九話 自宅前の行き倒れ
時刻は夕暮れ。
買い物をさっと済ませたミシャは、家に向かって歩いていた。
だがその表情や足取りは、ぐったりと疲れ果てている。
「うー、節々が……」
張り切って掃除をした結果、ミシャは全身を蝕む痛みに襲われていた。里を飛び出してからはほとんど経験していない、絵に描いたような『筋肉痛』である。
その日のうちに来るのは若い証拠、などと言われたが。
「そもそも、来なくていいと思……いたた」
少し動くとぴきん、と痛みが走る。
これでも、里では書物を運んだり整理をしたり、長い距離を往復していたので、ちょっとやそっとの労働ではこんな風にはならなかった。やはり、なまってしまっているのだろうか。
そういえば、材料もほとんどを店などで買うばかりだし、畑だって思ったほど大きく広げてもいない。かといって、魔女としての作業をしているかと思えば、そうでもない。
これは由々しき問題だ。
「わたしは、魔女」
そう、アルテミシア・シェルシュタインは、魔女だ。
世界がもたらすありとあらゆるものを使って、神の真似事のようなモノを紡ぐ。それが、背負う名前に似合わないほど弱くとも、一人でがんばるためにここに来た。
町の人々との交流も、確かに大事だけど。
けれどミシャは、魔女だった。
魔女にしかなれない。
「酒場で、それっぽいお仕事探そう」
もうそろそろ、大丈夫じゃないかと思う。
魔女の魔法式を必要とする依頼を、請け負っても大丈夫な気がしている。もちろん、いきなり本番はしない。ただ、どんな依頼が来るのか、をチェックしてもいいと思う。
そもそも、今までチェックしていないのがおかしかった。
予想では旅の間に必要になる、薬の類だろうか。薬にもいろいろあって、切り傷擦り傷から火傷や虫刺されまで、幅広くカバーする薬を筆頭に、腹痛や頭痛、乗り物酔いなどさまざま。
ミシャは、頭の中にあるテーブルに、記憶している手持ちの材料を並べた。
魔素に関しては、偶然知り合った商人から買い付けてある。彼はまさかランドールに魔女がいるなんてと驚いていたが、がんばれと応援して、少し値段をおまけしてくれた。
青と赤と緑の大瓶が、それぞれ三つ。
料理にも使うようなハーブが数種類と、薬効のある草が幾つか。
とりあえず、汎用性の高い薬ぐらいならば、それなりの量を作れそうだ。たぶん、一番需要があるのはそれだろうから、明日にでも踊り羊亭のマスターと話をしてみよう。
他に何か――と、ミシャが考えていると、家の前に人影を見つける。
「え?」
荷物を抱えて駆け寄ると、それは子供だった。たしか前に、家の前で見かけたあの不思議な男の子のように見える。ぴくりとも動かない子供は、家の壁に寄りかかっていた。
息もあるし、熱もない。
――眠っているだけ、のようだ。
「人騒がせな……」
てっきり何かあったのかと思ったミシャは、ほっと息を吐く。
とりあえず荷物を抱えて家の中に入り、それを置いてから再び外に出た。軽く揺さぶっても置きそうにない子供を、よいしょ、と抱きかかえる。……思ったより、結構重い。
どうにか抱えて運んで、ベッドに寝かせた。
人の気も知らないですやすやと寝息を立てる子供は、もぞりと寝返りを打つ。
しかし、この子はどこの家の子なのか。どこか――たとえば教会辺りに、起こして連れて行った方がいいのだろうか。しかし外は薄暗くなっていて、出歩くには少々危ない感じだ。
ランドールは基本的に治安が安定している。だがまったく犯罪がないわけではなく、酔っ払いのケンカを筆頭に、数日に一回ぐらいはいろいろと事件が起きている。
何年か前に旅人による誘拐騒動もあったとかで、夜間の外出は何度か注意された。
しばらく考えて、結局は起きるまで寝かしておくことにする。
心地よさそうに眠っているのを、起こすのもかわいそうだ。
「……なんか、よく人を拾うような気がするなぁ」
以前拾った口の悪い時期領主を思わせる茶髪を眺め、ミシャはつぶやいた。
○ ○ ○
さて、子供は置いといて、ミシャは夕食作りに取り掛かる。
少し肌寒いのと、作り置いてあった特製調味料がそろそろ怪しいので、今日は調味料をたくさん使う煮込み料理にしようと思う。野菜と塩漬けの肉を使った、具沢山のスープだ。
ランドールに来て、初めて覚えたこの辺りの家庭料理。
いろんな野菜をじっくり焦がさぬよう炒めてペーストにしたものを、まずは一度油で軽く温めるように炒める。そこに水を入れて、綺麗に溶かす。ついでにハーブもいくつか入れる。
沸騰するまでの間に、根菜を適当に一口サイズに切り分けて、鍋の中へ。
塩漬けの肉は別の鍋でぐつぐつ煮込んで塩を抜いて、これも適当な大きさに切る。基本的には材料をすべて煮込むだけの、実に簡単なものだ。まぁ、家庭料理はそういうものだろう。
野菜が一通りに煮えると、さっと味を見て、場合によっては塩などを入れる。
家によっては、ここでニンニクなどの香辛料も入れるそうだが、ミシャはシンプルに。
味が調えば後は煮込むだけ。
時々、焦げないようにぐるんぐるんと、鍋の中身をかき混ぜて。
煮詰まってとろみが出る頃には、薄暗かった外はすっかり夜の姿を晒していた。
家の中に、よい香りがしてきたところで。
「う……」
かたん、と扉を開閉する音がした。
おたまを手に振り返ると、眠そうに目元をこする例の子供。
「あ、やっと起きたの? ダメでしょ、あんなところで寝てたら」
「……ん」
子供はふらふらとミシャに近づき、ぎゅっと抱きついてくる。どうやら、寝起きで寝ぼけているようだった。見たところ少年といっていいのかも怪しい、おそらく一桁年齢の子供だ。
そんな年代の子供からすると、ミシャでも充分に大人なのだろう。
「ねぇ、ぼうや。名前は」
「ティエリス……」
「そう、ティエリス君ね」
「ティーでいいよ、ミシャおねえちゃん」
「……わたしのこと、知ってるの?」
「うん」
ぎゅう、と腕に力がこもる。ティエリスはにっこりと笑顔を浮かべて、赤茶色の瞳をきらきらさせながらミシャを見上げた。どうやら、寝ぼけてはいなかったらしい。
服装はなかなか上等そうなもので、貴族かお金持ちのお坊ちゃんなのだろうか。
しかしそんな身分の子供が、なぜ自分を訪ねるのかがわからない。
さすがに名前ぐらいは、知られているだろうと思うけれども。
「あのね、魔女のミシャおねえちゃんに、たのみたい『おしごと』があるの」
「お仕事?」
うん、とティエリスは笑う。
おねがい、と幼い子供に甘えられるのは、何ともくすぐったい感じがする。そう思った頃にはもう、この不思議な男の子の『お仕事』を断るという選択肢は、跡形もなく消えていた。




