第二十話 永遠の旅人たち(エピローグ)
**第20話:永遠の旅人たち(エピローグ)**
数年の歳月が流れた。
かつて「第一管理区」と呼ばれていた土地は、今では違う名で呼ばれている。
崩れた境界壁の跡地には、緩やかな水路と湿地が広がり、人々はそれを「汽水域」と呼んだ。陸の乾いた文化と、水人間たちが運んできた記憶の文化が、少しずつ、しかし確かに混ざり合っていく場所。
政府の水質改ざんは、あの雨をきっかけに明るみに出た。上層部の一部は処罰され、配給トークン制度は緩やかに撤廃されていった。すべてが劇的に変わったわけではない。それでも、人々は少しずつ、水を「奪い合うもの」ではなく「分かち合うもの」として捉え直し始めていた。
トウマは、あの日の功績を認められ、新設された「水環境省」の初代長官として、陸とリキッドの共生政策を推し進めている。彼のデスクには、今も色褪せない、レンの写真が一枚飾られていた。
「相変わらず、無茶するよな、お前は」
トウマは、湿地の畔に立ち、遠くの水面を見つめながら、独り言のように呟いた。
湿地の水面には、時折、人懐っこいクジラの群れが姿を見せる。
海と陸が緩やかに繋がったこの世界では、クジラたちもまた、境界を越えて自由に回遊するようになっていた。
そのクジラの体内を巡る海水の中に、レンとサラの意識の一部は、今も確かに存在していた。
『レン、見て。今日もトウマが来てくれたわ』
サラの声が、水の分子を通じて、静かに響く。
『あいつ、変わったな。昔はもっと、理屈っぽいだけの技術官だったのに』
『あなたのおかげよ。……あなたが命がけで守ったものが、あの街を、少しずつ変えていったの』
レンとサラの意識は、もはや一つの明確な輪郭を持たない。あるときはクジラの血流の中に、あるときは空を流れる雲の中に、あるときは大地に降り注ぐ雨粒の中に、二人は静かに、しかし確かに漂い続けていた。
それは「死」ではなかった。
かつて長老が言ったように、消えるのではなく、還る。46億年前から続く、この星の水の循環の中に。
『レン、私たち、これから先も、ずっとこうしているのかしら』
『さあな。でも、悪くないと思わないか』
雲となって空を旅し、雨となって大地を潤し、川となって海へと還る。そしてまた、太陽の光を浴びて空へと昇っていく。
終わりのない、始まりもない、永遠の巡りの旅。
『いつか、また誰かの喉を潤すの。名前も知らない、遠い未来の誰かの』
『それでも、俺たちは俺たちのままだ。お前は「サラ」で、俺は「レン」で』
『ええ。……ファーストネームだけは、忘れない』
湿地の畔で、一人の少女が、水面に映る夕陽を見つめながら、両手で水をすくい上げた。
冷たく、澄んだ、瑞々しい水の感触。
少女はその水を、そっと口に含んだ。
その一滴の中に、かつて「レン」と「サラ」と呼ばれた、二人分の記憶が、確かに宿っていた。
少女には、それが誰の記憶かは分からない。
けれど彼女は、なぜだか無性に、誰かを大切に思うような、優しい気持ちに包まれるのを感じた。
風が吹き、湿地の水面が静かに揺れる。
乾いた大地と、46億年の雫は、今日もどこかで、誰かの命を、静かに巡り続けている。
(完)
『アクア・メモリア 〜乾いた大地と46億年の雫〜』、全20話、これにて完結です。
ありがとうございました。




