に微笑みながら言う。
よく見ればこの部屋、あるのはベット二つと、椅子二つのテーブル一つだけだ。他の調度品は無いし、恐らくシャワールームか風呂かは一階だろう。
矢張り、こういうこじんまりとした宿屋は私達が住んでいる平均的な街にはあり得ないので、新鮮だ。
しかし、確かに私は女っ気の無いガキだが、一応年頃の少女と言って差し支えない人間だ。
師匠もなんとなく雰囲気が老成してるけど、年若い男性。同じ部屋に居るのはどうなのだろう……。
まあ、私の背がそこまで高くない上に、師匠が長身痩躯な所為で、親子か何かに間違われたのかもしれない。
親の仕事を社会科見学で見に来た女子、みたいな。
無いか、無いな、どんだけ危ない社会科見学だ。
と、そんな事を考えていたら、部屋のドアがノックされる。
はーい、と言って出ると、優しい笑顔の主人が顔を出した。
「お客様、丁度お昼時ですし、先ほどご説明させて頂いた通り、お食事のご用意が出来ましたので、宜しければ下の階へどうぞ」
あ、そうだった、出かけようとしてしまったけど、ご飯はもうすぐに出るという事だった。
「是非頂きます。師匠もお腹すいてますよね?」
因みに、私はペコペコである。
此処までそれなりに距離があったし、朝ごはんは食べる暇が無かったからである。
「ん……」
と、師匠は何故か棒立ちのまま、思案気にこちらを見てくる。
え、何? 私の顔に何かついてます? あれかな、さっき森道を抜けてきたから、葉っぱとかが髪に引っかかってるとか?
私は短髪だから、絡まるという事は無いだろうけど、気になるな、ちょっと手で直しておこう。
「そうだね、頂きますけど、宜しければ、ご主人もご一緒にどうです?」
「へ……?」
私が髪を撫でり撫でり汚れがついてないか確かめていると、師匠が笑顔で変な事を言いだした。
主人も意表を突かれた様で、変な声が出てしまった様だ。
「お、お客様とご一緒にというのは、流石に……」
「まあまあ、そういわず。折角こんなに自然豊かで優しい空気の所に来たんだ、堅い事は言いっこなしでいいじゃないですか」
師匠はやけにニコニコしながらそんな事を言う。そんな師匠に主人も断り切れず、一緒に食事をすることを承諾してしまった。まあ、別に私は構わないが、師匠の意図が不明でなんだか不気味だ。いや、普段から何考えてるかよくわかんないから、不気味な面が少なからずあるのは確かだけどね。
◇
「それでですねー、最近は淫魔が客から吸い取る精気が多すぎるって事で、結構な数の娼館が取り締まられましてねー。正式に法律に、精気吸引の量が決められたんですが、それを守る為の基準値検査機が高いのなんのって」
「ほう、それは大変ですな。矢張り、国が支給する製品では正確性に欠けますか?」
「そうみたいですねぇ。その癖基準値をしっかり守らないと、営業停止になっちゃうわけですから。民間の検査機を買う羽目になるわけで。それが分かってるから、企業の連中も高く売りさばこうとするんでしょうねぇ」
「まったく何とも、最近は国の認可も随分とおかしな方向へ発展してるようですな」
「その通りです。他にも似たような話が合ってですね――」
初めは恐縮していた主人も、大きなテーブルに対面する形で座り、師匠があれやこれやと色んな話をしている内に、どうやら楽しさの方が上回ってきた様で、二人で国やら制度やらの話を続けている。
主人の手作りであろうオムライスを頬張りながら、私はそんな二人の話を師匠の隣に座りながら黙って聞いていた。
主人はこの自然あふれる場所から余り出る事は無い上に、こんな奥地では新聞等も取れず、そもそも電気が余り通っていないとかで、テレビも見ていないらしい。
だからなのか、この森の奥地の事以外の情報には酷く疎い様で、師匠の話をとても興味深げに聞いている。
