四話 治療
それは、小屋に住み着いた次の日の話。
わざわざミシャの様子を見に、ネールが尋ねてきたことがあった。
「……ずいぶんと、きれいに整えたものですね」
小屋の中を見たネールの第一声はそれだった。
どうやら何度か入ったことがあるらしい。
「やりすぎ……ました?」
「……いえ、別に」
どうせ使わない場所ですから、とつぶやくネール。
それからの流れは、お茶を入れて、町の様子を尋ねたぐらいだろうか。そして、あまりのないようにミシャの心は、若干粉のように砕けていた。
忌み嫌われているであろうことは、さすがに予想していた。
覚悟もあった。
だが。
「まさかの……バケモノ扱い、ですか」
肌は浅黒くしわしわで、杖をつく腰の曲がった老婆。長い髪を振り乱し、自らに異を唱えるものには災いとのろいを振りまく魔女。……それが、町に流れる『魔女』のイメージだった。
老婆のような魔女だが、その気になれば大人の男性でも片手でひねり殺すこともできる怪力を発揮し、ドラゴンに姿を変えて町はおろか国すらも焼き払うという。
「あの……バケモノっていうか、まんま伝承の悪魔そのものという気がしますけど」
「魔法使いが町に来たのは、おそらく例の事件以降初めてですしね。住民の中では魔法と悪魔がイコール結ばれていますから、そういうイメージと噂になっても致し方ないでしょう」
と、ネールは涼しい顔をしているが、さすがにバケモノや悪魔扱いはショックだ。噂は今も尾ひれを増やしつつあり、教会にあれこれと相談に来る若い母親も多いという。
「ちなみに理由は、魔女がわが子を生贄に――」
「あーあー、もういいですー!」
説明を聞くのも疲れ果て、ミシャはテーブルに突っ伏した。想像以上の騒動に、必死に立て直しつつある心も粉砕されそうになる。今すぐこの現実を夢にしたくなった。
そんな感じにいろいろと情報交換をしたのだが、ネールは意外にも魔法使いのあれこれに詳しいらしく、ミシャがシェルシュタイン一門と知るとかなり驚いた様子を見せた。
シェルシュタイン一門が暮らす土地は遠く、そこから出ている魔法使いのほとんどがどこかの城仕えだったり、名のある貴族に雇われていたりするからだろう。
「あなた、本当にシェルシュタインなんですか……?」
「恥ずかしながら……」
「……そう、ですか」
驚いているというより、半ば疑っているような感じだった。
信じてもらおうとは思わないし、それを証明するだけの実力もない。一応、シェルシュタイン一門の紋章が入った、懐中時計なら所持している。師と師弟関係になった証の品だ。
なぜ懐中時計なのかは知らない。
聞いた話ではかつて『時間を操作する魔法式』が存在し、それを編み出したのがシェルシュタインの名を持つ魔法使いだった……とのこと。真偽はわからない、魔法使い界隈の伝説だ。
そんな話にあやかってなのか、弟子に時計を贈る習わしになったらしい。
「とりあえず、また様子を見に来ますよ」
そういって彼は去っていった。
――次に会った時、ミシャはたずねたいと思う。
どうしてこんなにも親身になり、見返りもなく助けてくれるのか。
でも今、それにもうひとつ用件がついた。
「……どうしよう」
若干引きずりつつも、どうにか小屋までつれてきた『行き倒れ』。
ぱっと見はミシャより上の、ネールと同じぐらいの青年だ。それなりの家柄なのか、上等そうな服を着ている。ただ、かなり着崩しているから、粗暴さが強く感じられた。
目をとしているから瞳の色はわからない。
茶色の髪は結構長く伸ばしてある。ランドールの町でも見かけたし、旅の間もよく見かけたよくある若者という感じだ。人のことは言えないが、山の中にいるような風貌には見えない。
事情も何もかも、彼が意識を失ったままである以上、何もわからないのだけれど。彼が意識を取り戻せないほどのケガをしていて、早く治療しないと危ないことだけはわかっている。
さっと見たところ、左足にひどいケガがあった。木の枝か何か、もしくは石などで抉れた切り傷のような傷口。刃物でついたものではないのは、そのギザギザした痕跡でわかる。
他は些細な擦り傷だから、治療するまでもなく勝手に治るだろう。
「まずは消毒しなきゃ……」
水を桶にいれ、布を浸す。泥で汚れた顔などをぬぐう。
かすかにうめく声が、彼がまだ生きていることを教えてくれた。
