1-5 ジャンとラファエル
× × ×
国王処刑の翌年。一七九〇年の四月某日。
僕の父親であるファニョン伯は苛立ちを隠せずにいた。
眉間には深い峡谷が形成され、口元が常に尖がっている。足元では貧乏ゆすりが止まらない。
時折口を開けば、革命派の悪口ばかり。
上役である州の太守を招いた宴席においても「愚痴」が止まらず、側近の家令から窘められていたほどだ。
「ええい! 何故に将兵が集まらん! 私は印綬持ちの刺史であるぞ!」
「閣下。お酒をお控えくだされ。今現在の州内は混乱しておりますゆえ」
「革命家が騒ぎを起こすからだ! 殺してこい! サン=クラウザンを今すぐ処刑してくるのだ!」
ファニョン伯は革命政府の派遣議員への対応に苦労していた。
去年銃弾で追い返したはずのサン=クラウザン氏が州内に留まり、各地の村で演説会を繰り返していたのだ。
元々ブランシュ州の住民にはライム王国の統治に納得していない者が多く、州内には革命派に与する村が出てきていた。
おのずと王党派の駐屯地・州兵からも脱走者が続出している。みんな地元の家族に銃口を向けたくないのだろう。
地元の王党派は苦境に立たされていた。
州の太守であるシャルル・アルスナル侯爵閣下もすっかり気力を失っている。酒を呷る手が進んでいない。
「もはや、我らの時代では無いのかもしれんのう……」
「太守殿。そのような気弱な発言は控えていただきたい。本日は我ら王党派の挙兵に向けての大切な会合でありますからには!」
「ファニョン伯レイモン。そちも身の振り方を考えたほうが良いぞ」
「まさか革命政府に降伏なさるのですか? 侯爵ともあろうお方が」
「面従腹背を決め込むのじゃ。仰々しい称号を捨て去り、反抗しなければ、我が家の家産程度は見逃してくれるじゃろ」
「太守殿!」
「何なら太守の称号をお主にくれてやるぞ。刺史であれば代理が務まろう。もはや何の役にも立つまいが」
こうして我が父ファニョン伯はブランシュ州の太守代理となった。
王国史の先例に倣えば『節度使』『都護』に相当する地位を手にした形だが、太守自身が仰るとおり、もはや散官遊職に過ぎない。
宴席の翌月には、革命派の民兵が父親の領地に侵入してきた。
父親はラファエル兄さんの騎兵隊に鎮圧を命じたが、以降も革命派の侵入は止まなかった。
革命初期には王都だけの騒動だったはずが、少しずつ地方にも革命政府の実行支配が及んでいく。
革命派の手口は巧妙だった。
村落に既存の村社会を上書きするような形で共同体を設立し、地元住民に参加を募る。王党派の村長・代官を追い出す。コミューンが事実上の村組織になる。
旧来の王党派領主に年貢が支払われなくなり、コミューンの税収は革命政府に吸い上げられる。
領主の代わりに革命派の派遣議員と民兵(国民衛兵と呼ばれる)が治安維持を担当する。
宴席から三ヶ月が過ぎた夏の時点で、早くもファニョン伯の支配地は城館周辺の村落に限られてしまった。
収穫の秋が近い。今年度の年貢の取り立てが出来なければ、いよいよ伯爵家の今後の見通しが立たなくなる。
父親の苛立ちと焦りは極限に達していた。
そして「爆発」の時が来た。
× × ×
八月某日。
ファニョン伯は足音を踏み鳴らしながら執務室を出るなり、書庫に居た次男に向けて高らかに宣言した。
「ジャン! 私は出陣するぞ!」
「父上!?」
「領民が年貢を払わないなら受け取りに参るのみ。古式に則り、刈畑狼藉に出るしかあるまい!」
父親は城館の使用人たちに次々と号令を出し、古びた軍服姿で城館の馬小屋に向かう。
刈畑狼藉とは読んで字のごとく。村落の麦畑から作物の小麦を刈り取ってしまう行為だ。その土地の所有権を明らかにするための実力行使である。
中世の土地争いでは広く行われていたらしいが、今はそんな時代ではない。おそらく村人たちはひれ伏すよりも革命派に協力するほうを選ぶだろう。僕にはファニョン伯爵家が憎悪の炎に焼かれる未来が見える。
「逆賊に与した民草に、レイモン・ド・ファニョンが主人であるとわからせてやる!」
それがわからない父親ではないだろうに。
僕は足元に跪き、止めにかかる。
「お待ちください。父上。苛政は虎よりも猛し、と言うではありませんか。むやみに民を苦しめてはなりません」
「よく勉強しているな。ジャン。しかし厳家に悍虜なく、慈母に敗子ありとも言う。甘やかすばかりでは家が立ち行かなくなる。お前も元服を済ませたのだ。ここで初陣を飾らせてやろう」
「えっ」
たしかに十五歳を迎えた僕は先日元服の儀を済ませたが、相変わらず無為な日々を過ごしていた。
経典の勉強には身が入らず。女装ばかり上手くなる。
このままだと家庭教師のジーナに見放されてしまう。内心では焦りに苛まれていたとはいえ、己の価値を示すために武器を取ろうとは一度も考えなかった。
どうしよう。異世界であっても人殺しにはなりたくない。乗馬の訓練はしているが。サーベルの訓練は受けていない。
矢面に立ちたくない。
僕が出陣できない理由を故事成語から見つけ出せずに頭を抱えていると、馬小屋からラファエル兄さんが出てきた。
