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『猫又相談所』修正版

昔書いたものを修正して再投稿したものです。



「猫又さん」

四月中旬。夕刻。春の陽気に身を沈め、三池公園でうたた寝をしていた僕の耳に、その声――もとい鳴き声が聞こえた。

 日のあたるベンチでだらりと寝そべったまま目をつぶり、綺麗な三角の耳をちょっとだけ動かす。

「猫又さんっ」

鳴き声が大きくなった。そりゃそうだ。さっきから起きない僕の名前を呼んでいるのだ。

 僕こと猫又は、猫の妖怪である。容姿はどこにでもいる三毛猫だが、尾が二つに別れている。パッと見は普通の猫と変わらないので、気付かない人も多いが、人に化けることもできる歴とした化け猫だ。

 その化け猫である僕は、現在この公園の近くにある平屋に住んでいる遠藤朋美と言う女の人に、このところ一年ほどお世話になっている。

 要するに飼われているわけだが、この朋美と言う人、何か――化け猫の僕が言うのもなんだが、変なのだ。

「僕」の――というより、「動物」の言葉が分かり、僕が化け猫であることにさえ、まるで頓着せず、「私、独り暮らしで寂しいから、話し相手になってよ」と言ってくる始末だ。

 その当時、僕は棲み処だった山が開拓地にされてしまって困っていたので、その申し出を有り難く了承した。

 化け猫風情が情けないとは少し思ったが、こののんびりとした生活も悪くないなぁと思い始めている。

「猫又さんってば!」

……この騒々しさが無ければ最高なのだが。

僕はのそりと起き上がると、お尻を突き上げて伸びをし、先ほどから僕を呼ぶ猫を見やった。

「誰?」

僕は大欠伸をしながらぞんざいに聞いた。

 その猫――小柄な黒猫は、ベンチの下からこちらを見上げていた。

「お、俺!若丸って言います!実はその猫又さんに相談したいことが……」

早口で捲くし立てる若丸と名乗った小さい黒猫。

 その表情は恐縮しきっておきながら、どこか切羽詰っている。

 最近、こんな風に僕を訪ねてくる猫が急増している。

恐らく遠藤邸の二軒先にある鯨井家のデブ猫、カリケツのせいだろう。

 カリケツとは三カ月に知り合い、彼が引き起こしたトラブルの後始末をしたのがきっかけだった。

 そうやってお世話になっておきながら、あのデブ猫は恩を仇で返すかの如く、僕に頼んでしまえば何でも解決すると他の吹聴しているのだ。

 そして、それを真に受けた猫たちがこうしてちょくちょく訪ねてくる。

 まぁ、いちいち追い返さずに話を聞く僕も度し難いお人好しではあるのだが。

「とりあえず、落ち着いて。僕のこと誰に聞いたの?」

「カリケツさんに。あなたに任せれば間違いはないと」

分かりきっていたことではあるが、やはりあのデブか。いい加減なことを…。

「あのね、あのデブ猫のことはあまり信用しちゃ駄目だよ。いい加減なことしか言わないから」

「そうなんですか?でも、それでなくても猫又さんの噂はよく聞きますよ?みんな猫又さんに頼んで良かったって言ってますし」

「買いかぶりだよ。僕は化け猫だけど、そんなにすごいことは出来ないよ」

僕の言い分に若丸は、

「そんな難しいことじゃないから大丈夫です!その、ある人物の正体を暴いてほしいってだけなんです」

「正体?」

「………話、聞いてくれます?」

――そういう上目遣いはやめてほしい。

 若丸の媚びた上目遣いに僕はあっさりと、

「はぁぁぁ。わかったよ。聞くよ、聞きますよ」

折れてしまった。

「ありがとうございます!」

若丸は喜ぶと、順を追って説明し始めた。




 若丸は半年ほど前に、道端に捨てられた。

 わりと裕福な家族が飼っていた黒猫の子どもだったのが、その家族が冷たい人間だったのか、何かやむにやまれぬ事情があったのかは知らないが、とにかく若丸は捨てられた。

 そんな若丸を拾ったのが、相沢素子だった。

 相沢は夫を交通事故で亡くして一人暮らしをしていおり、一人でいることの寂しさを紛らわせるために拾ったようだが、若丸はそれでも拾ってくれたことに大層感謝した。

 それからしばらくは相沢と楽しく暮らしていたのだが、最近相沢に男ができたようなのである。




「いいじゃない。何がいけないの?」

今の話に問題らしいところがまるでないので、僕はそう言った。

「恋人ができるのは俺だっていいことだと思いますよ」

その恋人の名は、犬井健太郎と言うらしい。

 その犬井が、どもにもおかしいと若丸は言うのである。

「おかしい?どういった風に?」

「それなんですけど、なんて言うか……こ、怖いんですよね」

「?……それはつまり、強面とか猫嫌いって感じの人ってこと?」

「うーん。俺、人間の顔の良し悪しは良く分からないですけど、格好はいいと思いますよ?素子さんにちゃんと愛情を注いでいるようですし、男としは申し分ない…かなと」

「分からないなぁ。じゃぁ、何が怖いの?」

どうにも要領を得ない若丸の話に、僕は首を傾げた。

「得体のしれない感じ……とでも言うんですか?ほとんど俺の直感なんでアレなんですけど、ときどき妙に雰囲気が禍々しいというか」

「ふーん」

他にも奇妙な威圧感を感じたり、獣のようなにおいが微かにしたりと、若丸の感覚がこれは人ではないのではないのかと告げているのだ。

「人じゃない?」

「ええ。でも俺じゃ確かめようにもどうして良いか分からないし。もしかしたら素子さんに危害を加える目的とかあったら何とかしたい。そこでそういう方面に明るいと噂の猫又さんに頼んでみようと、こういう次第です」