太ももの中間あたりにぱっくりと開いた傷口の少し上から、ハサミで洋服を切る。自分よりずっと体格のいい、意識を失った相手の服を脱がせるほどの腕力は、ミシャにはなかった。
あらわになった傷口を布でぬぐい、赤くなったそれを桶の水に浸す。
あっという間に水は赤く染まっていった。
次にミシャは壁につるしてある草――薬効のあるハーブと、緑の魔素を手に取る。テーブルの下から即席の道具を取り出し、魔法の力で効力を高めた薬を作り始めた。
本当は医者に見せた方がいいのだろうけど、そんなヒマはない。
今はできることをやるしかなかった。
○ ○ ○
魔法は万能なものではない。
ヒトが作り出した技術だからこその限界がある。
特に治癒系統の魔法式は、素材の効能を高めるぐらいしかできない。
あるいは、傷が治るまでの時間を短縮するぐらいだろうか。
火薬が生まれたことで、特に火を作る攻撃系統の魔法式が発展したように、いつか治癒系統も劇的な力を持つのかもしれないのだが、今はまだそこに至るだけの触媒は存在しない。
ただ、コツがあった。
魔石を使えば更なる効能を得られるのだ。
元々、魔法に使われていたのは『魔石』という結晶だった。精霊から放出された彼らの力が形になった、無色透明の結晶だ。飲み込めるほどの小粒の石であることが多い。
ミシャが大鍋を直しテーブルを出現させたときに使った、無色透明の結晶。あれはかなり大きい方の魔石だ。そう見つかるものではないので、買うとしたらかなりの値がつくだろう。
以前、姉弟子からプレゼントされたので、正式な値段は知らないが、知りたくもない。おそらく別のことに使ってほしかったのだろうし、ミシャでは手も届かないほど高額だろうし。
ただ、小粒なものは結構頻繁に見つかるので、魔素ほどではないが手ごろだ。それでも使いまくれるほど見つからないので、魔素という便利なものが作られたのだが。
「んしょ……」
ごりごりごり、とすり鉢から音がする。
傷口に直接塗りこんで魔法式を展開するために、魔石を追加しているのだ。魔石も魔素も人体に悪いものではないので、魔法の触媒として使わなくても充分薬として使えるものだ。
とはいえ、さすがに石のように硬いものをすり潰すのは、なかなか体力を使う。
手のひらは痛み、額には汗が滲んでいた。けれどミシャにはこれしかない。これ以外に彼を助ける術がない。体重を乗せ、ごりごりという音を立てて、魔石を粉々にすり潰し続ける。
そうしてようやく出来上がった緑色のペーストを、傷口に丁寧に塗りこむ。
それが染みるのか、青年が顔をしかめてうめき身をよじろうとした。
「じっとしてください……!」
意思のない相手に言ったところで仕方ないが、それでも声は聞こえているのか青年はおとなしくなる。その隙に、残りのペーストで傷口を埋め終わる。
「――【緑色魔法式】展開」
傷口に手のひらをかざし、呟く。
身体の中から何かが吸い出されていく感覚がある。
吸い出すというよりも、引きずり出される吐き気のような感覚かもしれない。これはミシャの中の魔力と呼ばれる力が、対価として失われていく感覚だ。
魔法使いとしてのわかりやすい優劣基準の一つが、生まれ持った魔力という力の量。いかなる類の魔法でも使ったら使った分、術者はそれに似合う量の代償を失わなければいけない。
保有する魔力の量が多いほど、魔法を使える回数が増えるのだ。
その魔力は魔法に使われているというよりも、展開された魔法を安定させるために使っている感じなのだと、ミシャは以前、何かの書物か師の講義で見聞きした気がする。
特に魔石を使った場合、失われる魔力の量はかなりのものになるという。魔法の効力が増せば不安定さ同時にも増してしまい、それを支えるために力をより使ってしまうのだそうだ。
「……ふぅ、これでよしっと」
しばらくしてミシャは腕を下ろす。
傍らに用意してあった二種類の、細く咲いた布のうち、わずかに色がついた方を足にくるくると巻き始めた。薬湯を染み込ませた即席の包帯で、傷を悪化させるばい菌避けのためだ。
次に白い方を巻いていく。きつすぎると血の流れが悪くなってしまうので、適度に緩くした方がいいという話を聞いたので、解きやすいように、でも外れないようにきゅっと結んだ。
念のために下熱効果のある薬湯を飲ませ、傍らで様子を伺う。
後はどうなるか、天に委ねるしかない。




