喫茶店NyanNyan ~猫は猫を被らない~
吾輩は猫である。名前はまだない。
吾輩は、喫茶店NyanNyanというところで看板娘ならぬ看板猫娘をやっているのだが、ここにやってくる人間の与太話を聴くのは楽しい。
たまに不遜にも吾輩を撫でてこようとする輩もいるが、そういうのを除けばやってくるのは大体吾輩にとってはくだらん悩みを持った人間ばかりだった。
──と、今日もまた一人の人間がこの店に迷い込んできた。
「おぉ、畠山さん。今日も来てくれたんですか」
このちょっぴりハゲかかった男の人は畠山さん。
最近、この店にしょっちゅう通ってきてる。吾輩的評価は、星4だ。撫でようとしてこないから。
「いつもので」
「わかりました」
畠山さんの合言葉にご主人が返事をすると、いつものようにマズい液体を作り始める。
畠山さんはカウンター席に座って、俯きながら木目をボーっと眺めていた。その様子に気が付いたご主人が、豆を挽く手を動かしながら優しい声をかけた。
「──今日はなんだか元気がありませんね。何かあったんですか?」
「あぁ、わかりますか? 流石はマスターですね。何でもお見通しだ」
「相談なら乗りますよ。コーヒーを飲んでリラックスして、少しでも心を軽くしてください」
ご主人は、いつもの低く落ち着いた声で畠山さんにそう語りかける。吾輩は、大きかったり高い声が嫌いだから、ご主人がご主人でよかった。まだ聴いてられる。鳥なんかに育てられることになった日には、吾輩の耳は腐れ落ちてしまうだろう。
「──それで、何があったんです?」
「少し、妻とケンカしてしまって」
妻!!
まさかこのハゲチョビリンの畠山さんに妻がいたとは。衝撃の事実に、吾輩は腰を下ろしている窓際の特等席から足を滑らせそうになってしまった。まさか、畠山さんが結婚しているなんて。結婚相手はキツネかタヌキなどの全身毛むくじゃらな獣で、毛のない種族に憧れでもしたのだろうか。黄色人種の雌は、白色人種の雄に惹かれると、いつかの集会で灰色の同志も言っていたような気がするし、それと似たようなものかもしれない。吾輩は人間に惹かれないが、物好きなキツネもいるようだ。
「ケンカだなんて。何かあったんですか?」
「言葉にすると馬鹿馬鹿しく聞こえるかもしれませんが、食べた後の食器を洗わなかったのを忘れてしまって。それを何度も繰り返してしまったんです。それで、妻の逆鱗に触れてしまって」
逆鱗があるとはこれまた驚いた。逆鱗のあるキツネなどいないから、きっと畠山さんの妻はキツネではなく爬虫類なのだろう。これまた物好きな爬虫類だ。人間のどこに引かれたのだろうか。体毛に惹かれたというのなら、まだ吾輩の方がチャンスがありそうだ。爬虫類なんぞ、吾輩の方からお断りだが。
「──解決策はわかっているんです、これから忘れずにお皿を洗えばいいってことは。でも、それだとマイナスがゼロになっただけじゃないですか。だから、何とかしてプラスにしたいなぁと考えているんですけど、何も思いつかなくて」
畠山さんはそう口にして、マズい汁を作るご主人の方を見る。
相手が亀なら、甲羅を磨いてやるのがいいだろう。だけど、畠山さんの妻がトカゲである可能性もある。
だから、簡単に甲羅磨きなど提案できない。そんな中でご主人はどんな答えを出すのか。吾輩は、ご主人の方をジッと睨みながらその返答を待つ。
「私に一つ案があります。そこで、注文していただいたコーヒーを別のメニューに変更していいですか?」
「──? まぁ、はい。でも、値段って」
「私が無理言って返させてもらうんですから、コーヒー一杯から変更しなくて大丈夫ですよ」
ご主人はそう口にしながら、マズい汁を作り続ける。
まさか、マズい汁をプレゼントするだなんて言い出すのではないか。吾輩がもしそんなことをされたら、顔面を引っ掻き回して、家にあるだけのティッシュをバラまくだろう。この世で一番の悪手を取るとは、ご主人も馬鹿だ。ちなみに、二番目は煮干しをおやつに出すこと。あれは美味しくない。
──と、睨むようにしてご主人を観察していると、マズい汁とは別に他の何かを作り出した。
鼻を包む柔らかい匂いが、すぐにそれがマズい汁とは対極をなす匂いの味がする葉っぱであることを教えてくれる。マズい汁ではなく、匂い味の葉っぱを仲直りの出汁に使うのなら納得だ。吾輩もそれなら許してしまうかもしれない。
「完成するまで待ってくださいね」
ご主人はそう口にして、2種類の飲み物を同時並行で作り始める。10分と経たずに、両方が完成したようでご主人はカウンターの上にその2つを並べる。
「これは……」
「いつも通りのコーヒーと、いつも通りの紅茶です。畠山さんが用意する時は、どちらも市販のもので構いません」
「は、はぁ……」
目の前に2つの飲み物を並べられて、畠山さんはわかりやすく困惑している。吾輩も、ご主人が何を考えているのかわからない。そう思って、ご主人の次の行動を見ていると、すると──
「──この2つを、混ぜてしまいます」
そう口にして、ご主人はマズい汁の中に匂い味の水を全て入れてしまう。
何をやっているんだ!と、飛びつこうかと思ったが、マズい汁にこだわりを持つご主人が、マズい汁を雑に扱うことなどないだろう。何か考えがあるはずだ、と聡明な吾輩は頭を早回しして飛びつくのをグッと我慢する。
「えぇ? コーヒーと紅茶をですか? マスター的には無しじゃないんですか?」
「はい。無しじゃないです。コーヒーと紅茶を混ぜたこの飲み物はは、鴛鴦茶と言いまして、香港の方では一般的に飲まれている飲みのです」
「ほう、香港で」
ホンコン。
それが何かは知らないけど、会話から考えるにそれが場所であることは間違いないだろう。
それも多分、うんと遠くだ。車に乗って行く、あの忌々しき「病院」よりも遠いのは想像できる。
「それで、畠山さん。鴛鴦ってのは何か知ってますか?」
「そうですね。鴛鴦……。中国の昔の皇帝とか?」
「残念、ハズレです。鴛鴦というのはオシドリのことです」
「あぁ、成程。オシドリですか」
「はい。オシドリ夫婦って言葉もありますから、この鴛鴦茶にかかれば亀裂の入った夫婦仲も回復できるはずです。是非、これを奥さんに作ってあげてください」
「わかりました」
納得したような顔をしているが、吾輩は「鴛鴦」も「オシドリ」もわからない。
オシドリってのは、ご主人がよくお客に渡している「おしぼり」と似ているけど、それの仲間だろうか。
吾輩の疑問は解決しないまま、畠山さんは鴛鴦茶とやらを啜っている。
「それにしても、マスターは優しいですね。まさか、私達の夫婦仲まで改善をさせる手伝いまでしてくれるなんて」
「ふっふっふ、ただ猫の手を貸しただけですよ。喫茶店NyanNyanだけに」
「──って、それが言いたかっただけかーい!!!」
「──え?」
「──へ?」
──あ、やべ。喋っちゃった。
「よ、読み書きはできないよ~」
「ば、化け猫だ~~~!!!!!!!」
畠山さんが大きな声を出す。嫌いな大きな声を出すから吾輩は喋れるのを隠して、猫を被っていたのに。誰か、この状況を解決するのに猫の手を貸してくれ。にゃんちゃって。




