三話 森の行き倒れ
ランドールについて三日ほど経った。
ミシャの朝はそれなりに早い。
まだ薄暗いうちからベッドを出て、朝食の準備を始める。
昨日のうちに汲んできた水で料理用の鍋を満たし、拾い集めた木の枝を突っ込んだかまどに魔法で火をつける。干し肉を適当にちぎって、その中にポイポイと放り込んだ。
味付けは塩と胡椒であっさりと。
「さてと、準備おっけい」
手を洗ってからさっと着替える。
これから今日と明日の朝使う水を、近くの川まで汲みに行く。まだ冷たいスープが煮えるまでの時間の有効活用だ。小屋の中にある樽がいっぱいになるまで、何度か往復するだろう。
髪も手櫛で適当に整え、バケツを持って出発だ。旅の間、荷物を入れておいたかばんも忘れない。何か使えそうなものを見つけたら、これの中に押し込むためだ。
それが終われば食事をし、拾ったものがあればそれを仕分けする。薪は外において乾かさないといけないし、触媒に使えそうならより使いやすく加工しなければいけない。
そう、そろそろ魔法の修行もしなければいけないのだ。
一応は、それが目的なのだから。
触媒合成に使う鍋と作業台はできたし、ボロボロだった調理器具やキッチンも昨日の大掃除でだいぶきれいになったと思う。本音を言えば次はベッド周りだが、これは後回しにしよう。
それよりも先に、畑を何とかしなければ。
種は――ひとまず、ネールに調達してもらうことになっている。幸い、教会には小さな菜園があるらしく、そこで余ったものをわけてくれるそうだ。
何から何までお世話になりっぱなしで、だんだんと申し訳なくなってくる。
ネールに何か恩返しをしたいと、ミシャは思うのだが。
「魔法じゃ……迷惑になりそうだなぁ」
作業台を眺め、呟いた。
先日、魔法で作り出した作業用のテーブルには、所狭しと瓶が並んでいる。手のひらにすっぽりと収まるほどの小瓶が十数個と、かなり肉厚でずっしりとした大きさの大瓶がひとつ。
大瓶は青の、小瓶はいくつか空のもあるが、ほとんどが青と緑の液体入りだ。
このカラフルな液体は、魔法に必要不可欠な『魔素』。
魔法の基本たる【五色魔法式】を筆頭に、ありとあらゆる魔法に必要なものだ。
五色とは、赤、青、緑、白、黒の五つ。土は赤で、草は緑で、水は青。鉱物は赤であることが多いが、石の色によっては違う場合もある。白や黒に属する触媒ははあまり多くない。
触媒だけではただの石で、ただの水で、ただの草。しかし魔素を付け加えることで、鍋を真新しいものに変え、テーブルを作り出すことだって不可能ではない。
魔法式の理論的につりあう魔素を用意できれば、何でも触媒に変えられるのだ。
一つだけ問題があるとすれば、触媒はそこらの石ころで大丈夫なのに対し、魔素だけはそう簡単にはいかないというところだろうか。基本的に、魔素はお金を出して買うものだ。
自然界には存在しない、というより自然界に存在するが数が少ないものを人工的に作り出したもので、大規模な施設を所有でもしていない限りは売られているものを購入するしかない。
現在、ミシャがストックしている魔素の量は、そう多いとはいい難かった。
大瓶がひとつ残っている青はいいのだが、それ以外は厳しい。
町に住むことができれば、魔法を生業に収入を得ることもできただろが……。
「……やっぱり、引っ越すしかないのかな」
つぶやきながら、ミシャは家を出た。
○ ○ ○
教会で過ごしたあの夜、ミシャはネールに頼んで図書室に案内してもらった。寝付けそうになかったので、せっかくだから町の歴史を学ぼうと思ったのだ。
ランドール領はあの町以外にも街道沿いにいくつか町や村があるそうだが、基本的にランドールの町といわれる場合はあの町のことを言うのだという。
領主の屋敷を抱えている、ここが国ならば王都のような場所なのだそうだ。
なのであの町の名前もランドールというらしい。ほかにも知らなかったランドールの、歴史や慣わしなどを知っていくうち、ミシャの気分は少しずつ沈んでいくようだった。