「いやぁ、お客様のお話は、大変興味深いモノばかりだ。久しぶりですよ、こんなに誰かのお話を聞かせて頂いたのは」
本当に楽しそうに主人は言う。まあ、幾ら宿屋とはいえ、こんな場所に来るのは本当に奇特な人間だけだろう。話し相手に飢えるのも分かる気がする。
「ははっ、大した話はしてないですけどね。でも主人はこの宿を初めて長いんですか?」
「ええ、まあ、それなりに長いですかねぇ」
主人は何処か寂しげな表情をしながら、微笑みを絶やすことを無く続ける。
「昔からここには人が余り来ませんでしたから。年に数人来るお客様を持て成すのはとても楽しいですねぇ。偶に、貴方様みたいなお客様が、街の話なんかを聞かせて下さいまして」
師匠も私も、主人の話を黙って聞く。
これまた木造のスプーンでオムライスを食べながら。
「お客様方は化け物を退治して下さるお仕事をなさっているのですよね。此処にもそのお仕事の為に、という事で」
「ええ、そうです」
師匠は微笑みながら、頷く。
「偶に来るお客様もそういう方々が半数でした。この森に多く居る、化け物達を倒して、そうしてこの宿に一泊して帰っていかれました」
「……ご主人は、何故、そんな化け物達が多く居る森に、宿屋を構えようと思われたんですか?」
なんとなく、質問をした師匠の笑顔が、冷たさを滲ませたような気がする。
なんだろう、この違和感。
なんだか、この会話に、この場所に、少し引っ掛かりを覚える。
「なんでしょうねぇ……。でも、この森に居る化け物が、私を襲った事は一度もありませんよ。たったの一度も、ね。それでも、国の、世界の定めた規定で、彼らは化け物に認定されてしまった。何もしていないのに、何も悪いことなど」
「……そうですね。何もしていないのに、今の国は、存在で種族で、悪と善を組み分ける。同じ様な力を持っていても、定めた規定で、ルールで力を持った善良なる者と、力を持った化け物に分けられる」
個人の行動ではなく、集団的な存在の規定により、善と悪とを決定づけられる。
生まれた時から違法な存在が、この世界には明確に存在している。
この時代には自由があるから、其の事について文句を言っても誰も責めない。だけど、ルールは滅多に変わらない。今が平和でどうしようもなく楽しい時代だというのは、大多数の人間が感じている事だから。この国は、多数決で回っている。
絶対的な基準点など存在しえないのだから。
「いやはや、お客様に詰まらない話をしてしまいましたな。どうぞ、ご容赦を」
「いえ、こちらこそ、失礼を」
主人は寂しげな顔を引っ込め、ポンッと明るい笑顔を取り戻す。
「ああ、そうだ、ご主人。景気直しに、良ければここに結構な銘酒があるんですけど、どうです今から一杯」
と、唐突に着ているコートの中からボトルを取り出す。
今から仕事だつったろーが……。
私が止めようとすると、違う方向から否定の言葉が来た。
「いえ、申し訳ありません。私、お酒はどうしてもダメでして……。お付き合いすることは……」
「ありゃ、そりゃ残念」
残念。じゃねーよ、仕事前に何一杯ひっかけようとしてんだ。
「じゃあ、鈴無君。仕事をしようか」
さっきまで職務放棄をしようとしていた人間の言葉とは思えないモノが聞こえてきたが、椅子から立ち上がり去っていく師匠についていかざるを得ない。
「あ、ご主人、ご馳走様でした。オムライス、美味しかったです」
「有難うございます。御夕飯もしっかりご用意させて頂きますので、お仕事お気をつけて言ってらっしぃませ」
優しい笑顔を浮かべて、白髪交じりの黒髪頭を下げて主人は送り出してくれる。
良い人だ。
きっと、ホントに良い人だ。
私は、なんだか暖かい気持ちで、師匠の後を追って、宿を出た。
◇
「それで。師匠、どうしますか」
宿屋を出たすぐの所で、師匠は待っていた。
