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最後の魔法は竜の背で  作者: 奥雪 一寸
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第三章 王子と姫の間で(3)

 エリオルの翼は力強く、シルフィナと共に、ロゼアが背に乗ってもまったく負担を感じていないようであった。

 空を駆ける姿はりりしくもあり、雛であっても気高き竜の血族なのだと雄弁に話しているかのようだった。

 シルフィナが前に座り、彼女を抱えるように、ロゼアがエリオルに跨っている。二人を乗せた背中は窮屈だったが、ロゼアが転げ落ちる心配がある程ではなかった。

「速いな。軍の飛竜では追いつけないだろう」

 ロゼアは満足げだ。エリオルでの移動は、かの姫たっての希望だった。曰く、乗ってみたい、とシルフィナに詰め寄ったのである。

 勿論、直接的な言葉でないにしろ、シルフィナは反対した。エリオルは訓練を積んだ雛でなく、他人を乗せたこともなかったからだ。どんな反応を示すのか、シルフィナにも分からなかった。姫君を振り落としたなどということにでもなれば、間違いなく、シルフィナの首が飛ぶ。

 しかし、シルフィナの心配をよそに、エリオルはすんなりとロゼアを受け入れた。シルフィナがいるのであれば、他にも乗る人間がいても、気にしないらしい。

「でも、実際には、まだ戦わせたこともないんです。あまり期待しすぎないでくださいね」

 なるべくなら、エリオルが嫌がるようなことはさせたくない。シルフィナの本音だ。暴走したらシルフィナでは止められないかもしれないからではなく、純粋に、エリオルを大事にしたいからだった。

「分かっている。過度にはあてにしないと誓おう」

 ロゼアの言葉には、かならず隠された意図がある。それも、シルフィナは勘付いていた。だからといって、言葉そのものが嘘や詭弁だということでない、ということも、理解できるようになっていた。

 第二王位継承者で、王位を彼女の兄と争っているという噂も、あながち噂だけということではなさそうだった。彼女には何らかの理想があり、その想いには正直なのだと、シルフィナは納得した。ロゼアには、矜恃がある。

「そうだ。シルフィナ。子供に聞くことでもないと思うのだが、一つ考えを聞かせてもらってもいいか。お前は賢い子だ。一つの参考にしたい」

 ふと、ロゼアがそんなことを言い出した。眼下には遺跡都市ララーカが遠く霞んでいて、都であるサーラに着くまでは、もうすこしだけ時間がありそうだった。

「もし親が罪人だとして、子はその血を疑われても仕方がないと思うか?」

 その問いに、シルフィナは、心臓が跳ねあがる思いがした。胸を鷲掴みにされたような。エリオルのことを実は知られているのではないかと、焦った。

「どうでしょう。個人差が、あるのではないでしょうか」

 回答の喋り出しだけ、シルフィナの声は裏返った。

「そうだな。疑われても仕方ない子はいよう。だが、そうでない子の、隠された本性が、誰に分かろうか」

 さらに、ロゼアが問う。その声に、幾らかの憐憫が含まれていることに気付き、シルフィナは、自分が危ぶんでいるような問いではないと、気付いた。

「それは、その子の本質と向き合うしかないのでは、ないでしょうか。それで分かるとは限りませんが、心を開いてもらわなければ、分かることは絶対にないということだけは、間違いないと思います」

 それこそ理想論だ。だが、シルフィナは子供ながらに感じた。ロゼアはその理想論を回答として欲しがっているのではないかと。

「そうか。お前達になら、ひょっとしてできるのだろうか」

 ロゼアとの問答は続く。姫の言葉は、徐々に柔和な響きに変わっていた。

「わたしに出来るかどうかって話なら、できないと思います。まだ難しいです」

 シルフィナが思うに、荷が勝ちすぎる役目だと言いたかった。子供に、相手の感情を慮るような真似をさせるのは、大人が大人の役目を放棄した怠慢だと言いたかった。

「そう自分を過小評価するものでもないと思うのだがな。お前はそれだけのことが分かる共感能力を持っているように、私は思うのだがな」

 ロゼアは諦めない。そこまで言われれば、何か問題ががあって自分が期待されているのだと、シルフィナにも嫌でも分かる。思わず、溜息が漏れそうになった。

『問題多すぎませんか? 王家の方々、大丈夫なんですか?』

 そう聞けたらどんなに楽だったことだろう。それを指摘することは、シルフィナにはリスクのある試みだった。

「わたしなんかで力になれるなら、聞きます」

 そういう言い方しか、彼女にはできない。王家に対し、辛辣に聞こえる言葉を吐くことはできなかった。

「一番下の兄弟で、ニーナという妹がいてな。まだ一二なのだが病弱でずっと海辺の村で療養を続けていると聞いていたのだが、最近になって、どうやら真実は違うということを知ってしまったのだ」

