ただひとりのための英雄
広場の中央に、民衆を威嚇するようにそびえる漆黒のギロチン台。
夕日が空に溶け始める頃、ひとりの少女がその階段を上る。木の板でできた手枷を嵌められ、繋がれた鎖を引かれながら。
彼女は魔女の容疑をかけられて、その道を歩く。それは逃れられない罪。すべてを諦めたかのように、少女は虚ろな瞳でギロチン台を見つめた。刃は、鈍色に輝いていた。
男は短剣に手をかけた。眼前に広がるは人の群れ。娯楽の少ないこの街での、数少ない観劇。それがこのギロチンによる処刑である。遠く離れた街からもこの処刑を見るために人が訪れてくる。広場は、そうした野次馬たちで溢れ、男の行く手を阻む。
ただひとりのための英雄になりたい。たとえ穢れきったこの手だとしても。罪に溺れた魂だったとしても。
そして男は短剣を抜く。その道を阻むは幾十の民衆と幾十の兵士。
これは、戦争。
ここは、戦場。
男は静かに歩き出す。短剣をその手に。少女の待つ、ギロチン台へと。
少女は街の片隅で、花売りをしていた。疫病が流行る中、幸運にも少女は未だ健康で、貧しくはあったが平穏な毎日を過ごしていた。
そんなある日、少女は路地裏で、ゴミにまぎれて倒れる血塗れの男を見つける。どうせ盗賊の類だろう、と一瞥して、再び帰路につく。それでも聞こえる男の呻き声。少女は立ち止まり、男へと振り返るのだった。
男が目覚めると、そこは見知らぬ屋根の下だった。体に重みを感じる、首を動かすのも辛いので、眼球の動きのみで見渡すと、どうやらここは民家のようだった。
ギシギシと呻く体を、薄い毛布ごと起き上がらせる。貧相な部屋だった。木製のテーブルに二組の椅子。暖炉すら見当たらない。逃げるべきだ、と言う本能に従って、男はすぐ脇の窓に手をかけた。しかし、腕に力が入らず開ける事が出来ない。
そうしているうちに、少女が部屋に入ってきた。赤子も入りそうな大きなカゴに、色とりどりの花。どうやら花を摘んできた帰りらしい。
「あら、生きてたのね」
そう笑って、水とパンを差し出してくる少女。
その優しさに、男は生まれてはじめて、涙を流した。