私も既に手にはケースを持って準備万端だ。
「んー。そうだねぇ。今回の対象のデータ、もう一度言ってくれる?」
「はい。駆除対象名は【肉鬼】ですね。つい数か月前に管理外存在禁止人外生物に登録されて、正式に化け物の仲間入りです。姿形がそもそも化け物に似ていたため、古くから差別の対象にはなってきましたが、とある特殊能力がある事が発覚し、それが危険と見なされ化け物認定を受けています」
肉鬼。
筋肉繊維などが外側に露出しており、外見が非常に醜悪。見る者に不快感を与える容姿が特徴的。
その他は余り人間と骨格や体内器官は変わらないが、体液が猛毒であるという点が注意点。また、人間と似ているというように、個体によって性格が非常に疎らである。数はそこまで多くないので、社会を形成などはしていない。
情報を師匠にあらかた伝える。尤も、彼は既に其の位の事は頭に入れているだろうが、私の記憶力をテストしているのもあるのだろうから、素直に答えて置く。
「そうだね。肉鬼だ。全く、外見が怖いとすぐ人は怯える」
ポツリと呟いて、師匠は私に背中を向けて歩いていく。
私はその背について行きながら質問を再度繰り出した。
「それで、師匠、どうするんですか?」
「うん……」
おざなりを返事をした後、こちらは見ないまま背中で師匠は返答。
「仕事は本当に早く済みそうだ。だけど、一つ確認しておきたい事がある。だから、それを調べるよ」
「了解です」
そうやって、暫く、木々の生い茂る道を二人で歩いて行く。
私は何時化け物が現れるか警戒しながら、ケースに意識を向けて師匠の傍を歩く。
師匠は時々、生えている木の根元を調べたり、地面を調べたりしている。
何をしているのかイマイチ分からないが、私は忙しそうな師匠の代わりに周りに目を配る。
あの主人の話では、昔からここにはゴミ処理屋が来ることがあったらしい。ならば、肉鬼以外にも化け物が潜んでいる可能性もゼロとは言い切れない。
国が唯一民間よりも圧倒的に優れた技術で作り上げたのが、化け物を探査する機械だ。
名前はそのまんま【化け物探査機】とか言う、ネーミングセンスの欠片も無いどころか、やる気すら感じられないものだが、その探査機は本当に精度が高い。
国が管理していない化け物を地球上のどこからでも見つけ出して、そこに居る個体数、種類を調べつくし、一切の間違いなく此方に情報を送ってくる。
その情報を元に、化け物を片端から駆除していくのが私達、ゴミ処理屋の仕事だ。
今回の肉鬼の駆除数は、たった一体。危険度が低い相手というのもあり、途轍も無く楽だが、それでも油断だけはしてはならない。
油断は人を殺す。誰かを殺す職業だからこそ、自分達の死も常に意識していないといけない。
「鈴無君。もう、イイや」
「へ?」
そうやって警戒していた所に、師匠からの言葉。
「え、ええー。幾ら何でも早すぎません?」
「いんや、もういいよ。もう分かったから、宿に帰ろう。なんやかんや結構良い時間だし、夕飯も出来てる時間でしょ」
なんだか酷く優しげな顔で、師匠は私に言う。
何なのだろう、今日は一段と師匠が穏やかで、何処か寂しい印象の受ける笑みを浮かべる事が多い。
別に普段が厳しい人という訳ではないどころか、甘い人ではあるけど。
だが、言われてみれば、先ほどまで昼の明るい時間だったのに、今は辺りが薄暗くなっている。
警戒に気を張り過ぎて、時間を気にしなさ過ぎた。なんだかドッと疲れが来るが、夜の森は危険だ、先ほどより注意を強めないと。
「鈴無君は真面目だねぇ」
「師匠が不真面目なだけです」
「あははーん、ご尤も」
軽口を言いあいながら、師匠と私は宿に帰った。
◇
私達はしっかり料理を作って待ってくれていた主人にただいまを言いながら、すぐに食事に移った。
