2-1 旅立ちの日に
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奥州大陸の歴史にはいくつかの大国が存在する。
古代文明の時代、蛮族の時代、宗教と民族混淆の時代、動乱の時代を経て、生き残った王侯たちが「神より授けられた権利」をもって独善的に大地を切り分けてきた。
時には互いに刃を交わしながら。
前世紀には十五年戦争・御台所戦争と立て続けに大規模な戦争が巻き起こった。
今世紀も各地で紛争が続く。
弱肉強食の時代。大国は領土拡張政策を進め、小領主は身を守るために他国の家臣となる道を選ぶようになった。
東奥州のヒンターラント大公国はそうした流れの中で息を吹き返した国家である。
形骸化した『神聖大君同盟』の盟主として圧倒的な権威を保ちつつ、周辺の小領主を臣下に加え、山間部に領地を広げてきた。
加えて大公家は過去の戦乱により没落寸前まで追い詰められた経験から「戦わずに結ぶ」方針を取り、大国間の平和を保つべく各国の王家に娘を送り込むようになった。
去年処刑されたライム王国の王妃もそのうちの一人だったらしい。彼女は奥州の蝶番になるはずの人物だった──。
僕は馬車の中で奥州史の本を閉じる。
以前ジーナから耳学問で教えてもらった時も感じたが、前世で学んだ世界史との共通項が多い。
もちろん相違点も存在する。
例えば、前世では栄えていた地域が、異世界では寂れていたりする。逆も然り。
技術面では、冶金技術の発展が著しい。馬車のサスペンションが近世とは思えないほど近代的な作りになっている。
おかげで車中でも読書が楽しめる。砂利道だから全く揺れないわけではないが。
それに植物の植生も前世とは異なる。
砂利道の左右には綿花の畑が広がるが、前世の欧州大陸では木綿を栽培できなかったはずだ。
丘陵地帯を飲み込むほどの茶畑も見かけた。
思い返してみれば、ファニョン伯爵家の食卓でも緑茶を飲むことが多かった。日本人の舌には面白い味だったが。
新大陸の産物や香辛料を除くと、地元で自給自足できる原材料が多そうな印象がある。
それゆえにこちらの奥州史は内向きの傾向にあるのかもしれない。
「じきに港が見えてきますぞ、お嬢様」
我が家の使用人であるマケル老人が馬車の外から声をかけてくださる。
僕が坊ちゃんではなく「お嬢様」と呼ばれたのは変装しているからだ。
せっかく新大陸に向かうと決めたのに父親の家来衆に見つかったら台無しになる。当面は別人として行動する。
僕の隣席でいびきをかいているジーナにも栗毛のウィッグを被らせており、マケル老人も狩人の装いだ。
マケルについては元々王家の鷹匠だったらしく、老齢ながら歩きやすそうな軽装が似合う。
新大陸行きのボディガードとして彼を付けてくれた家令には感謝を申し上げたい。
新品の馬車で送り出してくれた母親にも頭が上がらない。自分は愛されている。
あるいは城館に戦火が迫る中、伯爵家の血を絶やさないために彼らなりに尽力された、と捉えることもできる。
「止まれえ!」
三叉路に差し掛かり、僕らの馬車の前に小銃を持った男たちが出てきた。
王国軍払い下げのマスケット(小銃)と二角帽の円形章から、相手方の素性は知れている。
革命派の民兵・国民衛兵だ。
その中でも隊長と思しき粗野な男性には見覚えがあった。
マケル老人も手を挙げて挨拶している。
「……なんだ。徴税人のナゼールではないか」
「んん。そこにいるのは、たしかファニョン家の使用人マケルだったな」
「久方ぶりじゃのう。おうおう。税金取りのくせに革命派についたと見える。賢いのう」
「革命で仕事が無くなったからな!」
「それはワシも同じじゃわい」
「お互い世知辛いもんだ」
元徴税業者の団長は肉付きの良い腹を叩きつつ、馬車の窓に目を向けてくる。
僕は扇子で顔を隠しておいた。下手に微笑んだら怪しまれる。
今の自分は「港町まで身内の葬式に向かう商家の令嬢」という設定である。
名前はジョセフィーヌだ。
国民衛兵が探している王党派の亡命貴族などでは決してない。
元徴税業者のナゼールは笑顔を浮かべたまま、マケル老人の肩を叩いた。
「さて。昔から『入り鉄砲に出女』といってな。念の為、車内を改めさせてもらうぞ」
「好きにしたまえ。お嬢様に失礼のないように頼むぞい。アメリ商会の縁者だ」
「金のほうは期待できそうだな」
ナゼールから降りるように促される。
仕方ない。眠れる姫君にも起きてもらおう。
僕は彼女の頬を突いた。
「ジーナ。地元の国民衛兵が馬車の中を調べたいって」
「いきなり何事ですか」
「革命派の検問だよ」
