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最後の魔法は竜の背で  作者: 奥雪 一寸
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第三章 王子と姫の間で(7)

 ギルは捕らえられ、国王マグドーの容態も安定した。国王の不調に関する事件は、一旦の阻止ができたのだ。

 だが、それでシルフィナが王城を出られたかといえば、そうそう都合よくはいかなかった。

「話がある。一緒に来てくれ。父の件とは、別の話だ」

 コッドが、そう言って解放してくれなかったのだ。拒否する権利もなく、シルフィナはコッドに導かれるままついて行くと、辿り着いた場所は、警備の者もいない、無人の謁見室だった。謁見室はゆとりある造りで、壁にはタペストリーや壁掛けの幕が飾られている。脇には円形の柱が並び、柱に取り付けられた蝋燭の火は消えていた。密談でも始めたいかのように謁見室は暗く、玉座の奥の壁にある天窓から入る僅かな昼の光だけが、光源になっていた。

「さて、話というのはだが」

 コッドは、あたかも仮の王は自分だとでも言うように、躊躇いなく玉座に座る。彼は手を組み、目の前に立ったシルフィナの顔を、不躾に眺めた。

「あの竜の雛のことだ。聡い君のことだ。私が居館への立ち入りを禁じた時点で、私が秘密を知っていることを、君も理解したのではないかな」

 コッドの言葉に、

「はい」

 何処か空虚な返事が、シルフィナの口から出た。覚悟はできていない。何を求められるのかも理解できているが、覚悟などできる訳がなかった。納得さえ、できるものではない。

「単刀直入に言おう。選択肢は二つだ。一つ目の選択肢は殺すこと」

 コッドの宣告は冷淡にも聞こえる。しかし、そうでないことは、シルフィナも勘付いていた。声が僅かにだけ乾いている。彼も、こんなことは、できれば言いたくないのだ。彼には王子として、国の安全を脅かすものを対処しておかない訳にはいかず、シルフィナは、その命令に背くことは許されていない立場だった。お互いに、辛い。

「二つ目は、王家に、あの雛の管理を任せてもらうことだ」

「前者は選べません」

 即座に、シルフィナは答えた。もし前者の選択肢をシルフィナが選んだとしても、エリオルは彼女の手に掛かって死ぬことを厭わないだろう。その確信はあった。だからこそ、選べなかった。

「では、王家に預けてもらおう。私達の命令だけを常に聞くように処置をしてもらいたい」

 コッドの要求に、シルフィナはめまいがする思いだった。つまり、エリオルの自由は奪われ、シルフィナも一緒にはいられなくなるということだ。その処置を、自分自身の手で、しなくてはならない。他の誰かでは、そんな処置はできないだろう。シルフィナだけが、紫髪虹瞳の魔導師なのだ。

「こんな酷い要求をしなければならないことを、本当にすまないと思う。だが、君もいけないのだ。あの雛はかの人食い竜の子なのだ。未だ誰も討伐を成し遂げられていない、エルカールの。王国の敵なのだ。君はそんな雛を人間の世に連れ込んでしまった。王国とその民の安全の為、私は王子として、断じてあの雛を野放しにはできない。君が国と王家に背けないのと同じで、私達王家も、国と民に背くことは、許されないのだ」

 コッドは一言一言を、絞り出すように語った。今すぐに逃げてくれれば気が楽であるのにと、目だけが語っているようだった。勿論、シルフィナには、そんなことは許されていないことも、彼もよく理解していた。

「……はい」

 としか、答えられなかった。それだけ言うのにも、シルフィナは、肺の中の空気を、全部絞り出さなければならないかと思う程に、苦しかった。

「だめだ。こんなことは許されない。やはりいい。このまま去ってくれ。頼む。国全体の安全と引き換えだと言っても、君からあの雛を取り上げることなど、私にはできない」

 本心が堰を切ったように、コッドは自分の言葉を撤回した。それは国に対する治安維持の責任放棄だと分かっていながら、彼は、エリオルを自由にする選択を選ぼうとしたのだ。コッドの瞳からは、涙が溢れていた。

「ここに座れば、国の責任を感じられるかと思った。国を重んじ、自分を殺せると期待した。それは間違いだった。そんなことはなかった。私は王位を継承するのにふさわしくないのかもしれない。だとしても私は、君のような子供を泣かせるような選択はしたくない」