ケースを置いてこようかと思ったのだが、何故か師匠にそのままでいいから早く食べようと急かされ、椅子の脇にケースを置く。
そして、主人はまた師匠が強引に誘い、一緒に食事をとる事に成った。
木製の食器の上に乗っていたのは、シチューとパン、それに軽いサラダだ。頂きますをして食事に手を付けると、身体に沁み渡るとても良い味だった。
主人の心の暖かさが、そのままシチューに反映されてるみたいで、こっちの心も優しくなれそうだ。
「それで、どうでしたかお客様。化け物は見つかりましたか?」
昼食の時と同様、幾つか他愛のない話をした後、主人が言う。
「いやぁ、見つかりませんでした。どうにも森は広くて、こんな広大な場所を探すなんて、そもそも無茶だったかもしれません」
「そうですか……。確かに、個々は多分お客様方が普段目にしてる環境に比べて、田舎過ぎるでしょう」
主人は微笑みながら言う。
優しい目だ、とても、きっと心も優しい。
良い人なのだ。良い人なのだと思う。
「まあ、それに別に森の中で目標を見つける必要はありませんでしたから」
「? そうなのですか?」
「ええ、ただ、ちょっと確認したい事、最終確認をしただけです」
師匠はパンを食べきり、シチューも綺麗に平らげた。サラダは少し残っていた、まあ、この人野菜嫌いだしね。生は特にダメらしい。
師匠もきっと料理の味を気に入ったのだろう。美味しかったから、食べきったのもあるだろうが、主人の人柄も手伝ったのだろう。
ごみ処理屋は、食事を誰かに任せない。
そう、違和感の一つはそれ。私たちが他人の出されたものを食べる。それが既に異例。
「初めから、森の中に目標が居るとは思っていませんでしたから。森を探す必要も厳密には無かったんですよ、というか、私たちが何かを【探す】必要なんてあるわけないんです」
「……どういう事でしょう?」
主人は困惑している。
師匠の言っている事は、一般人に多少分かりにくいだろう、だけどその通りだ。
国が最高の技術で作り上げた探査機。
地球の何処に居ようと、化け物認定した存在を見つけ出す。
種類を。
個体数を。
そして、【場所】を。
そうだ、探す必要などない、リアルタイムでこちらが持つ端末に送られてくる情報に照らし合わせれば、化け物の場所などすぐわかる。
探す必要はない、見つけてすぐ殺せばいい。
「私たちはとっくに分かっていた。殺すべき化け物の場所が。殺さないといけない化け物の事が何もかも」
笑顔は絶やさず、瞳だけを凍結させていく。
師匠は対面する人物に、告げる。
「ご主人。貴方こそ、私たちが殺す化け物だ」
重い空気が流れる。
押し潰されそうなほどの重圧。
発信源は師匠と、そして私。
ケースを蹴り上げ、ギミック動作で射出された二丁の化け物戦闘用小型サブマシンガンを両手に握り、主人に向ける。
そうだ、分かっていた。とっくに、はじめから、誰を殺すべきか。駆除するべきか。
「……」
主人は動かない、椅子に縫い付けられたように。私の構えた銃など気にせず、真っ直ぐ師匠の目を見る。
意外な事に、その瞳は困惑の色を残しながらも、穏やかだった。
そして、そのまま穏やかな声音で、言葉を投げかけてくる。
「お国の高性能レーダーという奴ですか……。ですが、それならば何故食事や探索など、無駄な時間を?」
確かに、宿から出てきた油断だらけの主人を打ち殺すことなど他愛も無かった。
私たちはプロだ、気配など悟られず、位置がわかった時点ですぐに殺せる筈だった。事実、そうやって迅速に仕事を終わらせる処理屋は多い。
でも、私達の、師匠の流儀ではない。
「まあ、そのなんですかね、確証が持てなかったんですよ」
「確証ですか? レーダーが確実な正解なのでは?」
「そうは私も、この鈴無君も思い切り良くいけませんで」
「師匠の言う通りです」
そう、信じられないのだ。