「なるほどね」

僕は頷くと、ベンチから飛び降りた。二股の尾をヒュンヒュン振り回した。

「まぁ、話聞いちゃったし、とりあえず出来る範囲のことはやってみるよ」

「本当ですか!?ありがとうございます!」

「言っとくけど、危険なことはできないからね?戦うとか言語道断だからね。僕はホントに大したこと出来ないから」

あまり期待されてもアレなので、一応僕はそう忠告した。

 若丸は一瞬泣きそうな顔になったが、それでもグッと堪え、

「分かりました。頼んだのは俺です。文句は言いません」

きっぱりと言い切った。

 僕は目を細めると、

「君は…いい猫だねぇ」

思ったことを口にした。今日日、こんな真っ直ぐな猫はあまり見ない。

「んな!?そ、そんなことないですって」

僕は若丸が照れながら否定するのを微笑ましく思いながら、若丸と公演を後にした。





















 民家の屋根や塀をあっちこっち飛び歩き、若丸の住んでいる相沢邸についた。

 僕は塀の上で並んで座っている若丸に、

「何だよ。良い所に住んでるじゃない」

と冗談めかして左前足の肉球で若丸の横腹を突いた。

「にゃうっ。ちょ、ちょっと、やめてくださいよ~、俺弱いですからぁ」

「ごめんごめん。しかし羨ましいね。こういう家、なんて言うんだっけ?」

僕は適当につつくのをやめ、相沢邸を見上げた。

「所謂、人間様で言うところの『こうきゅうじゅうたく』ってやつらしいですよ。三十七坪二階建て」

「ふーん、いいね」

確かに広く、小振りな庭が実に似合っている。あの二階から突き出ているベランダで昼寝したら最高だろうなぁと僕は思った。

若丸は首を傾げながら、

「いいですかね?一人暮らしにはちょっと広すぎると思いますけど」

「……。あぁ、確かにそうだね」

僕は肯定して辺りを見回した。

「で、肝心の犬井さんと相沢さんは?」

「今日は二人とも仕事は公休のはずですけど、いないってことはデートですね、車もないですし」

盛大にため息をつきながら若丸は答えた。

「それはまた……そう言えば二人はどんな仕事をしているの?」

「犬井さんはどっかの社長さんだったかな?素子さんはその付き人みたいな仕事です」

「付き人?……秘書とかかな?」

「さぁ、多分そうだと思います」

「じゃぁ、もともと繋がりはあったわけだ」

「あ、いえ。素子さんが……その、ひしょ…ですか?…とにかくそれになったのはここ最近です。なんでも犬井さんからうちに来てほしいって猛烈にアタックされたようで」

「……。ほとんど囲われているようなもんだな」

僕は呟くように言うと、塀から飛び降りた。

「犬井さんは本気で好きなんだね、相沢さんのこと」

若丸も僕に倣って飛び降り、

「やはり、そう……なんでしょうか?」

着地する。

「考えてみたら、危害を加えるならもうやってるでしょ?」

「それはそうですけど……」

若丸はまだ不安そうだ。

「あと、犬井さんは間違いなく人間じゃないね」

