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最後の魔法は竜の背で  作者: 奥雪 一寸
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第三章 王子の姫の間で(1)

 空は薄曇り。靄が掛かったように青白い。

 軍の砦には、石と鉄、それに油の匂いが充満していた。

 だが、王侯が身を寄せる為の貴賓室には、ほとんどそれは届かない。緻密な彫刻で縁を飾られたオークのテーブルには、赤いテーブルクロスが敷かれ、混じりけのないガラスのティーポットに入れられた紅茶は透き通った茶で、隣に置かれたティーカップの紅茶の表面では、薄く切られたレモンが泳いでいた。

「ふうむ」

 同じくオーク製の椅子に腰かけ、ロゼアは窓の外を見た。視線の先はバルコニーだ。そこには、膝を折って畏まった、シルフィナがいた。バルコニーは広いが、シルフィナの傍には、エリオルはいない。逆にそれが、シルフィナがバルコニーにいる理由だった。

「話しづらいのだが」

 というロゼアだが、顔には不快な思いはしていないと書いてあった。むしろ、してやられた、という感心するような、状況を面白がる空気さえ感じさせた。

「いえ、ここで結構です、殿下」

 シルフィナも臆面もなく答える。失礼なのは承知の上だが、竜舎にすぐに行ける場所で、竜舎に入れられたエリオルがどこかへ連れ去られそうになった時には、すぐに駆け付けられるようにしておきたかったのだ。エリオルも自分から素直に竜舎に入ったが、砦の人間達を信用している訳ではないように見えた。おそらく何かあれば、エリオルの方からも、シルフィナと合流する為に飛んで来るだろう。

「ははは、手厳しいな。噂に違わず、しっかりしている。昨日、堂々と姿を晒してマグラダ老のもとへ飛んで行ったのはいただけなかったが。まあ、あれはシルフィナのせいというよりは、現地の兵のしくじりだろう。考えが足りない者で、申し訳なかった」

 ロゼアはちくりと苦言を挟みながらも、現地の者のせいにして、謝罪を交えた。

「お世話になった方のことを、悪く言われると、少し気分が悪いです」

 もっとも、それはシルフィナの不満を招いただけだった。もとより、シルフィナの言動と態度は、不信感を隠しもしていなかった。

「そうだったな。すまん。しかし、立派な竜の子だ。やはり、本物は本物を引き寄せるということか。なんとも、成長が楽しみな組み合わせだ」

 ティーカップを手に取り、ロゼアが自分も立ち上がる。

「だが、今はまだ子供でいられるよう、手を尽くしたい」

 バルコニーに出ると、そこからの眺めに遠い目を向け、ロゼアは言った。バルコニーの向こうには砦の中庭があり、さらに向こうの城壁の上では、バリスタが空を睨んでいる。

「父の推薦で、魔導師になったと聞いている。その父の具合が優れないことは知っているな」

 そんな話を、ストレートにシルフィナに告げる。ロゼアは、シルフィナに対して、極力腹の探り合いのような真似をしないよう、気を付けるつもりではあった。

「できれば、会ってやって欲しい。いつも気にかけていた。推薦しただけで、何もサポートできていないことも、気にしていた」

「陛下は覚えていてくださったんですね。できれば、会いたいです。でも、わたしがお城に入ると、王子様、姫様達の関係がこじれる原因になったりしないでしょうか」

 シルフィナ自身、そういった原因に、自分が使われるのは嫌だった。

「それだ。私も、シルフィナには、王位争いから距離をとってほしいと思っている。曲解しないでほしい。本心だ。お前さえよければ、わたしの力で、その争いに関わらないでいいように、匿ってもいい」

 ロゼアはシルフィナの目を見ない。それがかえって、シルフィナにも、本当だ、と感じさせた。

「恐れながら、殿下がそのおつもりでも、思い通りにはいかないと思います。殿下を推す、周囲が許してくれないでしょう」

 悲しいかな、シルフィナには、それが分かってしまう。

「そう思うか」

「はい」

 二人は、ようやく互いの顔を見た。

「世知辛いものだ。ままならないな」

 紅茶をひと口飲み、ロゼアが目を閉じて黙り込む。シルフィナは、その沈黙に、自分が気になることを聞いていい時間なのだと理解した。

「陛下の不調って、どんな感じなんですか?」

 王家そのものに親愛の情は感じなくとも、やはり国王の様子は気になる。自分を気にしてくれていたという話の真偽は定かではないものの、恩人のことだけに、本当だと信じたい気持ちもあった。