化け物が分かりやすく悪事をしてくれていれば、すぐに殺せる。だけど、そんな化け物は少ない。
勿論そういう分かりやすい奴等も居る、街ではそういう騒動が起こる事も結構数ある。
「貴方を見て、殺すべき化け物だなんて思える人間はそう居ないですよ。処理屋の人間でもね」
隠遁した生活をしている、人が寄り付かない場所で静かに宿屋を営んでいる。
それを見て殺すべき化け物だと断定する事は難しい。
「はじめっから目を瞑って、探査機を盲信して殺せるならば楽なんですがね、どうやらそんな事は私にゃできない。顔突き合せて、化け物だって認定して、それから引き金を引かないと、責任を取れないんですよ」
「責任、ですか」
主人は思わずと言ったように、軽く笑う。
「あなた方は、レーダーよりも自分達を信じていると、そういう事ですか」
「ま、そうですね。自分達の目が一番分かりやすい。間違っても自分の所為に出来る所が、尚良い」
「くははっ」
今度は先ほどの軽い笑いと違って、明確に声をあげて笑う主人。
そしてまた、こちらに真っ直ぐ瞳を向けて言う。
「では、あなた方の目に、私は化け物に見えたという事ですか?」
「はい」
師匠は即答する。
「誰にも危害を加えた事が無い私を、あなた方に食事を出し、宿を提供しただけの宿屋の主人を、あなた方は化け物と認識したという事ですか?」
「はい」
師匠は即答する。
「貴方がたの化け物認定基準は、国の制度。化け物の感知の仕方はレーダーと、貴方がた自身の目。それで認めた化け物を、あなた方は殺すという事ですか」
「はい」
師匠は即答する。
答えは用意されている、全て、師匠も、私も、何を言われても揺らがない。揺らげない。何人の化け物の屍を超えてきたのか、それを考えたら、私たちは即答が求められ、即応以外認められない。
「ご主人。貴方の種族は肉鬼だ。昔までは体液が猛毒というだけで、容姿で蔑視されている以外、対して取り上げられなかった非現実生物に過ぎない。だが、貴方がたには最近新たに能力がある事が国に知られた」
武器を構え続ける私に対して、師匠はただ主人の目を見据えて話し続ける。
「それは人間への擬態。完璧なまでの模倣性。私たちの様な【人類】にとっては余りに恐怖だ」
人間は弱い。
すぐ身近に居る誰かが、もしかしたら肉鬼かもしれない。
それだけで人は恐怖する、疑心暗鬼になる、綻びが生じる。
化け物を人は許容できない。
化け物を認める事が、出来ない。
だから、管理できない異常存在は、殺す事でしか、平和を保てない。
元は、自分たちが遊び半分で作り上げた存在なのに。
「……もう一つ、聞きたい事が」
主人は穏やかに、何処まで言っても穏やかに問いかけを発する。
「どうぞ」
「貴方が得た、レーダー以外の確証とは、何でしょうか」
簡単です、と師匠は前置きしながら語る。
「まず、この宿屋、木造建築ですが、部屋の中も、調度品も全て木製だ。少しくらい金属製のモノが無いというのはどうにも違和感がある。しかも、之だけ木造りなのに、ドアノッカーだけ金物というのも違和感があり過ぎでしょう。肉鬼の伝統的風習に、【内の世界には木を、外の世界には鉄を】という、モノがあるのは前に文献で読んだので、まず第一の確証になる」
主人は、イイや、肉鬼はその話にニコリと笑顔を見せながら頷く。
「ええ、そうです。肉鬼は個体数が少ない、だから身内には木のような温かさを、外部には鉄のような強い思いを示せと、そういう教えがあるのです」
それはきっと、少数で生きてきた存在だからこそ、大切な何かを守る為に、差別を受けてきたからこそ、大切な何かを護る為に