「は……?」

僕のあまりにも唐突でかつ軽い言い方に、若丸は困惑したようだった。

「いや、だから、人間じゃないっぽいよ。犬井さん」

「な!…………何でわかるんですか!?」

驚愕する若丸がおかしくて、僕は笑いながら答えた。

「まぁ、なんて言うか、気配だよ。この辺に漂う気配に僕みたいな化け物と同じ類のものを感じた。それだけ」

「じゃ、じゃぁ、正体は…」

「うーん、これだけじゃぁね。直接対峙してみないことにはなんとも」

若丸は相当深刻そうに顔を歪めた。

 と、そこへ奥の角から黒塗りのベンツが右折してきた。

「あ、素子さんが帰ってきた」

エンジン音で振り返った若丸が、ごくりと唾を飲みながら言った。

「よし、とりあえず準備だ」

僕と若丸は隣家の中へ隠れた。

 ベンツが相沢邸の車庫に入る音が聞こえる。

「猫又さん――うにゃっ!?」

若丸は後ろ居ると思っていた僕の方を見て、素早く飛び退いた。

「どう?若丸」

僕は人間に化けてた。歳は二十歳前後。身長は百七十あるが、猫背のせいで身長より低く見える。頭には大きなハンチング帽をかぶり、群青色のつなぎを着て、右胸には刺繍で三池電気店とある。その下には『猫田又一』と書かれた名札をぶら下げている。

「………猫又さん……ですか?」

恐る恐る訊ねてくる若丸に、僕は安心させるためににっこりと笑った。

「そうだよ。これが僕の人間バージョンだよ。まぁ、完璧にとはいかないんだけどね」

僕はそう言ってハンチング帽を取ると、もっさりとした白と黒と茶色が混ざった髪から突き出ている猫の耳を見せた。

「…本当だ。猫耳だ。――にしても、すごいですね。あ、その状態だと普通に人間とも話せるんですよね?」

「もちろん」

「………すっごいなぁ」

すごいすごいを連発しながら、若丸は呆けたように僕に見入っている。

 僕は若丸のそばまで行ってしゃがみ込むと、

「じゃぁ、相沢さんも帰ってきたことだし、僕は犬井さんと会ってみる。君はどうする?」

「決まっています。一緒に行きます」

本心はビビっているにも関わらず、若丸は即答した。

「いい返事だね」

僕は満足して頷くと、若丸と並んで相沢邸へと足を向けた。


















 ピンポーン…。

「……はーい」

相沢邸の呼び鈴を鳴らすと、中から良く通る綺麗な声が聞こえてきた。

「こんにちはぁ、三池電気店の者ですがぁ」

僕が間の延びた声で呼びかけると、ドアが開いた。

「電気屋さん?……うちに何の用ですか?」

怪訝そうな顔をした目元の涼しい麗人が出てきた。

 身長は百六十五といったところか。うちの飼い主である朋美ちゃんと同じくらいだ。

今日は白のワンピースを着ているが、着物を着せたら良く似合いそうな雰囲気がある。

「犬井さんがご依頼していた電化製品の修理の見積もりが出たので、書類をお渡しするついでにいろいろご説明したいと思いまして。電話したらこちらに来てくれてと言われましたので来たんですが」

