第二章 角の頂(7)
シルフィナが竜の扱いの学習に勤しみ。
ロゼアはキャンプの準備を堪能し。
日が、暮れた。
角ヶ峰の山中では、相変わらず陣を張り続けているコッドが、侍女や取り巻きの兵達と共に、伝令が戻るのを待っていた。
日が落ちると、空には松明を持った竜乗り達が、飛び回りはじめたようだ。石柱が視界を隠す奥まった広場に陣を設けたコッド達からは、ぼんやりとした明かりが岩の群れの向こうを通り過ぎるのだけしか見えないが、周囲警戒の兵が、こっそり覗き見て、竜乗りだと確認した。
「これでは、竜乗りは、こっそり飛べそうにありませんね」
メダが言う。言葉とは裏腹に、困った様子は、まったく見られない。
「まったくロゼアらしい妨害だ。小癪な知恵はよく回る」
と、コッドも笑っている。表情は、余裕そのものだった。
「だからこそ分かりやすいとも言える。明日の朝には、マグラダ老に使者を送るだろう」
それは先手を打たれるということだ。分かっているにも拘わらず、コッドの顔には問題と考えている様子はない。
「あいつに、拙速という言葉を知る機会をくれてやることになるな。親切がすぎるか?」
とまで、放言していた。というのも、コッドはむしろ、接触は慎重にすべき、という勘が働いていたのだ。
「あれだけの見事な竜だ。出自をよく確かめずに関わり合いになることは危険といえる」
場合によっては、足元を掬われる材料にもなりかねない。正体をよくよく吟味する必要がある、とコッドは感じていた。
彼は、ロゼアも知るように、確かに伝令の馬を都に走らせていた。しかし、呼び寄せるつもりだったのは、竜乗りではなかった。
重鎮である、宮廷魔導師に足を運んでもらうよう、伝令を飛ばしていたのだ。宮廷魔導師クラスであれば、流石に、竜の雛自身に魔法を行使し、正体の秘密を暴くことも可能だ。
もっとも、その魔法を行使するのに、現状では絶対的に邪魔になる存在が、二人いる。
一人はマグラダ老、もう一人はシルフィナだ。雛に魔法を掛ければ、二人には必ず気付かれる。マグラダ老を敵に回す訳にはいかないし、シルフィナに不信感を持たれるのも、得策ではなかった。
それを解決する手段は、雛を一瞬でもいいからシルフィナと引き離すことだ。そう考えれば、マグラダ老の館にいつまでも逗留されるよりも、いっそロゼアの傍に移ってくれた方が好都合だ。
ロゼアの性格であれば、礼を尽くす態度を装う為、砦の貴賓室にシルフィナを招く筈だ。
そして、砦の建屋の中は、人には広いが、竜に狭い。雛は竜舎に置かれるだろう。その時が、最大のチャンスだと考えていた。
勿論、その機会を待つばかりに、ロゼアにシルフィナと竜の雛をみすみす渡すだけの結果に終わるというおそれはある。竜の雛に、大きな秘密がない可能性も零ではない。
だが、コッドはおそらくそれはないと睨んでいた。自分の勘に従うことにしたのは、マグラダ老の声が根拠だ。血筋になにか危険があるか、鳶が鷹を生んだだけだとしても、あの雛自身が危険なのだろうと確信していた。そうでもなければ、マグラダ老が、自ら声を発して、自分の館に呼ぶとは思えなかったのだ。
もしあの雛が危険な竜なのだとしたら。
それを踏まえたうえで完全に支配下に置くのであれば、強力なしもべとなろう。だが、そんな対策もなく、都や、いわんや城に招き入れたとすれば、その行動は、大きな影響力を手に入れるどころか、国を危険に晒す考えなしな行動として、糾弾されることに繋がる。
つまり、先にするべきことは、あの竜の正体を探り、危険な竜を完全に支配下に置く手段を確保することだ。皆の眼前で秘密を白日の下に晒し、その竜を乗りこなす方法を示せば、ロゼアの元から奪うこともできる。
「魔導師シルフィナが、ロゼア殿下を信頼したらどうなさいます?」
相変わらず、メダの言葉は挑発的で、からかうようだ。その少し生意気なところを、コッドは楽しいと感じていた。
「シルフィナは聡い子だと聞いている。ロゼアが隠しても、裏の打算に必ず気付くだろう」
子供は、そういう、表に見せない顔を嫌うものだ。隠せば隠そうとする程、シルフィナの不信を買うだろう。そして、ロゼアは取り繕うのがうますぎることもコッドは知っている。それ故に、探られても痛くない真意まで隠す癖がついているのだ。シルフィナとロゼアは、相性が良くないと、コッドは見ている。
「そうでしょうか。ロゼア様が純粋にシルフィナを可愛がるという可能性は?」