 その言葉を、シルフィナは黙って聞いた。王家の事情だ。聞くだけに徹し、下手に口を挟むべきではなかった。

「ニーナは、父の妻の中でも、側室の子のだが、その母が、城を逃げだしたのだ。駆け落ちでないかと言われている。それは王に対する裏切りで、私達の王宮では、罪になる。一応建前上では、ニーナは私達と同じで正室の子だと誤魔化されたらしいのだが、それと同時に、城から出されたというのが真相らしい」

 それを聞かされて、シルフィナに何ができるというのか。正気な感想では、彼女にそれを解決する権力も影響力もない、と感じただけだった。

「私達も妹には会えない。私が最近聞いた話も、真偽を確かめることさえできない。だが、お前の話をきいて、私は思い出したのだ。妹ニーナは、白髪虹瞳の娘だとも聞いたことを。シルフィナ。もしお前の推察が当たっているとしたら、父の部屋を毒した犯人は、妹かもしれん。だが、噂話だけで妹を疑うことが正しいのか、私にも分からんのだ」

 白髪虹瞳というのは、紫髪虹瞳まではいかないものの、やはり強い魔力を秘めた人間に出る外見的特徴のことだ。それも広く知られていて、常人に近い方から、虹瞳(頭髪の色は常人と変わらない)、白髪虹瞳、紫髪虹瞳といった風に、生まれもった魔力の強さが外見に出る。つまりは、ニーナは、シルフィナ程ではないが、魔導師としての高い素質を秘めている、というのと同義だった。

「だとしても」

 言いかけて、シルフィナは言葉を止める。思わず口走りそうだったが、確かめもせず気休めを言うものではないと言葉を止めたのだ。その配慮を感じ取ったように、

「良い。思ったことがあれば、確かな推測でなくとも、どんどん言ってくれ」

 そもそも、王の部屋が毒されているという推測自体、シルフィナの勝手な想像でしかない。それを確かめるために、都へ向かっているのだ。考えを隠すのも、今更ということもできた。

「はい」

 シルフィナは頷き、一度引っ込めた言葉を、再び、語りだした。

「ニーナ様がそうするように誘導した大人がいるかもしれません。誰にも気づかれずに、しかも遠隔で一室を呪うことは、独学の魔法ではまず無理です。誰かがその魔力の使い方を教授し、呪文を教えたと考えるのが、自然じゃないでしょうか。そのうえ、ニーナ様は赤子の頃に海辺の村に移されたと聞きました。誰かが自分の境遇を教えていなければ、自分の素性に気付かなかったでしょう。ニーナ様に勉強を教えた家庭教師、或いは世話をした誰かが、それも自分の都合がいいように吹き込んだと考えると、どうでしょうか」

「確かに、能力、動機両面で辻褄が合うな。信じたくはないことだが」

 と、ロゼアも頷く。だが、そんなことをするのは誰だ。そんな人物に、すぐに思いつくことが、彼女にはできなかった。疑いとしては、自分の兄弟くらいしか利益がないのだが、そもそも、ロゼアをはじめ、兄弟達の中に、ニーナと会ったことがあるものは、いない筈だった。

「王家の方ではないと思います。王家の方々が、そんなことをする理由がありません」

 シルフィナが、半分振り返るように、ロゼアの顔を見上げる。シルフィナがうっすらと浮かべた微笑みには、気味が悪い程の大人びた自信が溢れていた。

「わたしの唇、青いでしょう?」

 シルフィナが聞く。その瞬間、ロゼアは冷や水を浴びせられたような、引きつった表情を見せた。

「そんな方法で証明するな。二度とだ」

 ロゼアは、不快さと怒りを露にする。シルフィナが尋ねた真意が分かったからこそ、叱ったのだった。

 シルフィナが国と王家から求められているのは、服従であって忠義ではない。王家を批判し、疑いの言葉を発することは、許されていないのだ。先程の推測が、王家の誰かを疑ったものであったとするなら、シルフィナは、それを破ったことになる。ロゼアにも、ようやく、そのことが気付けたのだった。

「最初から疑っていませんから」

 シルフィナは笑う。口元は青白かった。


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