僕があらかじめ用意しておいた嘘を並びたてると、

「はぁ、そうですか。ちょっと待ってくださいね」

相沢さんは、僕を怪訝な表情で見ながらそう言うと、犬井さんを呼びに言った。

「美人だね、相沢さん」

僕がぽつりと呟くと、かぶっているハンチング帽がもぞもぞと動き、ぷはっと息を吐きながら若丸がハンチング帽から顔を出した。

「そうみたいです。僕の自慢の飼い主です」

「ふーん。そうなんだ」

僕は家でジャージを着てごろごろしている飼い主の朋美ちゃんを思い出し、少しは相沢さんを見習ってほしいものだと心の中で嘆息した。

「まぁ、それはいいだけど、何で君は僕の頭に隠れているの?」

「あ、いや、それは~ですね、やっぱり犬井さんと面と向かってっていうのはちょっと怖いというか…」

「あ、そう」

度胸がある癖にへタレな若丸にも、僕は嘆息した。

「――ねぇ、健太郎さん。電気屋さんがあなたに会いにきているだけど」

室内から、うっすらと相沢さんの声が聞こえてきた。

「電気屋?」

くぐもっていて良く聞こえないが、太く響きのある声が聞き返した。おそらく犬井だ。

「ええ、三池電気店って言ってたわね。それとあなたから電話もらって来たtっていっているけど?」

「………。どんな奴だった?」

「え?」

「そいつの格好っていうか、容姿」

「……そうね。一言で言うなら猫みたいな人かしら。目がこう釣り上がっていて、猫背で、大きなハンチング帽をかぶってたわね」

「……………」

「……健太郎さん?」

「分かった。俺が出る。多分上がってもらうことになるだろうからお茶頼む」

「分かったわ」

どうやら話は終わったようだ。

 さっきとは違う気配がこちらに近づいてきたので、僕は若丸をハンチング帽に引っ込ませた。

 ドアが開いた。

「こんにちは!大変お世話になってます!三池電気店の猫田と言います!」

すかさず元気よく挨拶をしてみた。

 ドアを開けた三十代前半くらいの長身痩躯の男は、呆れたように半眼になった。

「入れ」

短く無愛想に呟いて、男――犬井健太郎さんはドアを開けたまま引っ込んだ。

 僕は「お邪魔します」と頭を下げるといそいそと中に入った。

「こっちだ」

フローリングの廊下を少し歩き、襖の部屋へ案内された。

 八畳間に足の短いテーブルが置かれただけの客間に入った僕と犬井さんは、テーブルを挟んで向かい合うようにして座布団に腰を下ろした。

 すぐに「失礼します」と声がかかり、湯呑みを二つ乗せたお盆を持った相沢さんが入ってきて、それぞれにお茶を置き、「では、ごゆっくり」と言って出ていった。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………。お前、又の字だろ?」

犬井さんは胡坐をかくと、湯気の立つお茶をすすりながらぞんざいに言った。

 やはり、僕が何者か気付いていたようだ。

「あはっ。やっぱりばれましたか」

僕は正座のまま、より一層前屈みになりながら、湯呑みを両手で包むと、フーフーと息を吹きかけた。

「雰囲気でわかンだろ、普通。おまけにこれ見よがしに猫目、猫背、猫舌。これで分からん方がどうかしてる」

「まぁ、当然ですね」

ようやく飲める温度まで下がったので、僕はこくりとお茶を飲んだ。

「じゃぁ、僕が来た理由は?」

「大方、その帽子の中のチビに言われて来たンだろ?」

「流石ですね」

僕がそう言ってハンチング帽を取ると、「うにゃぁぁ!?」と可愛らしい悲鳴を上げながら、若丸は僕の背中を転がり落ちた。

「猫又さん!何で取っちゃうんですか!?」

素早く跳ね起きた若丸は非難がましく僕を見上げたが、犬井さんがこちらを見ていることに気づくと、顔面蒼白(猫なので分かりずらいが)になった。

「よう、若丸」

犬井さんが声をかけると、若丸は僕の腰辺りに前足でしがみついてぶるぶると震えだした。

「あなた――彼に何したんですか?」

ボンが半眼で睨むと、犬井さんは少し慌てながら、

「失礼な奴だな、何にもしてねーよ。そのチビが勝手に俺のこと怖がってんだよ」

と言った。

「若丸、怖がらなくてもいいよ。これは僕の古い知り合いだ」

「……本当ですか?」

しがみついたまま、声を裏返して聞いてくる若丸の頭を撫でながら僕は頷いた。

「うん、僕と同じでね。狗神って言うんだ。昔は食い意地の悪い、クソ野郎だったけど、随分前に丸くなってね。今はとてもいい奴なんだよ」

「……そ、そうなんですか」

僕の説明に、若丸は大分落ち着いたようだが、未だしがみついたままだ。

「おい、又の字。てめぇ、さっきからきいてりゃてめぇ。死にてーのかコラ」

犬井さん――もとい、狗神さんは僕の悪口に腹を立てつつも、

「まぁ、いいや。やっちゃちまうのはこの際後だ。要件を言え」

と、いまいち僕がきた理由を理解できていないので、仏頂面で説明を求めた。

「いやね。あなたがあまりに気配消しが下手なせいで、この若丸が感づいて人間ではない、相沢さんに危害を加えるような『何か』なんじゃないのかって。それで不安になった若丸は僕に相談してきたってわけ」

