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最後の魔法は竜の背で  作者: 奥雪 一寸
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第一章 雛竜の名前(8)

 ラグルと翌朝にまた集まることを約束したあと、シルフィナとエリオルは五階の部屋へと戻り、その日はすぐに寝てしまった。

 ベッドを見た瞬間、シルフィナは自分がひどく疲れていることに気付いたのだ。彼女が崩れるようにベッドに倒れ込むと、彼女を守るように、ベッドの足元のむこうでエリオルは丸くなった。

 ラグルは宿舎に止まっていない。一応、門番も兵士である為、就寝は兵舎に戻ってするのが規則なのだそうだ。彼は翌朝、また宿舎に来ると言っていた。

 窓の外はすっかり夜だ。静かに、シルフィナの寝息が上がりはじめる。彼女が消さなかった部屋の蝋燭の火が、ゆらゆらと壁で揺れていた。

 シルフィナとエリオルの間には、ようやく安らいだ時間が、今日初めて流れ始めたと言って良かった。

 そして、同時刻。

 宿舎の二階の食堂。食事をしていた者達も、夜の通りや、それぞれ借りた部屋へと去っていくと、一気に食堂はがらんとした、広すぎる気さえする、寂しげな大広間のように変貌した。

 そんな食堂に、ただ一人、まだ残っている人物がいた。竜は連れていない。むしろロダルーシュの集落では、珍しい方だった。

 青白い、装飾の施された金属鎧を着て、テーブルに金の縁取りのされた鞘に納められた剣を立て掛けて、スープだけをスプーンですくって飲んでいる。青い瞳と、赤茶の癖のある髪が特徴的だった。

 実のところ、その人物はシルフィナ達が食事している頃から、ずっとそこにいて、シルフィナ達に、少なからず関心をもって観察していた。じろじろ見るような無粋な真似はしていなかったが、間違いなく、常に注意を向けていた。

 シルフィナ達が部屋に戻ったあとも、その人物は、まだスープを少しずつ飲んでいる。それだけちまちまと飲んでいた訳だから、皿の中のスープはすっかり冷めきっていた。

「どうかなさいましたか」

 テーブルに座る人物に、食堂の給仕が歩み寄る。互いに知った顔のような態度で、給仕は話しかけた。

「ああ。今日止まった娘。あの子は、たしか魔導師のシルフィナだったね。違ったかな」

 テーブルの人物の声は高い。容姿も、青年のようにも、男装の淑女のようにも見える。実際には、後者であった。名を、ロゼア、という。

「宿泊者のことは、他者には漏らさないのがルールでございます」

 恭しく、給仕は答えた。だが、否定も肯定もしない。相手が高貴な者だと知っているからこそ、ルールは曲げない、と言い放ったのであった。

「たとえそれが、このネリーメア王国の、第二王位継承者の姫君であったとしましても」

 ネリーメア王国。王都サーラに王を抱く、この辺り一帯を国土とする王国の名だ。そして給仕が述べた通り、テーブルに向かっていたのは、国王の二番目の子であり、長女でもある、つまり、王女であった。

「では、質問を変えようか。兄は、もう来たかな?」

 王女の話す内容は、常に男口調だ。そもそも、鎧を着込み、剣を帯びている姿からして、しおらしく奥ゆかしい姫君、というタイプではなかった。

「さて。わたくしは、見ておりませんな」

 給仕の、からかうような白々しさが込められた言葉に、

「そうか」

 姫は、短く頷いた。

「ひとまずは、信じよう」

 ロゼアの言葉も、意趣返しとばかりに白々しい。腹の探り合いというよりも、気の置けない会話をたのしんでいる風だった。

「さて、私はどうするべきだと思う?」

 と、ロゼアは問いかける。

「わたくしは、一介の給仕にございますれば」

 と、給仕はかぶりを振った。

 なにを、と、ロゼアが口の中で笑ったのが、すべてを物語っていた。

「面倒なことにならなければいいが。いや、もう、なりつつあるのかな」

 もう一度、笑う。これから何か穏やかでないことが起きると確信しているようで、それを楽しみにしているようでもあった。

「に、してもだ。私達がロダルーシュに来ている時だなんてな。不運だとは思わないか?」

「どうなさるおつもりで?」

 給仕が逆に問いかけた。

「どうすると思う?」

 ロゼアは聞き返しただけだった。

「さて、わたくしめにはさっぱり」

「なら、面白くなるように、だな」

 スプーンをスープ皿に置き、ロゼアは足を組んで天井を見上げた。

「お人の悪いことで」

 給仕はまだスープが残っている皿をテーブルから取り上げ、一礼すると去る。皿の下には一枚の紙が挟まっている。それを途中でポケットに仕舞い込み、何食わぬ顔で給仕は食堂を出て行った。