「もう一つは、肉鬼の体液の事だ。肉鬼の体液は一月に一度、一定量排出しないと毒素が自分の体に周り悪影響が出る。だから森のどこかに排出した体液を出す場所がある筈だ。そして、生き物全般には猛毒であるその体液は、植物には寧ろ成長促進の効用があると聞いたことがあった。だから、ここら辺の木々が妙に生い茂ってるのは、肉鬼が近くに居る可能性があるという事に成る。案の定、幾つかの木の根元や地面に、体液を効率良く木々に送りこむ簡素な仕組みがあった」
「ふふっ、ガーデニングというのもなかなか楽しいものですから。少々広い庭ですがね」
「まったくですね、でもとても良い庭です」
「恐縮です」
主人は笑顔で、師匠は険しい顔で言葉を交わす。
「そうして、貴方は私が肉鬼だとご自分の目で確信したわけですか」
「そうです。何もかも貴方が化け物だという証左になった。これであなたを殺すことに、不安は無くなり、責任が生じるだけです」
私たちは弱い、だから、確信が無いと、自分に言い訳できる何かが無いと、何もできない。弱い種族だ。人間は、数多の非現実性の生物たちの中でも、昔から、何時まで経っても、弱すぎる種族だ。
「質問は異常ですか、ご主人」
「ええ、終わりです。有難うございましたお客様」
「鈴無君」
「……はい」
師匠に言われ、私は定例句を口に出す。
「ご主人、いいえ、管理外非現実生命体【肉鬼】。貴方がこのまま国の収容施設に入ら居ない場合。我々が貴方をこの場で処刑することになります。我々は国の認可を受けた処理係であり、この決定は国の裁断です。貴方にもし国の保護を受ける意志があるのなら、仰ってください。今すぐ生命の保護をする用意がこちらにはあります。如何致しますか?」
「断ります」
即答だった。
「おっしゃる通り、私は肉鬼です。貴方がたが化け物と仰るのなら、化け物なのでしょう。ですが、それはあなた方人類の、いや、国の人間の考えです。我らは肉鬼です、人ではなく、非現実性の数多の存在ともまた違います。ですが、化け物ではない。化け物ではないのです。私たちは肉鬼です。それ以外の何物でもない」
主人は優しい目で、物わかりの悪い子供を諭す親の様に、喋り続ける。
「人の皆さんは、肉鬼を化け物と認定されたようですね。それも真実だ、私は何時かこんな日が来るとは思っていましたが。それでも、私は化け物ではない。化け物と認め、収容所に入る事は、それはできません。だから、このまま肉鬼で居ます」
「……了解いたしました。それではこの場で処刑させて頂きます」
銃で狙いを定める、体液が飛び散って、こちらに毒が飛んでこないように、血の出にくい場所を狙って、額に真っ直ぐ狙いを付けて。
それでも、動かない、主人は、肉鬼は動かない。
「……ご主人」
「抵抗なんて、しませんよ。ましてやあなた方に危害なんて加えられません」
肉鬼は、主人は、笑顔で、笑顔のままで。
「貴方方はお客様だ。お客様にお持て成しをするのが私の仕事、お客様のお仕事の邪魔をするのは、違うんですよ」
笑顔で、そういった。
肉鬼は気高い。化け物? ふざけるな、何が化け物だ。
自分が殺されるのが怖いから、怖くて仕方ないから相手を殺す、そんな人間より、よっぽどこの人達の方が正しい。私たちの方が化け物だ。誰かを排除しないと生きられない、私達の方が、ずっと、ずっと、ずっと!
「……ご主人」
「はい」
「お料理美味しかったです。お昼のオムライスも、さっきのシチューも、凄く美味しかったです」
「ありがとうございます、そう言って頂けると、宿屋の主人としては、感無量です」
優しい笑みで、肉鬼は言う。
「此処は良い所でしょう? 自然に囲まれて、景色が季節によって変わって、本当に良い所なんです、だから、是非またいらしてくださいね」
「必ず。必ずまた来ます」
「ありがとうございます。本当に、嬉しいお言葉です」
肉鬼は最後まで、優しい笑みを浮かべて。
「またのお越しを、心よりお待ちしております」
銃声が響き渡った。
木の香りがした。
少しだけ、血の匂いを含む、優しい香りが。