それは、在り得る。十分すぎる程に。
「いいじゃないか。それならそれで。むしろ、そうであってくれたらいいと思うくらいだ」
だが、コッドは、そうなっても何の問題もないと、望んでさえいた。
「そうなれば、ロゼアのやつのことだ。シルフィナと竜を、政治道具には使わないだろう」
シルフィナの年齢を考えれば、その方がずっと健全だ。子供を政治闘争に巻き込むものではない。望めるのであれば、そうあるべきことなのだ。王家の者としての義務だ。頼るべきものと、護るべきものを、取り違えるのは本来罪と言えよう。子供は国の未来の為に守られなければならないものだということを、誰もが否定しない筈だ。
「しかし、それで片付けるには、不幸なことに、シルフィナの素質は強すぎる」
それもまた事実だった。
「紫の髪。虹の瞳。完全に魔力に染まった色だ。見ただけで一部の民は恐怖する外見だ」
多くの民は魔法に対抗する術をもたない。それ故に、強すぎる魔法の素質はしばしば恐怖と迷信の原因になる。彼等は相手の本質を見る前に半ば本能的に怯え、自分とは別の生き物として扱うことに繋がる。コッドも、そう言った者達が、紫髪虹瞳の人間を呼ぶスラングを、知らない訳ではなかった。
「チェンジリング、か」
コッドとロゼアはその一点においては、同意見を持っている。その言葉が、嫌いだという感覚は、一致していた。そんな言葉は消えてなくなればいいと、コッドなどは思っている。
「その言葉を思い出す度、嫌な世の中だと思うよ」
建前なしに。それは、紫髪虹瞳の魔導師とて人の子だ。悲しいと思うこともあれば、怒ることもあるだろう。それが理不尽な怒りであるならいざ知らず、怒らせるようなことをする方が悪いのだ。そんなことは、魔力があろうと、なかろうと、当然のことでしかない。そもそも、国の歴史を振りかえれば、紫髪虹瞳の魔導師が、国を揺るがした事件は、驚く程少ない。そもそも、彼等の本気で国に敵対したのであれば、とうの昔にネリーメア王国は猛火の前の木端の如く吹き飛んでいた筈だ。
彼等は、人よりもずっと自分の危険性を理解していて、自分を律する術を大切にしている。さらに言えば、竜が住み、その暴力と隣合わせでありながら、国が滅んでいないのも、ある意味では紫髪虹瞳の魔導師達の恩恵があってこそのことだ。それだけではなかったにせよ、彼等の努力と貢献は、決して軽んじられて良いものではないのだ。紫髪虹瞳の魔導師は、敬われ、感謝されるべきもので、疎まれ、恐れられるべきものではない。
「心配なさらずとも、ロゼア様はシルフィナを丁重に扱うでしょう」
エイナが、微笑む。コッドも、そのことであれば、心配はしていない。
「そうだろうな。私もそれは疑っていない。同様に、竜の雛も大事にすると良いのだが」
心配ごとがあるとすれば、そこだ。竜の雛をぞんざいに扱えば、シルフィナを怒らせる十分な理由になるだろう。害獣同然に扱うことはないだろうが、おそらく、シルフィナは、竜の子も人と同様に扱わなければ、納得しないだろうと思えた。噂で聞く限りでは、シルフィナは感受性が強そうだというのが、コッドが想像する印象だった。
「そういえば、ニーナは今年で一三だったか」
ふと、コッドがそんなことを思い出す。ニーナとは、国王の次女で、コッドの兄弟の中では、末っ子だった。王の子の五人兄弟は、上から、長男、長女、次男、三男、次女、であった。上の二人が、コッド本人と、ロゼアである。
「いえ、まだ一二です」
エイナが訂正する。コッドが正確に知らないことを、エイナも、聞いているだけのメダも、責めなかった。
なにしろ、コッドは、実のところ、ニーナが生まれて一二年間、一度も顔を合わせたことがなかったのだ。ニーナは生まれてからこれまで、王城にいたことがなく、遠く、海辺の村で暮らしていた。生まれつき病弱で、都の空気が合わないと診断されたのである。彼が末の妹の顔を見る前に、ニーナは、遠方へ移された。
「政治闘争の道具にされるくらいなら、いっそニーナの友人になってくれた方が良いな」
そうなったら、ニーナは喜ぶだろうか。コッドは彼女の性格も知らない。しかし、少なくとも、シルフィナにとっては、その方が好ましいのではないかと、ふと考えた。
「どうでしょうね。私共には分かりかねます」
「そうですね」
ニーナについてほとんど分からないのは、メダやエイナも同じだ。答えようがなかった。