『兄がきたら報せてくれ』

 とだけ、紙には走り書きされている。結局、それが何を意味しているのかの、最も重要な話は、ロゼアも、給仕も、口にすることがなかった。

 ロゼアの前のテーブルは空になったが、彼女が立ち去る気配はない。何かを期待しているのか、立て掛けられた剣を手に取り、鞘を撫で始めた。

「たまには使ってやらないとな」

 と、愛しそうに、鞘の装飾をなぞる。だが、今すぐにロゼアがシルフィナに接触する気配はない。そのつもりは、少なくとも今の彼女にはなかった。

 面倒なこと、を起こすのは、彼女なのか。それとも彼女の兄か。もしかしたら、シルフィナとエリオルのどちらかなのかもしれない。いずれにせよ、何が起こり、どうなるのかは、ロゼアにも分かっていなかった。

「どう思う?」

 ロゼアが剣に語り掛ける。勿論、剣が答えることはない。ロゼアは立ち上がり、剣を腰のベルトに嵌めると、食堂を去る為に、歩き出した。

 そして、数歩歩き、不意に止まる。ロゼアは視線を感じたように振りかえるが、食堂には誰もいなかった。

「何だ?」

 しかし、感じる。誰かに見られている。監視されているというよりも、それは警告だ。

「誰だ?」

 答えはない。先程までの余裕な態度は、ロゼアから消えうせた。警戒の為に剣を鞘から抜き放ち、食堂の中を、何度も見回した。

 やはり誰もいない。見えない視線だけが、まだ、彼女を見ていた。

「何者だ!」

 流石に、ロゼアも苛立ちを感じ始める。語気を強め、見えない視線に怒気を返した。誰もその声には答えず、じっとりと汗ばむような夏の空気だけが、部屋に満ちているだけだ。

 異変を察知したらしい。給仕が戻ってきた。彼も片手に剣を携えている。その振舞いは、とても素人には見えず、ただの給仕ではなかった。

「どうなさいました」

 からかうような声ではなく、真剣な口調で、給仕が問う。だが、彼が入ってきた瞬間に、ロゼアが感じていた視線は、消えうせていた。

「いや、いなくなったようだ」

 ロゼアは剣を鞘に戻し、ふう、と息を吐いた。やっと息が吸えたような気分だ。

「そういえば。あの竜。何処から来た?」

 ロゼアは、急に、シルフィナが連れていた竜のことが気になりだした。珍しく、強そうな竜だとは関心をもっていたが、それ以上に、素性が気になりだした。

「さあ。今の時点ではなんとも」

 給仕も、剣の先を床に向け、首を捻る。シルフィナとエリオルがロダルーシュに入ってから、何時間もまだ経っていない。噂話さえ、まだ集落内でも広まっていないのだ。

「明日、それとなく軍の方に探りを入れてみましょう」

 給仕の申し出に、

「ああ。頼む」

 ロゼアは、神妙に頷いた。

「ことと次第によっては、面白いで済まないのかもしれない。おそらく何かが背後にいるぞ。とてつもない何かが」

 それは、奇しくも当たってはいた。だがロゼアには、それがエルカールだろうとは思いも寄らず、視線の正体が何だったのかさえ、想像もつかなかった。

「私は兄を探すとする。取り返しがつかないことにならなければいいが」

 言っている内容は、テーブルでの会話と似ていたが、そこに込められた真剣さは、まるで違っていた。

「わたくしの方でも、注意しておきましょう」

 給仕がからかう様子も見せない。ロゼアと給仕は頷きあうと、給仕は厨房へ、ロゼアは宿舎の外へ、それぞれ食堂を出て行った。

 そんな緊迫したやりがあったのとは裏腹に、ロダルーシュの集落の夜は、静かに、穏やかに更けていく。

 シロゼアと給仕が、シルフィナ達を警戒していることさえ気づかずに、彼女とエリオルも、深く、安らいだ眠りの中にあった。

 何も起こらず、ただ、時間は淡々と過ぎる。

 物語は、まだ、始まりに過ぎなかった。


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