「実は、原因はよく分かっていない。最初は疲労がたまりやすくなったと言っていた程度だったのだ。それが次第に衰えとして顕著となり、今は歩き回るのにも難儀している。体を起こすことはできるのだが、一日のほとんどをベッドの上で過ごしている。病毒の浄化魔法も、効果がないらしい」

 ロゼアは、隠すことなく説明した。その部分を、シルフィナに隠すことに益はないと考えているようだった。

「病気ではなく、魔法や呪いの類では?」

 シルフィナが問うと、

「そうだな。その疑いについても調べてもらった。父は呪われていないし、呪文が掛けられている形跡もないそうだ」

 ロゼアは当然のことだと首を傾げてみせた。魔導師でなくとも、それを疑えるくらいの、知識はある。

「お部屋は調べましたか?」

 さらに、シルフィナが問う。ロゼアは、はじめて驚いた顔をした。

「父の寝室全体ということか? そんなことが可能なのか?」

 それは流石に、予想の外だったようだ。普通であれば、余程の準備と仕込みが必要なことで、悟られずに、こっそり毒するのは難しい。現実的には不可能だと考えても良かった。

「高い魔力があれば可能です。でも、お城じゃ、実質的には難しいですよね。無理かも」

 例えば、紫髪虹瞳の魔導師クラスであれば準備なしに、部屋その者を害することは可能だろう。やろうと思えばシルフィナもできる自信はあった。だが、それとは別の理由で、紫髪虹瞳の魔導師では、怪しまれないことは不可能だ。すぐに露呈する処置を受けている。

「いや、それを発見するには、普通の魔導師でも可能か?」

 しかし、ロゼアはシルフィナの否定を無視し、光明を見たような顔をした。その可能性を、確かめもせずに排除する気はないようだった。

「あくまで、もし、やろうという気を起こした人がいたら、の話ですが。それだけの術が王城のような場所で知れず使えるのであれば、相当稀有な術師です。簡単に発見されるような片手落ちは避けるでしょう。術は巧妙に隠され、場合によっては高位の魔導師であっても、発見は困難かもしれません。だって、王城には、王族や貴族の身の安全の為、魔法感知の場が、常に張り巡らされているんですよね? それを掻い潜れる時点で、宮廷魔導師を凌駕しているってことになりますから」

 実際、そうだ。勿論、シルフィナは王城に直接足を踏み入れたことは一度もない。国王と顔を合わせたのも、国王直々にカルザークに来られての話だ。

 にもかかわらず、シルフィナは、聞き知った知識のみで、その帰結を導き出した。そのことに、ロゼアは紅茶を零しそうになるくらい、驚いていた。

「シルフィナ。おまえなら、見つけられるか」

 ロゼアは期待を込めて聞いた。シルフィナの知識と、紫髪虹瞳の外見による説得力が、そうさせずにいなかった。

「たぶん、それは大丈夫だとは思います。でも、違う理由で、まずいかもしれません」

 苦い笑いを、シルフィナが浮かべる。彼女が気にしたのは、もっと根本的なことだった。

「誤検出を排除しちゃいますから。その、ですね。せっかく張り巡らされた、王宮を守護する為の魔法を、全部破壊すると思います」

「そんなものはあとで張り直させればいい。父の命が助かるのであれば、その程度の苦労は、城仕えの魔導師達も許してくれるだろう」

 ロゼアは、問題にもならないと笑った。確かに、人の命と、そんなものを比べるのは、最初から間違っているとも言えた。

「何かを頼むつもりはなかったのだが。すまない。状況がどうやら変わったようだ。私とともに、城へ行ってはくれないか」

 ロゼアの頼みに、

「ふふ、王家の要請を紫髪虹瞳の魔導師が断れないことは、ご存知でしょうに」

 シルフィナは、やや陰のある微笑みを返した。王家の者からの頼みは、国からの命令と一緒だ。それを断ることは、実質、禁じられている。

「それは知っている。申し訳ないことだとも思っている。だからこそ、人としての礼を欠きたくないのだ。だから、今は姫と紫髪虹瞳の魔導師という立場を忘れ、シルフィナとしての本心を聞かせてくれ。他の者には告げないと約束する」

 ロゼアが言うことは、間違いなく本心なのだろう。それがずるいと、シルフィナは余計に笑顔を翳らせる。

「ネリーメアに対して本心を語ることさえ、この化粧が許さないこともご存知でしょうに」

 唇の青を、紫髪虹瞳の少女は指先で撫でた。


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