ミシャがランドールを選んだのは、ある意味では直感だった。地図を眺めていて、なんとなく気に入った響きだったから、というのが最初だったように思う。
それからメルフェニカ王国のことを知り、姉弟子もいるし、街道沿いだからものも手に入りやすかろうというだけで、彼女は一人立ちするための土地をランドールに選んだのだ。
やはり、それがまさかのこんな事態。
自業自得とはいえ、ツイてないにもほどがある。
「ほんと、どーしよっかなぁ」
がこんがこんと木製のバケツを揺らしミシャは歩く。
予定外の事態で資金だけなら、かなり余裕があるといっていい。だが収入を確保しないといずれ枯渇する水源だ。別の場所を探すか、一度故郷に戻るべきなのか……まだ迷っている。
物心がつき始めるころから、ミシャの世界はシェルシュタインだった。
それ以外の場所を知らず、魔法だけで満ちた世界に生きてきた。
――初めてだった。
誰も知らない場所に来たのは。シェルシュタイン一門以外の人と、接したのは。だから未練がある。まだ足掻きたい。せめて一ヶ月。いやもっと長く。……そんな風に葛藤している。
でもその一方で、心の一部はもう諦めている。
あれだけの反応を示されて、それでもがんばれるほどミシャは強くない。町に刻まれた傷跡の前では、ミシャなど存在しないにも等しいほどちっぽけだ。
にもかかわらず、魔女の襲来という言葉は、町の人々を苦しめる。
――じゃあ、ここにいる意味なんてないじゃない。
そんなことを思いながら、バケツの中を水で満たす。山頂あたりに水が湧き出している場所があるらしく、川の水量はかなりある。冷たくて、透き通ったおいしい水だ。
八分目ぐらいまで汲んで、小屋に戻る。どうせ往復するのが前提なのだから、無理をする意味は薄い。仮に足りなくなったなら、また川に向かえばいいだけの話だ。
「枝、落ちてこないな……」
木々を見上げて呟く。せいぜい煮るぐらいしか調理方法がない現状、薪の枯渇もまた死活問題といえた。それに温暖な時期になったとはいえ、水で身体をぬぐうのはまだつらい。
そういえば小屋の隅に鉈があった……気がする。
あれで枝を直接切り落とそうか。拾いにいく範囲を広げるのもいいけれど、それだと他のことができなくなってしまうし、遭難でもしたらそれこそ天国に一直線だ。それなりに人の手が入った山のようだが、時々獣の咆哮も聞こえるし……安全とは言いがたいだろう。
小屋の周囲に、獣よけの魔法式をかけておいた方がいいかもしれない。
「たぶん、魔よけの応用だから――」
ブツブツ呟きつつ魔法式を組んでいると、近くでガサガサという音がした。草をなぎ倒すような、踏みしめるような、木の枝を揺らしたような。そんな葉と葉が擦れあう音だ。
思わず手にしていたバケツを落とす。
水が地面をぬらし、バケツはころころと転がった。
ミシャはぴくりとも動けずにいた。傍目には息を殺して周囲をうかがっているように見えるかもしれないが、ただ恐怖で息が細くなって、緊張で身体が石のようになっているだけだ。
仮に身体が動いたところで、腰が抜けているか、足が震えて歩けもしないだろう。そんな有様の中で、視線だけは過剰なほどに周囲を、きょろきょろと見回していた。
獣だろうか。
それとも違う何かだろうか。
動かないと襲われてしまうだろうか。むしろ、動く方が危ないだろうか。
「……っ」
ミシャは歯を食いしばって、身体ごと音がした方を向いた。
それは、ミシャがいた場所から見てちょうど山の頂上の方角。上から転げ落ちてきた、という感じの音だった。獣か、モノか、それ以外か。……確かめなければわからない。
少し周囲を見回して、ミシャはバケツを拾った。
……これでも、振り回せば武器の代わりになるだろう。
ゆっくり、ゆっくり、音がした茂みに近づく。
ひざを地面についてさらに進む。
できる限り静かに茂みを掻き分けて、そっと覗き込んだ先。
「……え?」
そこには――人が、落ちていた。




