四話 消えない溝
一通り話をした後、セラはミシャの作業部屋にふわふわと飛んでいった。
彼女は触媒調合専門の魔女で、やはり人の作業環境は気になるのだという。
「んふふー、だってセラはこれでご飯食べなきゃだからねぇ。人よりいい作業スペースで、ステキな触媒を作らなきゃなんだよぅ。ランドールはいいものが入るから、気になるんだー」
「はぁ……」
しかし、ミシャの作業部屋は、基本的にあり合わせのものが多い。
たとえば材料をすりつぶす道具だって、元は料理用に売られていたものだ。まぁ、サイズが大きい物が多いので、そっちを使っている魔法使いは多いのだが。
最近は、ミシャ――魔女がいるせいなのか、専用の道具も時々手に入る。主に魔素がその筆頭で、だいぶ手ごろな値段で手に入るようになってきたところだ。旅人相手に薬などが好調な売れ行きを見せていて、青や緑の魔素があっという間に底をついてしまう。
とくにミシャが精力的に作っているのは、簡単な治癒魔法用の触媒と、薬師が薬に混ぜ込んで使う薬品だ。後者は傷薬から腹薬まで、その種類と効能は多岐にわたっている。そして旅人のみならず町での需要もそれなりにあるわけで、定期的に発注が来るような感じだった。
ミシャはここ唯一の魔女として、割と多忙な日々を送っているのだ。
「綺麗に整理整頓してあるんだねぇ。感心感心」
「あ、ありがとうございます」
また、うれしいと思った。
褒められるのは、やはり悪いものではない。里では怒られるばかりで、あまり褒められた覚えがなかった。ミシャはおちこぼれで、何をしても失敗ばかりのダメな魔女だったから。
別に、褒められたいからやっていることではない。
ではないが、認められてきたと思えば、励みになる。これからもセラのように、ここに起用と思える魔法使いが増えれば、少しずつでも、町の魔法嫌いが何とかなるような気がした。
――と、かすかにドアがたたかれる音が、ミシャの耳に届いた。
少し行ってきますね、と言って、ミシャは立ち上がってドアに向かう。特に外から物音はしないのだが、誰か複数の人がいるような気配があった。仕事の発注なのだろうか。
もしそうならしばらく忙しくなりそう、と思いつつ扉を開けて。
「どなたです――」
外に出るなり、ミシャは息を呑んだ。
十数人の老人や中年の男女が、彼女を睨んでいたのだ。
○ ○ ○
扉を背に、ミシャは困惑していた。
ほとんどが見覚えがないが、一部は知っている顔だったからだ。それも、道ですれ違ったら挨拶をする関係ではなく、むしろ露骨なほど顔を背けて通るので覚えている、という。
確かに未だ、ミシャ――魔女を受け入れていない住民はいる。だが、彼らほどの拒絶反応をしているわけではない。だから、それゆえに彼らの印象がミシャの中に色濃く残っていた。
「あ、の……」
どう声を書ければいいのか、わからない。
中には店を経営している住民もいて、もちろんミシャには何も売ってくれない。そこまで毛嫌いする存在の元に、集団で押しかけるとなると……ろくなことではないのは確実だ。
しかし、出てきてしまった以上、今更家に逃げ込むわけにもいかない。
手を握りしめ、奥歯をかみ締めて一歩前へ。
だが、その前に一番近いところにいた初老の男が一言、告げる。
「この町から、早く出て行け」
罵倒するでもない、諭すような声音だった。
これが威圧的であればまだ、違う感情を抱けただろう。
もしこの人物だけでミシャの前に立ったなら、心配されている、という錯覚を抱いてしまったかもしれない。現に、他の大勢から睨まれている現状でも、一瞬そんな思いがよぎった。
そんなわけがない、とすぐに返答できないミシャに、男はさらに告げた。
「魔女はここには必要ない。そんなものがいれば、また炎が町を飲む」
かつてのように、と小さく添えられた言葉に、ミシャはハっとした。
あれから、一応この町の歴史については調べている。どうして魔女が嫌われたのか、大昔にどういうことがあったのか。しっかりとした書物で、ちゃんと知りたいと思ったからだ。
相談したところ、ネールが一冊の本を貸し出してくれた。
それは町が炎に包まれた当時、まだ子供だったとある少女が大人になって事件について調べてしたためたもの。彼女の名前はアンジェリア・ランドール。リオの先祖にあたる女性だ。
アンジェリアはいろいろと調べていた。
そこには当時を知る人々の証言も必要だったが、彼らにとってあの事件は忌まわしいもの。
なかなか語ろうとしない人々に、アンジェリアはこういったそうだ。
――何があったのか、知らないままでいることはとても楽。けれども、だからこそ知らないままではいられない。真実を少しでもいいから、我々は知るべきだ。
どうやら、この言葉のせいで、ランドールの市民は魔法嫌いになっているらしい。
記録を残さなければならないという使命感ではなく、町を燃やし大事な人々を奪い去った存在への憎しみが、硬く閉ざされていた彼らの口を開かせてしまったから。