その後ろには兄さんの士官学校の同級生たちの姿も見える。全員革製の長靴を履き、肋骨服に身を包んでいる。
「父上。ジャンは城館に残しておきましょう」
「ラファエル」
「我々に何かあれば、あいつが次のファニョン伯です。そうでなければ先祖に申し訳が立たない」
「そうだな。ふん。我が放蕩息子は士官学校で成長したらしい」
父親は余裕のある笑みを浮かべたが、それでも出陣を止めるつもりはないようだ。鼻息が荒い。
兄さんの周りでは同級生の方々が「ラファエルは遊んでばかりでしたよ!」とおどけている。彼らもまた我が父の出陣に同行するつもりらしい。白色の腰帯に騎兵用のサーベルを下げていた。
「よしっ。馬を出せ」
父親の号令で使用人たちが馬小屋から馬を引き出してくる。消耗品・装備品を含め、出陣の用意が進んでいく。
止めたいのに僕の言葉では止められそうにない。
こんな時に頼りになる僕の付き人は──城館の玄関から大慌てでこちらに走ってきていた。両手でスカートの裾を引き上げながら、脇には新聞紙を挟みながら。
彼女は馬上の主君に叫ぶ。
「大変でございます! 北東方面の屯所より急報あり! 我が国に外国軍が攻め込んできております!」
「何だと! 小娘、それは真なのか!」
「亡き王妃様の御実家が仇討ちに来られたようです!」
「ヒンターラント大公が? それはつまるところ、我ら王党派の味方ではないか!」
ジーナの報告を受けたファニョン伯は天を仰ぎ、狼のように叫び、両手を突き上げる。
そして周囲の側近に「田舎者を出迎えに参るぞ!」と告げ、長靴の拍車で馬の腹を蹴り上げた。
そんな父親の後を追い駆ける形で、兄さんの学友たちも馬に跨り、ぞろぞろと城館の正門を抜けていく。
伯爵家の一族郎党を含め、総勢二十八騎の騎兵隊。
今となっては我が家に残された最後の軍事力かもしれない。
その一部であるラファエル兄さんが、馬上から弟たちに手を振ってくれた。
「行ってくる。無辜の民を斬るより楽しい旅路になりそうだ。ジャン、お前の家庭教師のおかげだな」
「兄さん。お気をつけて」
「個人的には革命派の言い分もわかるんだ。オレも王都に居たからね。だからジャンは自由に生きたらいい。今度はオレに任せてくれ」
僕が言葉を返すより前に兄さんは出発してしまった。地面を蹴る音が遠くなっていく。
あの人なりに弟の境遇には思うところがあったらしい。それこそ父親が言ったように士官学校で社会に揉まれ、ある意味で大人になったのかもしれない。
今のラファエル兄さんは王党派の貴族が果たすべき役目を率先して担うつもりでいる。
その心意気に僕が上からであれ、下からであれ、何か口出しするのは筋が違う気がした。
今の自分は父兄の城館を守ることだけ考えるべきだろう。
僕は庭先で見送りを終え、傍らのジーナのほうを振り返る。
「さあ。お父様が帰ってくるまで、一緒に執務室の掃除でも始めようか」
「新大陸の魔法学校に行かなくてよろしいのですか」
「ええっ」
彼女の台詞に僕は言葉を失いそうになった。
僕の頼りになる家庭教師は、回答を間違えた生徒の尻を叩いてくる。
「察しが悪いですね。さっきの報告は嘘ですよ」
「ジーナ!?」
「正しくは報告の中に嘘を混ぜました。たしかにヒンターラント大公国の軍勢がライム王国に攻め込んできていますが、ここではなくもっと南のほうなんです」
彼女が脇に挟んでいた新聞の記事を見せてくる。
革命派の御用新聞だけに「革命の危機」が強調されていた。
外国勢力が攻め込んでくる。堕落した王党派が外敵を手引きしている。我らの革命が倒されかねない。市民よ立ち上がれ。
見よ。封建的支配体制の親玉・ヒンターラント大公国は南東方面からやってくる。すでに尖兵がチザルピナ地方に布陣しているぞ。市民よ武器を取れ──とのこと。
チザルピナ地方。父兄の進路とは逆方向だ。かなり遠い。
「ジャン様」
烏髪の麗しい女性がそっと近づき、耳打ちしてくる。
約六年間の耳学問で慣れきってしまったが、こういう時は相手の声と姿を意識してしまう。
「お母上、家令のジスラン様、城館の金庫番とは以前から話をつけています。今のうちに出発しましょう」
「手際が良すぎない?」
「ジャン様がモタモタしてただけでしょ。行きたいって言ってたくせに」
「でも、ジーナは新大陸に行きたくないんじゃ」
「あたしだって古典文学に一生を捧げたくないわよ。ジャン様には天才のあたしが仕えるに相応しい偉大な魔法使いになってもらいます」
ジーナは楽しげに笑う。
彼女にとってはバイト先の偉そうな店長にちょっとしたイタズラを仕掛け、スッキリした気分で辞めたような気分なのだろう。
古典文学に一生を捧げたくない。その気持ちは僕にもよくわかる。もう一単語たりとも経典を覚えたくない。
どうせなら前世で出来なかったことにチャレンジしたい。
僕の脳裏に先ほど出陣していった家族の背中がよぎる。
さよならぐらいは言うべきか。それとも今の革命騒ぎが終わるまでは──。
「あはは」
悩んでいても仕方ない。
僕は彼女の手を取った。
共に行こう。海の向こうにある新天地へ。