僕が説明すると、狗神はうんざりしたように顔を顰めた。

「失礼なのは相変わらずとしてだな、又の字。お前いつからそんなお節介になった?」

「鯨井さんとこのデブ猫が、僕が頼れるなんて嘘八百をいろんなところでしてるんだよ。そのせいでこのザマさ」

「はは、ちげぇな。お前は単にお人好しなだけなンだよ」

「うるさいよ。………で、本題に話を戻すけどさ。狗神さん、相沢さんとイイ仲らしいけど、どうするつもりなの?」

「どうするって……お前、そんなん決まってンだろ?幸せにすンだよ」

狗神さんの照れたように言うその姿に、吐き気にも似たムカムカが僕を襲ったが、それよりも早く若丸が反応した。

「そ、それ、本当、なんですか?じ、じじ実は食べよう、とか思っていません?」

「はぁ?」

狗神は心底理解できないという顔で若丸を見た。

「だ、だって、狗神ってことは、に、人間食べたりとかしないんですか?」

「食べるかよ、あんなんまずいだけだぞ」

「……狗神さん、食べたことあるんだ?人間」

僕が半眼で口を挟むと、若丸はあわあわしながら、

「うわぁぁ!やっぱり食べる気なんだ!」

「ばっ、ちげーよ!そんなことしねーって!俺の大事な恋人だぞ!」

「それ、信じられません!」

「何だとぉ!?てめぇ、いくら自分の居場所がなくなりそうだからって俺に八つ当たりしてんじゃねーよ!」

「な、何ですかそれ!僕はただ素子さんが心配で――」

「嘘つけっ。それ建前だろうが。ホントのところ、俺が素子をどうこうしてしまった時に、自分を世話してくれる人がいなくなるから、それが怖くて又の字に相談したんだろうが!」

「――っ!!」

若丸はギリリと歯軋りをすると、狗神さんを睨みつけた。

「その辺にしといてやってよ、狗神さん。あなたの悪い癖だよ」

僕は会話が途切れるのを待って割って入ると、狗神は言い過ぎたと思ったのか、バツが悪そうに頭を掻いた。

「――まぁ、何だ、チビ助。お前遠くから俺と素子を見てたンだろ?だったら俺が何者であれ、素子を大事に思っていることは分かるだろ?」

「………。えぇ」

すっかりしょげ込んだ若丸に、狗神は困ったような顔をした。

「又の字、俺、やっぱ言いすぎたか?」

「あなたは昔から一言多いんだよ」

僕は狗神さんにそう言うと、若丸に向き直った。

「若丸、そうしょげなくても、相沢さんはいなくならないし、君の居場所がなくなるなんてこともないよ。それに君のその本音は別に恥じることはないよ。誰だって思うことだ」

若丸は泣きそうな顔で僕を見上げた。

「でも、俺はひどいやつです。結局、自分のことしか考えてなかったんですから」

「そんなことはねーだろ?」

「え?」

「ホントに自分のことしか考えてねーなら、俺が得体のしれない奴だと分かった時点で素子から離れてるはずだろ?別の、自分を世話してくれる人を探してさ。それをしなかったってのは、お前は飼い主である素子が心配でしょうがなかったってのも本音なんだろうよ」

