二話 救いの手
あれから数時間――ミシャは教会にいた。
むしろ、教会にしかいることができなかった。
公園らしき場所では子供に逃げられ、親らしき大人に砂を投げられた。道を歩けばジロジロとぶしつけな視線を向けられ、反応すると殺される呪われるとぎゃあぎゃあ騒がれた。
それを聞きつけた人々がミシャを取り囲み、そこから必死に逃げて。
夕方になって、やっとここにたどり着いたのだった。
時間のせいか人が少ないここで、ようやくミシャは休息を取れたのだが。
「あなた、ランドールの話を知らなかったんですか」
「はい……」
応対してくれたのは、ここの教会を管理する司祭ネール。
年齢はずいぶんと若く、ミシャより少し年上のお兄さんという感じだ。薄茶色のやわらかそうな髪を、少しだけ長く伸ばしている。あと数ヶ月放っておいたら、軽く結えそうな感じだ。
彼に淹れてもらった紅茶を飲み、ミシャは聞かされた話を頭の中で繰り返す。
焼け野原から必死に復興したこの町の歴史。
原因となり、いずこかへと消えた二人の魔法使い。
全ての土地で魔法が受け入れられる、なんて思ったことは無い。だけどまさかこのメルフェニカで、これほどまでに嫌われているなんて思いもしなかった。
魔法学校がある国で、物資が手に入りやすそうだったからランドールに来たのに。
「あなたの目論見は間違いではありません……が、あなたのスキルが問題だっただけです」
「そう、ですね……」
それからミシャの調査不足もある。
自分の都合で選んだ町の『都合』を、少しも考えなかったこちらの落ち度だ。
「まぁ、この町のことはあまり知られていませんし、あまりご自身を責めないように」
「はい……」
「それより、あなたはこれからどうするんですか」
「どう、とは?」
「故郷に戻られるのか、それとも別の町に移動するのか」
すぅっと、ネールの灰色の瞳が細められる。
冷たい視線に、ミシャは俯く。教会に属する人の中には、魔法を嫌っている人も少なくないと聞いたことがある。なのにこんなところに逃げ込んだりして、この上ない迷惑だろう。
「誤解される前に言いますが、私個人は魔法使いに悪い印象はありませんよ。ただ住民が駆け込んでくるのはうちですからね。……こちらにも、いろいろと事情がありまして」
「……えっと、その」
希望に満ちて故郷を飛び出して、現地到着と同時に逃げ帰る。現実的に考えればそれしかないのはミシャにもわかっていた。だけども、心のどこかがそれを拒否している。
できるだけ、この場所でがんばってみたい。
けれど、留まろうにもまず住む場所が手に入らなければ。あの様子だとミシャの存在や容姿は町中に知れ渡っていて、宿も門前払いだろうし。町から出るだけでも大変そうだ。
やっぱり一度、帰るしかないのだろうか。
小さくため息が零れる。
無意識に手を伸ばした紅茶は、すっかり冷めていた。
視線を上げると、ネールは変わらずミシャの前に座っている。
外はさっきより少し薄暗くなってしまって、時間の経過をミシャに教えてくれた。
「あああ、あのその、すみません。えっとその、あの」
「まぁ、どうしてもランドールにいたいなら、近くの山の小屋でも貸しましょうか?」
「小屋ですか?」
「えぇ。もう長らく使っていないものですが、一通りの家具はそろっていますし、特に何かを買い揃える必要は無いと思いますよ。あの山はこの町の住民も、ほとんど入りませんしね」
「い、いいんですか?」
「神は困っている人を見捨てません。それが何であろうとも」
今日はここに泊まっていくといいですよ、と彼は少し微笑み、立ち上がる。ついて来い、ということなんだろうか。ミシャは慌てて荷物を抱え、彼についていこうとして。
「あ、あのぅ……鍋って、ありませんか?」
申し訳なさそうに、そう言った。
○ ○ ○
次の日、ネールの手引きでミシャは町から脱出。
昼前には山小屋に到着していた。
話に聞いて抱いたイメージよりも、結構きれいな感じでミシャは驚く。
最低限の家具はあり、ただ生活するだけなら不自由は無いだろう。問題は食料だが、小屋の傍に小さな庭のような部分がある。ここを畑にすれば問題ない。
種は森の中で探すか、街道までいって商人から買うという道もある。家も部屋も手に入らなかったので、お金には余裕があった。もっとも、あまりうれしくない余裕なのだが……。
「よーし、がんばるぞー」
ゴトンと床に置くのは大鍋だ。底は深く、横にも広い。その中には古びた調理器具と、袋などに入った調味料などが入っている。教会でいろいろと分けてもらったのだ。
この大鍋は昔、祭りなどでの炊き出しで使っていたという。
もう使うことも無いからと、タダ同然で譲ってもらってしまった。家まで用意してもらった上に無償はさすがに申し訳ないので、お布施ということでいくらか寄付をした。
荷物の仕分けは後でするとして、まずは――。
「鍋の置き場と、作業台を作らなきゃ」
小屋は今後使う予定もないし、おそらく魔女が住んだということで誰も使わないから好きにしていい、とはネールの話。一応は貸し出しなのだが、ほとんど譲渡されたようなものだ。
ミシャは調理器具などを鍋から取り出し、台所スペースにとりあえず並べていく。それからかばんから赤い液体の入った小瓶、さらにいくつかの鉱石と石材を取り出した。
それらを鍋の中に放り込み、部屋の中を見回し。
「よし……ここにしよっと」
選んだのは部屋の中央の壁際。ドアの真正面だ。
さすがに部屋のド真ん中は邪魔だろうから壁際にする。大鍋を好みの位置に置くと、ミシャは鍋の中で転がっている小瓶の封を切って、中の液体を鍋の中に注いだ。
次にかばんから引っ張り出したのは、無色透明の結晶だけがついた銀色の鎖。握るのに最適な大きさの結晶の中央には、ほのかに白い光が灯っている。
それを鍋の上に掲げて、ミシャは小さく呟いた。
「――【赤色魔法式】展開」
その声に答えるように、鍋の中から光があふれ出す。それが引く頃には、穴こそ開いていないがさびて使えそうにない大鍋は、曲線の文様が描かれた新しい鍋へと姿を変えていた。
さらにはきれいな石造りのテーブルまで出現している。
ミシャが腕を広げても両端に届かない、かなり大きなものだ。
「上出来、かな」
ミシャは軽くなった鎖を見て苦笑する。そこにぶら下がっていた結晶は、跡形も無く消え去っていた。彼女が使った【魔法式】の代償として、鍋の中身と共に消えてしまったのだ。
安くはない一品だったが、仕方が無い。
「次は……」
ミシャはかばんからまた鉱石と、液体入りのビンを取り出す。
作業は、遅くまで続いた。