「そうですか。行李の中に陶器の手榴弾があります。馬車の床を外します。後はわかりますね?」
「馬車では逃げられそうにないよ」
僕は国民衛兵の陣容を彼女に伝える。
荒くれ者の民兵が数名、軽騎兵が二騎。
手榴弾を目眩ましにしても輓馬の脚では逃げ切れない気がする。馬が怯えて動けなくなる可能性もある。
「仕方ないわね」
彼女は息を吐くと、栗毛のウィッグを外した。
濡れ烏と形容される艶やかな長髪が露わになる。
その美しさにナゼールも目を見開いた。
「おい女。降りてこい。お前も見たことがあるぞ。ファニョン家の侍女だったよなあ」
「仰るとおりです。ジーナと申します」
「マクルとジーナ。ほうほう。さすがに両方居るのは怪しくねえかあ?」
ナゼールがこちらをにらんでくる。
僕が馬車から降りるなり、彼は全身をまじまじと眺めてきた。
今日のジョセフィーヌは架空の親族を弔うために落ちついた色合いのワンピース姿だ。
「お前ファニョン伯の娘か? 伯爵の愛人にしては若すぎるもんなあ。だが、あの家には男児しか居なかったはず。分家の子女? しかし母親の面影はあるぞ」
「…………」
「わかった。ふふん。お前、女装した次男坊だろお」
鋭い。しかし「的」を得ていない。今の僕は歴とした女性なのだ。
僕は潔白を証明するために持ち前の甲高い声で名乗りを──上げるより前に相手に乳を揉まれてしまった。
正確にはジーナがナゼールの右手を掴み、強引にこちらの胸元へ押しつけてきた。
思いきり揉まれた。
僕は情けない悲鳴を上げてしまう。
屈辱的な気分だ。恥ずかしい。穴があったら入りたい。
一方のジーナは涼しい顔をしていた。
「ナゼールさん、おわかりいただけましたか」
「おう。よくわかった。ところであんたは女なのかあ?」
「通行料は支払います。これ以上は商会の弁護士と相談してください」
「まあ、これだけもらえたら落としどころには十分だな」
ジーナに手を伸ばそうとしたナゼールだったが、銀貨の袋を受け取って満足したらしい。
周りの国民衛兵たちは対照的に不満そうだ。
「ナゼール団長! こんな良い女を取り逃がすんですか! 勿体ねえよ!」
「うるせえ。良い子にしてろ」
「一発くらいヤリてえ!」
「黙れ。マレカージュ港の弁護士とケンカするより、この金で商売女を買ったほうが割に合うってもんだ!」
「おおっ」「団長の奢りだあ!」「うひょーっ」
彼らの中で話がついたらしい。
僕たちは馬車に乗り込む。
我が家の御者が二頭の輓馬に鞭を打ち、馬車が三叉路を北方面に進んでいく。
振り返れば、荒くれ者たちが輪になって踊っていた。
今のあれが国民衛兵の実態なのか。
僕の目にはとても善良な市民からなる民兵隊には見えない。ただの盗賊団だ。
「ジャン様。助かりましたね」
「どこが!?」
僕は隣席のジーナに喰ってかかる。
冗談ではない。あんな毛深いオッサンに身体を触られた。本当に最悪すぎる。
「別に乳ぐらい良いじゃないですか。大げさですね」
「ジーナは耐えられるの?」
「あたしはムリだけど。ジャン様は男でしょ。男が乳を揉まれたぐらいで泣かなくても」
「ぐぐぐうう」
僕は言い返す言葉を持たない。
そのとおりかもしれない。しかしながら。すごく恥ずかしくて、悔しかったのは事実なのだ。
自分がぶつけどころのない感情に藻掻いていると、ジーナが澄ました顔でこちらの肩を抱いてきた。
彼我の密着度が上がる。
彼女の身体は少し震えていた。
「しかし。まさかこんな北まで革命派が来ているとは読みが外れました。あたしらは本当に助かりましたよ。検問所に居たのが、ナゼールだったからアレで済みました」
「ど、どういうこと?」
「他の村では怪しい奴はみんな処刑しています」
ジーナは王党派の地下新聞を見せてくる。
革命政府が地方に送り込んだ政治家たちが「革命裁判所」を設立し、各地で処刑を繰り返しているとの内容だった。
疑わしきは罰する。王党派が居たら殺す。
時には金銭目的で罪なき市民を処刑し、その財産を勝手に山分けする革命派も居るらしい。
僕は背筋が冷たくなる。
「ジャン様。ブランシュ州に送られてきた派遣議員であるサン=クラウザンも、あちこちの村で地主を処刑しています」
「それはさすがに言いがかりなんじゃないの。見た目は庶民的なおじさんだったよ」
「彼は王都の革命裁判所で五百人に死刑判決を下した男です。死刑執行人が過労死しそうになったとか」
「怖すぎる」
我が父ファニョン伯はそんな男と戦うつもりなのか。
僕たちの馬車は石橋を渡る。
川の対岸は低地地方。ライム革命政府の手が及ばない独立地域である。