「……狗神さん」

恥ずかしいのか、ソッポを向いたまま言う狗神さんに僕は込み上げてくる笑いを堪えるのに必死だった。

「おい、又の字。笑ってンじゃねーよ」

あっさり笑っているのがバレてしまった僕は、ゆっくりと立ち上がった。

「――行くのか?」

狗神が言うと、僕は頷き、

「ええ、犬井さんの正体を探れという依頼は、もうずいぶん前に解決しましたし。後はお二人の歩み寄りの問題なので、邪魔者な僕は引き上げますよ」

「もうすぐ夕飯時だし、食ってけよ。このチビが迷惑かけたお詫びにさ」

狗神さんの申し出に僕は頭を振った。

「気持ちだけでいいですよ。せっかくの公休でしょ?あなた達の邪魔になるだけですよ」

「そうか。まぁ、今後も遠慮せずに暇があったらいつでも来いや」

笑って言った狗神に、僕は、

「ええ。遠慮なく来ます。今度来た時に二階のベランダで寝てもいいですか?」

笑い返しながら言った。

「好きにしろ。素子には俺が言っておく」

「それはどうも。これで楽しみが一つ増えました」

そう言って部屋から出ようとした僕に、若丸が声をかけた。

「あ、あの!」

「ん?」

「ありがとうございました!」

僕は襖を開けると、

「またのご利用をお待ちしております――なんてね」

そう言って僕は部屋を後にした。














「ねぇ。今日は遅かったけど、どこまで行ってたの?」

夜。三池公園近くの地味な平屋。

 その平屋の大雑把に片づけられたリビングのソファで、僕は丸くなっていた。

 その横でテレビを見ているこの家の住人で僕の飼い主である遠藤朋美は、僕の背中をつつきながら今日のことを聞いてきた。

 相変わらず白のTシャツに紺ジャージといったラフな服装に、伸びた髪を無造作に一つ縛りの格好をしている彼女は、度の高いごついフレームの眼鏡をずり上げながら、僕の背中の感触を楽しんでいる。

「ちょっと……昔の知り合いに会ってた」

僕は執拗に背中を突いてくる朋美ちゃんの手を二股の尾で払いのけながら言った。

「へぇ、又君にそんな馴染みの猫いたんだ?」

「猫じゃないよ。まぁ、猫もいたけど」

「違うの?じゃぁ、なんなの?」

「犬」

「うわっ!さいてー」

子供の頃、犬に噛まれたのを未だに根に持っているうちの飼い主は、眉を寄せて僕の尾を思いっきり指で弾いた。

「にゃっ!?何すんのさ!?」

僕は跳ね起きると、毛を逆立てて抗議した。が、やった本人はどこ吹く風のごとく、飄々とした表情で、

「犬なんぞにあった罰よ」

と、のたまった。 

 そんな朋美ちゃんを見て僕は大きく嘆息すると、そのままポテリと横になった。

「ちょっと又君。大丈夫?随分ローテンションな顔してるけど」

「……うーん」

心配そうにこちらを見ている朋美ちゃんの顔をちらちら見ながら、僕は言った。

「ちょっと聞くけどさ」

「何?」

「朋美ちゃんは男とか作らないの?」

「………。は?」

質問がよほど意外だったのだろう。口をぽかんと開け、文字通り唖然としている。

「どーしたのよ、急に」

「………今日ちょっといろいろ思うところがあってね。聞いてみただけ」

「……何よそれ」

怪訝そうに聞いてくる朋美ちゃんの問いには答えず、僕はむくりと起き上がると、朋美ちゃんの膝の上に跳び乗った。

 そしてさっきのように丸くなった。

 その僕の行動に、朋美ちゃんは目を丸くした。

「……今日の又君はホント変だねぇ」

「そう?」

「変なこと聞くし」

「うん」

「普段は膝の上なん手のらないのに」

「うん」

「何か……悩んでるの?」

「ううん」

悩んでいるわけではない。ただちょっと怖くなっただけだ。

 彼氏、親、何でもいい。僕らか見た第三者の関わりによって、僕にとって居心地のいい居場所が無くなるんじゃないのかと。

 そんな気がした。

 きっと若丸の環境が、僕のそれと少し似ているからだろう。こんなことを考えてしまうのは。

「もう。そんな寂しそうな顔しないでよ」

朋美ちゃんが明るい顔で言い、僕は顔を上げた。

「大丈夫だよ。どこにも行かないから」

満面の笑みでそう言った朋美ちゃんに、僕はどこか救われたような気がした。

――きっと、大丈夫。

「ありがと」

僕はそう言って、ゆっくりと目を閉じた――。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。

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