絶壁
「愛子ちゃん、またおっぱいおっきくなったよねえ」
「そ、そんなことないよ。そ、そういう事言う春香ちゃんだってすっごく大きいじゃない」
体育の授業が終わった後、2年3組の女子は更衣室で着替えしていた。その時にたまたま私の近くで、愛子と春香がこんな会話を話していた。
……なんだか、とてもイライラする。
別に何がどうという訳じゃないけど、愛子と春香の話を聞いていると、とてもイライラする。
「愛子ちゃんに比べたらまだまだだよお。ねえねえ、何かおっきくする秘訣ってあるの? あ、さては彼氏に揉んで」
「そ、そんな事してないよ! ……も、もう春香ちゃんってば突然何言うの。と、というか私まだ彼氏なんて……」
別に気にする必要はないでしょ、私。さっさと着替えて、教室に戻ろう。
うん、それがいい。ここにこれ以上いて、この話を聞き続けるのは、私の神経が耐えられない。
「またまたあ。聞いたよお? 最近高橋君といい感じだって。ねえねえ、ちなみにブラのサイズはどれくらい? D? E? もしかしてFとかあるの?」
バタン!
私のロッカーを閉める音が、更衣室に響く。さっきまでワイワイと騒いでいた、愛子と春香の2人はびくっとして、私のほうを見てきた。彼女たちの視線を無視して、私は更衣室を出ていく。
……ふん、きゃっきゃと騒いじゃって。馬鹿みたい。あんなのすべて脂肪にすぎないってのに。男子も何が嬉しくて、そんなのを見たがったりするんだろ。
ふと自分の視線を下に落とし、すぐに視線を上げる。下を見たら、何のふくらみもない、断崖絶壁が広がっていた。
……気にするな気にするな。別にこんなのあったって重いだけだ。
歌にもあったじゃないか。あんなのはないほうが、マラソン速いし、Tシャツも伸びないし、匍匐前進も速いし、痴漢にも会いにくいし、肩もこらないし、ノーブラでもばれないし……なにより、年取ってもたれないんだ。
ガラガラと、自分の教室のドアを開けた。体育の時間の後で、女子はまだほとんど戻ってきていないが、男子のほとんどは着替え終わって、自分の席についてる。
「……でよ、兄ちゃんが最近とうとうあの山の登頂に成功してさあ。俺、山岡翔太もいつか絶対に成功させてみたいと思ってるんだよ。やっぱり男としてはあこがれるよなあ。自分の体一つで崖に挑戦するって、近藤、お前もそう思うだろ?」
「ふーん、そんなもんかねえ。よくわからんわ。俺は」
私の席の隣で、山岡君と、近藤君が何やら話をしている。出来れば私の席に座っていてほしくないんだけどなあ。どいてって言いづらいし。
「あ、川島さんが戻ってきたみたいだから、俺、自分の席に戻るわ」
「あ、おい! 近藤、話はまだ終わってねえぞ!」
私が戻ってきたのを見るや、近藤君は席を開けてくれた。ありがと、と近藤君にお礼を言って私は自分の席に着く。
「ったく、まだ話の途中だってのに……近藤のやつ」
何の話をしてたんだろ? ちょっとだけ気になる。
「ねえ、山岡君。さっきまで近藤君と何の話をしてたの?」
「ん? ああ、男のロマンについて語ってたんだよ」
……意味が分からない。もっと詳しく話してくれないと。
「えっと、山登りのこと話してたんだけどな……あの気持ちよさ、どう説明したらいいかなあ。まったいらな所の中にある、でっぱりをがっしりとつかんでだな、そして登っていく、この行為について。この快感は何物にも代えられないと思うんだ」
手をにぎにぎとさせ、にやにやする山岡君。
……ああ、そう。そういう会話をしていたわけね。ふうん……まあ、男のロマンなんでしょうね。それにしても、他に人がいるからって、わざわざ変な隠語使ったりして。おっぱいを山に例えるとか、馬鹿じゃないの?
「この魅力、誰かに分かってほしいんだけどなあ……」
「頑張ってね」
先ほどの更衣室の会話に引き続き、こんな会話を聞かされて、すごく憂鬱な気分になった。
私はもう、変態な山岡君と会話をする気がなくなり、一言だけ言ってもう会話を打ち切ろうとした。
「あ、そうだ! 川島さんもやってみない!?」
「はあ!? なんで私が!」
何が悲しくて女の私が巨乳をわしづかみにして、快感を得なきゃいけないのよ!
山岡君は私の事をなんだと思っているんだろう?
「いやいや! やってみたら絶対はまるって。俺、初めて挑戦した時、興奮しっぱなしだったもん!」
「私にするな! そんな話!」
くっ、巨乳女と山岡君がなにをしてようとどうでもいい。
「最後まで聞いてくれって。俺はまだ素人同然なんだけどさ。兄ちゃんなんてすごいんだぜ。どんな崖でもものともしない」
「あんたの兄ちゃんの嗜好なんてどうだっていいわよ!」
あんたの兄さんはいったいなんなんだ……というか、兄弟でそんな話をするもんなの?
ああ、気持ち悪い。男ってこんな人ばっかりなの?
「どんな断崖絶壁だろうと、ものの見事に攻略すんだ。一見まったいらな崖でも、よく見るとほんとに小さなでっぱりがあってさ」
「……あんた、絶対私にケンカ売ってるわよね」
私には小さなでっぱりしかないわよ、どうせ。AAなめんな。
机の下で、私は握り拳をぎゅっと作る。これ以上変なこと言ったら、こいつを思いっきりぶん殴ってやるために。
「別に喧嘩なんて売ってないよ。どこをどう聞いたらそう聞こえるんだ? ……まあ、それで話の続きなんだけど。そのでっぱりを、指一本だけかけて、ぎゅっと握る。その指一本の力だけで、体全体を持ち上げるんだ。もう、かっこいいったらないよ」
「どんな変なプレイよ。それ……」
そんなこと経験したこと1回もないけど、思いっきりぎゅっと握られた上に、持ち上げるとか。アブノーマルとしか思えない。ものすごく痛そうだ。
「兄ちゃんは言った。『お前には、この崖には何のロマンも感じないかもしれない。だが、この、まったいらな崖にこそ、夢がいっぱい詰まっているんだ!』と。俺、その言葉にちょっと感動しちゃったよ」
かっこいい言葉を言っているようだけど、とてもかっこ悪い気がしてならない。
……けど、どうやら山岡君の兄さんは小さくても大きくても、どっちでも好きらしい。世間一般的には巨乳が好かれるって聞くけど、もしかすると私みたいな貧乳でも、需要はあるかもしれない。もしかすると、山岡君も兄さんの影響で、小さな乳が好きになっているかもしれない。
「ふ、ふうん……それじゃ、あんたも今は、小さくたって気にしなかったりしないの?」
別に変態な山岡君の嗜好なんてほんとはどうでもいい。けど、私にだって需要はあるのだということを聞きたいだけだ。
「いやあ、なんだかんだ言って、俺はやっぱり崖はしっかりつかめるほうがいいけどねー」
「死んでしまえ!」
みぞおちに私はこぶしを叩き込み、山岡君はノックアウトさせた。
……周りの同級生はびっくりしていたけれど、そんなこと知るものか。乙女の心を傷つけたこの男が悪いのだ。
途中の『歌にもあったじゃないか』は、ブリーフ&トランクスのペチャパイという歌をちょこちょこと引っ張ってきてます。
初めて聞くと、たぶん笑えます。
カラオケで歌うと、ひんしゅくを買います(というか、買いました)(^^;