それについての悲しみも記された書物を見て、ミシャは思う。
こんな行為など、普通の魔法使いにはできるはずがない。
普通に考えれば素人でもわかること。しかしネールが言うには、アンジェリアの書物は人々に混乱をもたらすとして、彼女の没後にすべて回収され、一部を除いて焼却されたという。
残ったのは、町を魔法が燃やしたという物語。
誰が、どうしてそんなことをしたのか、語られない御伽噺だけだった。
「お前も同じように、この町を燃やすだろう。かつて同じことを、魔女がやったように」
「わ……わたし、そんなことしません!」
まるで未来が見えているかのように、男が淡々と言ってくる。ミシャは必死に首を横に振って否定するが、おそらくは信じてもらえていない。だが、否定するしか彼女に道はなかった。
だって、自分はシェルシュタインの魔女だ。
確かに護身術と、危機回避のために戦いに転用可能な魔法式の知識はある。だが町を炎に包み込めるほどの力など、自分には存在しない。せいぜい、薪に火をつける程度だ。
確かに炎は炎なのだし、やろうと思えばできないこともないだろう。
しかし、それには前もって町に油をまくなど、いろいろ整えなければならない。そして静かな農村でもないこの町で、そんな準備などすればたちまちバレてしまうことは明白だ。
そこまでの財力も、ミシャには無い。
何より彼女が望むのは、誰かの役に立つ魔法。
「わたし、わたしはこの町の人々の、お役に少しでも立ちたくて……っ」
「――この町には必要ない」
魔女は要らない、と男がつぶやき、前に出た。
ごつごつした、皮の厚そうな手がミシャに向かって伸ばされる。その手が向かう先にあるのは首だ。ミシャの細い、色の白い首。そこを両手で掴むように、男の手が迫ってくる。
背中には硬い扉。逃げ場は無い。
何より、明確に向けられたつめたい感情――殺意に、動けなくなっていた。
「女の子をいじめるのって、よくないってセラは思うのー」
だから、その声が聞こえた瞬間に、ミシャはずるずるとへたり込む。台所の少し開いていた窓から出てきたのか、家の横からひょっこりとセラが飛んでくるのが見えた。
彼女は家の前に集まっている人々と、ミシャに迫った男を交互に見る。
「いいのかな、いいのかな。ここに人が立ち寄るのはね、魔女が手を加えた、旅に最適なお薬とかが手に入るからなんだって、知らないのかな。まぁ……知らないんだろうと思うけどね」
どこかバカにしたような口調と笑みを浮かべ、セラが続ける。
「彼女が作るものを目当てに人が来ているんだから、彼女がいなくなったらその人達は来なくなるとセラは思うんだよ。それでもいいの? それでほんとーにいいの?」
何人かが、ハっとしたように表情を変える。
もしかすると、そういう旅人を相手にした生業をしているのかもしれない。ならば、自分の店などからお客がいなくなる可能性を示唆されれば、ためらいや戸惑いの一つもでるだろう。
旅人は、常に命の危険がある。
よって損得勘定というか、そういう時には恐ろしいほどシビアだ。目当てのものが手に入らない場所になど、そうそう立ち寄ることは無い。確かにランドールは交通の要だが、別にここに立ち寄らなければ野宿になる、というほど他の都市と離れているわけではないのだ。
そして、これという観光スポットも無い以上、人がそう来ることはない。
現在、ここには魔女の恩恵を目当てに来ている旅人や旅行客が、それなりの数いる。
彼らの目当てはミシャだ。
そのミシャがいなくなってしまえば、ここに立ち寄る理由が失われる。今は国全体が祝いに包まれていて、人の行き交いがあるが――ここで人を寄せ付ける要因を失えば、どうなるか。
何より、ミシャがこの町に『いなければならない』理由があった。
彼女は宮廷魔女ミレアナ・シェルシュタインの代理として、この町に『赴任』している立場になっている。その彼女に何かあれば、責任を取らされるのはほかならぬ領主である。
もっとも、この場にいる誰も――ミシャ本人すら、知らないことなのだが。
しかし宮廷魔女の手紙をきっかけに、彼女はこの町に住めることになったのだ。そのことを考えてみれば、何らかの繋がりがあることぐらいわかりそうなものである。
「……ちっ」
ミシャに迫っていた男が大きくしたうちして、悔しそうに睨みながら背を向けた。歩き出した彼に続くようにして、他の者達も最後にミシャをじろじろ見つつ去っていく。
ほっと息を吐いたミシャだが、隣でふわふわと上下するセラの表情は硬いままだ。
「セラ、ああいうのきらいだよぅ……だって」
と、セラの目がすっと細められる。
その先にいるのは、時折こちらを振り返りながら去っていく、集団の背中。
「――しつこいんだもん」
ぽつり、と告げられた言葉は、驚くほどに冷たく。
ミシャは、ふるり、と身体を振るわせた。




