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死者物語  作者: 海豹釣太
6/10

パン屋の娘は良い娘

 広場から少しばかり離れた表通りの一角に、小奇麗な酒場がある。


 別段路地裏にあるという事もなく、客層が荒っぽいわけでもないごく普通の酒場。出入りする客も、ごく普通の平民だ。ただ、ここでは他の酒場よりさかんに行われている遊びがある。


 それが賭け事。賭けといっても、何もカードの目に金を賭けるだけが能ではない。


「俺はジョナサンに三枚」


「じゃあ俺は……ヘンリに二……いや四いくか」


「強気だなオイ……当てでもあんのか?」


「あっても言わねえよ」


 今回皆さんが賭けの対象にしていらっしゃるのは、これまた良くある浮ついた話で。


 この酒場と同じ通りにあるパン屋の娘が、一体誰とくっつくかという――そういう下世話な賭けでありました。




「いらっしゃい」


「おう。今日もあれだね、ええ、綺麗だね」


「ご注文は?」


「うん?」


「パンを買うのならお客さん、買わないのならおとといおいでなさい」


「買う買う、買うって……まったく商売上手だね本当に……」


「はいどうも、ありがとう。またのお越しを」


「おいおい、つれないなあ」


「吊ろうにも、あんたのそののっぺりした顔じゃとっかかりがなさすぎて何も吊れないよ」


「…………。……まあ……いいや。な、こんなしけた仕事放ってさ、俺と何処かに行かないか?」


「どこかって、どこに?」


「そうだな、街に繰り出して遊ぶのもいいし、橋を渡って隣町を見に行くのもいいな。何でも、面白い旅芸人が来てるって話だぜ。仮面をかぶったピエロが指揮を取って、大勢の子どもが楽器を鳴らすんだと」


「ふうん」


「なあ、いいだろ? どこにでも連れてってやるからさあ」


「本当にどこにでも行くの? 嘘吐かない?」


「もちろん!」


「そ。じゃあ、あんた一人でどこへなりと好きな所に行くといいよ」


 とまあ、この調子。パン屋の娘は器量良しだったし愛想もあったのだけれど、始終男に口説かれていればまあ、こんなふうにもなるというもの。娘はいつでもどこでも誰相手でもこの調子だったから、それはまあ、人の恨みも買おうというもので。


 ある時この娘三度にわたって振られた男というのがあった。その男は裕福な商人の息子で、まあ言ってしまえばボンボンだ。とにかく、生まれてこのかた挫折というものを知らない。そんな男だったから、振られたということに対して悲しみだとかそういう感情を抱く前に、娘を逆恨みしてしまった。


 そこで男は腹いせに、娘が魔女であるなどという事を言いふらしてしまったから――さあ、話がややこしくなる。


 現代では皆さん、魔女なんて怖くも何ともない上に馴染みもない、良いところで宅急便だのオズの魔法使いを思い浮かべるところでしょうが、この当時はそうはいかなかった。黒々とした森のように、唸りを上げてのたうつ海のように、魔女というのは、、それはそれは恐ろしい存在であったのだ。


 ここは片田舎の小さな街だ、迷信深い連中も多い――というか、そういう人間が大多数なわけで。男の思惑を遥かに越えて、事が大きくなってしまった。


 さて、そこで困ったのが、この街にある小さな教会の牧師さんだ。町の衆は、何も本気で娘の事を魔女だと疑っているわけではなかったのだが、しかし事が事だけに放置も出来ない。まあそういうわけで、牧師さんにお鉢が回ってきたのは当然の流れであった。




「魔女なら浮く。魔女でないなら沈む。……簡単なことだな」


「……」


 街の衆が見守る中、手足を拘束されたパン屋の娘が、縄で吊るされて川に沈められた。


 そう、彼女は沈んだ。いともたやすく。人間は、基本的には水に浮くように出来ているのだから、これは本来異常なことだ。


 とはいえ異常だの超常なんてものには、落ちか種があるのが常であるわけで。この場合もそうだった。娘の手足を戒める枷は鉄製で、もうとにかく重い。けれどそれだけでは目方が足りないということで、娘の体には、目立たない範囲で、鎖でもって鉛の塊だの何だのが括りつけてあった。そんなわけで、娘は当然のように沈んでいく。


 街の衆が見守る中、娘は長い事沈んだままだった。何しろ牧師さんが良いと言わないので、街の衆は見ているしかない。


 二分が経ち三分が経ち、それでも牧師さんは娘を引き上げようとはしなかった。


 これでは娘が死んでしまう――と、街の衆も思わないではなかったのだが、しかし声を上げる者はいなかった。


 とはいえこれも、種も仕掛けもないのでは、娘は死んでしまう。ここにもしっかりと、種と仕掛けが用意してあった。


 ドン・キホーテよろしく、小道具は革のワイン袋。ここではかの騎士の寓話とは違って、中身は空で、いや空気を入れて使うわけだが。


 ま、これで息は大分続く。それでも牧師さんが娘を引き上げた時分には、娘はもう限界のようであったが。


 娘の疑惑は、これで見事に晴れたわけだ。


 だが、これで万事解決――というにはまだ早かった。牧師さんがこんなに長い時間娘を沈めていたのにはわけがあった。こうして娘が水に没している間に、事の発端、例のあの男が『彼女が魔女だというのは嘘だった』……などとまあ、そのようなことを告白するのを期待していたわけだ。しかし当の男はと言えば、隅の方で青い顔をして震えているばかり。事ここに至り、牧師さんの慈悲も潰えた。牧師さんは街の衆を見渡して、良く通る声で宣言した。


「この娘は魔女ではありません」


 街の衆はほっと一息ついて、娘を祝福――というのもおかしいが、娘に声を掛けたり、隣の奴と雑談を始めたりで、ようやく平静を取り戻したようだった。だがそのざわめきを割って、牧師さんはさらに告げる。


「――では、彼女のことを魔女だと言った人間は? 勤勉で貞淑で善良な娘を、魔女であると偽りの告白をした人間は、どうなのでしょうか」


 その場の全ての人間の視線が、ボンボンに突き刺さった。


 ぽん、と。その男の肩を叩くものがいた。


「……あ」


「良かったわね。次はあなたの番だそうよ」


 パン屋の娘が、男に笑いかける。男は引きつった表情のまま、街の衆に担ぎあげられ、川に投げ込まれた。


「おいおい牧師さん、あいつはどうするんだ? 浮いて来ちまったようだけど……するってえと、あいつは魔女か?」


 牧師は肩をすくめて、一言、


「放っておけばよい」


「え……でもよ、もし本当に魔女だってんなら……」


「何、沈むまで放っておけばいいんだよ。沈んだなら魔女ではない」


「……道理だな」


 十方世界に神はおらずとも、世は並べて事も無しという――これは、そういうお話でありました。




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