一話 シェルシュタインの姉妹
うそ、とミシャは呟いた。
「ハーヴェル!」
「はい、アルテミシアさん」
にっこり、と笑うハーヴェル。
それは自分と入れ替わるように師の元にやってきた、水上都市の少女。
師はミシャに何も言わなかったけれども、その独特の雰囲気と喉に刻まれた紋様から、彼女がそれなりの存在だとわかった。彼女が『歌姫』で、声を奪われていることも。
けれど、ミシャが知る歌姫という存在は、姿すら表に出されないことが多いものだった。
基本的に、彼女達はずっと神殿と呼ばれる場所にいる。師は、飼い殺しと言ったけど、彼女らの力が稀有ゆえに、そうしているのだろうとミシャは思っていた。
都市を浮かべるための、必要不可欠な存在。
誰だって、住んでいる場所を失いたくはないのだから、仕方がないのだろうと。
だからこそ、不思議だった。
歌姫を手放した、その理由が。
結局、尋ねられないまま、ミシャはランドールに来たのだけど。
「ど、どうしてハーヴェルが? っていうか……声?」
「えっと、話すと長くなるんですけど、わたし、今メルフェニカの魔法学校にいて、長いお休みになったから、一度パメラさんのところに戻るってことになって、それで」
と、ハーヴェルの説明が続く。
あれから彼女は歌姫ハーヴェルを捨てたらしい。髪もその時に切ったそうだ。これで水上都市にいた歌姫ハーヴェルは、公式には死んだものとなったという。
そして基礎的なところを師に習い、今は魔法学校に通っているとのこと。
「じゃあ、今はハル?」
「はい。ハル・シェルシュタインです」
「そっか……じゃあ、改めてよろしくね、ハル」
ハーヴェルではなくなった彼女は、以前からは想像もできないほど明るい。学校での生活がよほど楽しいのだろう、全身から充実感と幸福感がほとばしっている。
「それで、しばらくアルテミシアさんのところに、お世話になろうかなって思って。知り合いの人に送ってもらったんです。お仕事の合間に、運んでもらう予定で」
「知り合い?」
と、ここでミシャはようやく、少し離れたところに立つ二人組に気づいた。
茶髪の、華奢な女の子と、黒髪の青年。ミシャは慌てて頭を下げる。妹弟子がお世話になったのだから、姉弟子としてまずは挨拶しなければ。
「あの、お世話になりました」
「いえいえ、ハルちゃんは友達ですから」
ね、と彼女は隣に立つ青年を見上げる。
年齢としては、リオやネールと同じくらいだろうか。
「えっとね、このお姉さんがミーネさん。お兄さんがアウラ」
「魔女宅配従業員、ミーネっす」
ぺこり、とミーネは頭を下げる。見たところ、彼女は人間らしい。となると、隣にいるのが彼女とペアを組んでいるドラゴンということになる。思えば、ドラゴンは初めて見た。
アウラという名前の彼は、腕を組んだまま小さく頭を下げる。
あまり、口数は多くないらしい。
それにしても、ずいぶんと年齢が違うペアだ。基本的に、ドラゴンと乗り手は幼い頃から一緒にいる『幼馴染』で、年齢も同じか、違っても三つ程度であることが多いという。
しかし、あれはどう見ても片手では足りないほどの開きがあった。
しかも――と、ミシャはついアウラを見てしまう。かすかに感じる気配は、彼が生粋のドラゴンではないと伝えてきた。つまり、彼は多種族との混血である、ドラゴン種なのだ。
ドラゴン種はプライドが極めて高い種族である。自身に流れるドラゴンの血を、何よりも重視しているのだ。ゆえに彼らが、乗り手を得ることはまずない。
ましてや。
「おい、そろそろ行かないと間に合わないぞ」
「わ、わかってるもん……」
などと仕事のことを言いながらも、抱き寄せ合ったり頬を染めたり、などという甘い関係になることなど決してない、と言い切ってもいい……らしい。書物にはそうあった。
ミシャにはよくわからないけれど、なかなか愉快な交友関係があるようだ。
「じゃあハルちゃん、そろそろ行くっすよ。アルテミシアさん……でしたっけ。ハルちゃんは数日後にお迎えに来るので、それまでどうぞよろしくお願いします」
「はーい」
「お二人とも、お気をつけて」
ハルとミシャに見送られて、二人は町の中心を目指すように去っていった。これから二人は残りの仕事を片付けながら故郷に戻って、別の仕事のついでにここにやってくるという。
里に戻る前に別の、お世話になったという魔女を尋ねていくとか。
ハルは、いつまでも二人の背中に手を振っている。
本当に同じ人物とは思えないほど、彼女は子供らしくなった。ミシャもそう子供らしい子供ではなかったけれど、あの時のハルはそもそも人間とすら思えないほどだった。
あれから、いろいろあったに違いない。
ほとんど一緒にいなかった、妹弟子の成長にミシャはほっこりとした暖かさを感じた。
「さて、と」
二人の姿がすっかり見えなくなり、ミシャは懐から鍵を取り出す。
かちゃかちゃ、と慣れた手つきで自宅の鍵を開けながら。
「狭いけど、どうぞ」
と、妹弟子を招きいれた。
○ ○ ○
「それにしても、馬車とかは使わなかったの?」
夕食の準備をしながら、ミシャは隣で手伝いをするハルに問いかける。盗賊の類が出ないわけではないけれど、街道を行く馬車は値段も手ごろで、雇われた護衛もいるから安全だ。
ミシャのように商人のキャラバンを利用する、という手だってある。
「本当はそのはずだったんです」
でも、とハルはレタスをちぎりながら呟く。
少し前、メルフェニカ王国の第一王女、国王にとっては大事な一人娘であるラス王女が、エスレディア公爵と結婚した。その影響があって、国内はお祭ムードに包まれている。
ランドールもご結婚祝いで盛り上がって、国外からたくさんのお客さんがきていて、そのせいで踊り羊亭の依頼も増えたり変化しているわけなのだが。
問題は、その『お客さん』の中には、招かれざる客が含まれていることだ。
「それでどうしようかなって、思ってたら」
「あの二人に出会った?」
「はい」
ちょうど、配達でランドールに行く予定があった二人は、快くハルを乗せてくれた。おかげで彼女は安全に、無事姉弟子ミシャの家にたどり着けたわけである。
ドラゴンに乗ったことがないミシャとしては、実に羨ましい体験だった。
そんな具合に話が弾むうちに、それぞれが担当する作業も終わる。
「レタスできました!」
「スープもできたから、お皿とか持ってきてくれる?」
「はい!」
ぱたぱた、とハルは食器棚に向かっていく。
その後姿を見送ってから、ミシャはスープの入ったなべを火からおろした。
レタスの中に、他の切った野菜を入れて、さっと塩とオイルをかける。これに火で軽くあぶったパンを添えれば、今夜のお夕飯の準備は完成だ。ハルがいたので思ったより早かった。
「お皿です!」
皿を抱えて戻ってくるハルの姿に、ミシャは昔の自分を重ねる。ミレアナとも、こうして一緒に食事を作ったりしたのだ。日常生活に必要なあれこれは、すべて彼女から学んだと思う。
自分も彼女のような、尊敬できる姉弟子になりたい。
そんなことを、ミシャは思った。




