第十七話 熱線と強制蒸発
**第17話:熱線と強制蒸発**
はるか上空――陸の方角から迫ってくる、巨大な熱源の気配。
レンの意識は、その異様な予兆に、かつてない緊張を覚えた。
『サラ、あれは……』
『まさか……“天の鏡”……!』
サラの声が、恐怖に震えた。
『陸の政府が、非常時のために開発したという、軌道上の巨大反射鏡よ。太陽光を一点に集約して、地上のどんな場所でも瞬時に灼熱化できる……都市伝説だと思っていたのに』
レンの意識の視界――もはや目という器官を通さない、水そのものとしての知覚――に、夜空の一角が異様に明るく輝き始めるのが映った。
境界壁の監視塔から、無機質な合成音声が響く。
『電磁沈殿剤による初期化作戦、失敗を確認。第二フェーズ、天の鏡による熱線照射作戦へ移行する』
「失敗……? ああ、そうか。俺たちが記憶を復元させたから……」
レンは理解した。政府は、記憶を消去する試みが失敗したことを察知し、今度は物理的な手段で――海水そのものを蒸発させることで、リキッドたちの意識を完全に「離散」させようとしているのだ。
『みんな、逃げて……!』
サラが、海全体に向けて必死に呼びかけた。
だが、逃げ場などなかった。境界壁に囲まれたこの海域は、まさに巨大な檻。上空からの熱線を避ける術は、どこにもない。
閃光が走った。
夜空の一角から放たれた眩い光の柱が、海面の中心に着弾した瞬間、レンの意識は、これまで経験したことのない激痛に貫かれた。
「あああああ……!」
熱が、水分子そのものを引き裂いていく。
液体としての結合力が失われ、粒子が急速に気化していく感覚――それは、身体を焼かれる痛みとは全く異質な、存在そのものが「バラバラに引きちぎられる」苦しみだった。
『く……ああああ……!』
サラの意識も、同じ苦痛に苛まれていた。彼女の輪郭が、白い水蒸気となって、レンの中から少しずつ引き剥がされていく。
「サラ……離れるな……!」
レンは必死に、彼女の意識を繋ぎ止めようとした。だが、熱線の力は圧倒的だった。海面のあちこちで、無数のリキッドたちが白い霧となって立ち上り、悲鳴のような声を残しながら、意識が細切れに引き裂かれていく。
『痛い……痛いよ……』
『せっかく……思い出したのに……』
先ほどまで喜びに満ちていた海が、一転して、苦悶の声で満たされていく。
レン自身の意識もまた、水蒸気となって空へと引き上げられていく感覚を覚えていた。身体という重さから解き放たれ、彼の存在は、白い霧となって夜空へと立ち昇り始めた。
(このまま、散り散りになって、消えるのか……)
朦朧とする意識の中で、レンはふと、奇妙な感覚に気づいた。
蒸発していく自分の身体――いや、もはや身体と呼べるものはない――が、確かに「軽く」なっていくのを感じる。それは、消滅への恐怖であると同時に、これまで経験したことのない、圧倒的な「自由」の感覚でもあった。
『サラ……見えるか。俺たち、空に……』
『レン……』
散り散りになりながらも、レンとサラの意識は、互いの名前という錨だけは決して手放さなかった。二人分の――いや、無数のリキッドたちの記憶を宿した水蒸気は、境界壁を越えて、はるか上空、夜空の彼方へと立ち昇っていく。
地上では、指揮官が満足げにディスプレイを見つめていた。
「よし、リキッドの群体反応、消失を確認。……いや、待て。この上昇気流のパターンは……」
ディスプレイに表示された巨大な白い塊――かつて海だったものが姿を変えた積乱雲は、境界壁の上空で、ゆっくりと、しかし確かな意志を持って、渦を巻き始めていた。