「殿下」

 シルフィナは泣いていなかった。それどころか、コッドの涙に冷静さを取り戻してさえいた。王子の涙が演技でないことも、要求を翻したことも本心であることも分かった。だが、それでも、シルフィナの心は、どこかで冷めていた。

「王家の方が下されるいかなる決定にも、わたしは従うことを誓います。それが王家の方々の間で矛盾していない命令である限り」

 シルフィナが告げる。その言葉は、唇に化粧を施された時にも、宣誓として復唱させられた文言だった。一字一句違えず、シルフィナは覚えている。その宣誓を、王子の前で、彼女は再び発した。

 国の安全に関わる話なのだ。結局、一個人の感情など無視される次元で、決定は下されなければならない。シルフィナが子供だから免除されるという話ではなかった。

「そうだな。ありがとう。私も私情で迷ってはいけないのだな。強いな、君は。紫髪虹瞳の子だからなのか、それとも、君が君だからなのか。君が立派な子で、良かった」

 コッドは頷き、そして、聞いた。

「王家があの雛を預かり、隷属の魔法を掛けてもらううえで、注意すべきことはあるか?」

 心は決まった。あとは決心が鈍らないうちに、準備を整えることだ。コッドは、真っ直ぐに、シルフィナを見据えた。

「主を一人に決めていただくことです。複数の方を主とすれば、それだけ魔法の強制力が弱くなります。二人以上で矛盾した命令をしてしまった時、混乱した竜がどのような行動にでるのかも、予測できなくなります」

 一方で、シルフィナは目を逸らした。実際、やはり納得はいかない。去れ、という命令で決定してもらえれば楽だったのに、と思わずにもいられない。彼女は、エリオルを王家に譲ることが、エリオルの不幸に直結すると断定するつもりもなかったが、自分が手放すことで、エリオルを裏切ろうとしているという自覚に、嘘をつくことはできなかった。王家の要請を、拒否できない身が、実のところ、恨めしかった。

「道理か。成程な。そうなると、私の一存で選ぶことはできない。本当にすまない。二、三日、城に逗留してくれ。その間にロゼアを呼び戻し、王家の間で、話し合いをしよう」

 コッドは譲渡を受けるのであれば、自分がエリオルの主人になるつもりでは、勿論いた。だが、兄弟の皆を納得させずに勝手に譲渡を受けては、のちのちの諍いの火種になる。幸い、シルフィナとエリオルは彼の手のうちで、シルフィナに譲渡を認めさせたのも、自分だ。最も自分が主人に相応しいという主張は、十分にできると考えていた。

「私が主になると決まった訳ではないが、もしつつがなく、私が責任を持つことになれば、あの雛が嫌がることはさせないと、固く君に誓おう」

 コッドは告げる。勿論、それも本心だった。

「はい」

 シルフィナの表情は動かない。そんあことを約束されても、何の気休めにもならなかった。エリオルが自分の元から去る。そう考えるだけで、胸が張り裂けるような痛みを覚えた。

「決定をお待ちします。殿下」

 だが、彼女に許されている返答は、了承の言葉だけだ。徐々に自分の心が擦り切れ、冷え切っていくのが、分かる。生まれて初めて知る絶望というものが、彼女を余りにも強い力で、押しつぶした。

『いいえ、いいえ。それは正しい選択ではありません。どうか、ご自身を傷つけないで。気を強く持っていらしてください。大丈夫です。必ず、恩返しはします。あなたが過ちを止めてくださり、父を救ってくださった恩は、必ずお返しいたします』

 ふと、シルフィナの心に、誰かの意識が触れた。それは弱々しかったが、強い信念と決心が込められた、真っ直ぐな意志だった。

「……」

 シルフィナが天井を見上げる。脳裏に響く言葉は、まだ続いた。

『兄さまが考えるようには、絶対に進みません。兄さまの決断は、選べる選択肢の中で、限りなく最悪に近い決定だったです。これからもう一波乱起こります。もうそれは決まってしまったから。その時には、あなたの強い意志が必要になります。必ず。だから、どうか絶望に負けず、時を待ってください』

 それは声として聞き取れ、シルフィナには、どこか聞き覚えのあるものに思えた。

 しかし。

 コッドに対して、今更駄目だ、とは言えない。その権利は、シルフィナにはないのだから。だとしたら、誰かの意識が伝えてきた通り、時を待つしかないのだと、改めてシルフィナは、心の奥で強く覚悟した。

「殿下、エリオルを、よろしくお願いします」

 国の安全に繋がらないのであれば。

 シルフィナも己の保身を捨てる覚悟をした。


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