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最後の魔法は竜の背で  作者: 奥雪 一寸
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第二章 角の頂(3)

 一方、山の頂。

 雨が降りしきる岩場の山頂には、切り立った頂上に抱かれるように、館が建つ平地があった。平地の周囲はすべて崖で、外界とは隔絶されたような神界のようでもあった。

 館の前に、まずターナが降り、続いてその横に、エリオルが静かに並んだ。

 館は煉瓦造りで、何処からその材料を集めてきたんだと疑問に思えるほど、装飾まで施された美麗なものだった。館の前にはいかにもといった感じの、長い顎鬚を垂らした老人が、一人立っている。黄緑色の上下を纏っており、貫禄を演出するのに、一役買っているようだった。

「あの」

 エリオルの背から降り、シルフィナがおずおずと前に出る。

「シルフィナと申します。マグラダ老で、いらっしゃいますか?」

「いかにも。入りなさい。中で座って話そうじゃないか」

 そう言って、老人はラグルの挨拶は待たずに館に向かって踵を返した。館の両開きの扉は大きく、なんとかエリオルも入れそうだ。シルフィナがエリオルを伴って館に入ろうとすると、

「竜は外じゃ。棲み分けは正しくせんとな」

 マグラダ老はピシャリと言って、エリオルが館に入ることを許さなかった。

「下ではどうか知らんが、ここではそれがルールじゃ」

 そうは言われても、

「エリオル、ひとりで待てますか?」

 自分が傍を離れても平気なのかを試したことがなく、シルフィナは不安だった。

「大丈夫じゃよ。その子はお前が考えているよりも、分別がある。それに、この山頂は、ワシが入山を許したもの以外は、立ち入れんからの。ちょっかいを掛けられる心配もない」

 だが、そこは流石、老竜で賢者といったところだ。マグラダ老は大丈夫と分かって言っているのだった。

「はい」

 そこまで理解してのことであれば、シルフィナも従うべきだと理解できる。彼女はマグラダ老に促されるまま、館へと入った。

 扉は、シルフィナが前に立つと、ひとりでに開いた。これも魔法だろう。彼女が知る限り、そういった魔法があるという話は、聞いたことだけはある。

「じゃあ、俺はこれで」

 ターナの傍で、ラグルが声を張り上げる。彼は引き返すつもりで、長居をしたくなさそうだった。

「ああ、お前はいらん。帰れ帰れ」

 マグラダ老からの扱いもぞんざいだ。さも邪魔だと言わんばかりにラグルを追い払った。

「まったく。変わらないな」

 ぶつくさとは言ったが、ラグルは自分で帰るといった手前もあったのか、大人しくターナの背に乗り、ロダルーシュの集落に帰っていった。

「お邪魔します」

 心細さを感じながらシルフィナが館の玄関を入ると、板の間の広間だ。椅子やテーブルはなく、クッションだけが置かれている。奥の方にある、竜の姿を象った像がひとつ置かれているのが、シルフィナの目を引いた。

「好きなクッションに座るがいい。まずは、ワシから、お前さんに話して聞かせることがある。皆まで言わんで良い。お前さんが来た理由も、ワシはちゃあんと分かっておるよ」

 ラグルへの扱いとは裏腹に、マグラダ老の、シルフィナへの対応は、気遣う様子を見せた。彼女をクッションのひとつに座らせ、自分もすぐ傍のクッションに、シルフィナと向かい合うように座った。

「ふうむ。しかしまあ、大変な子を預かったもんじゃのう。自分で決めたこととは言え、お前さん、不安は大きかろうて」

 体を揺すり、そんな風にも笑う。マグラダ老はすべて分かっていると告げたが、それは真実のようであった。

「間違いなく、エリオル坊やには、エルカールの血が眠っておる。誰かがあの坊を怒らせれば、そりゃあ酷いことになるじゃろうて。普段は温厚じゃが、それはあの子の一面に過ぎん。ある意味、実に竜らしいとも言える」

「そんな気は、わたしもしていました。でも、いい子ですよ?」

 シルフィナは、エリオルが理不尽に怒り出すような雛ではないと、僅かな時間で信じられるようになっていた。だが、同時に、エリオルの芯から溢れてくる、竜特有の激しい力も感じていた。エリオルが本気で暴れたら、自分では止められないかもしれない、という不安は、ある。彼女がまったく歯が立たなかったエルカールの子なのだ。自分の魔法が通用しなくても驚かないだろうとも、思える。

「或いは真実かもしれん。成長すれば、ワシすら手玉に取る程のものになるやもな。じゃが、それはお前さんが生きている間の話ではない。人間の一生は、竜と比べて短い。あの子がそこまでの物となるには、数百年が必要じゃろうて。お前さんが気にしても、始まらんことじゃ。さてもお前さん、無限の時を生きようなどと、遠大な野望をもっておる訳じゃあ、なかろう? お前さん程の魔力の持ち主であれば、それも可能であるやもしれんが」

 また、マグラダ老が笑う。彼は竜である以上に賢者で、老獪な魔導師でもある。素質だけで言えば、シルフィナはマグラダ老を超える才能を持っているのかもしれなかったが、今はまだ、埋めようがない膨大な経験の差が、二人の間にあった。

「はい。誰かと永遠を共に生きたいと思うことがあれば、願うかもしれませんが。今はまだ」

 研究すれば可能だとは思う。それを自負しているのは、シルフィナも否定しない。だが、それを目指すことに、意味があるとは思っていなかった。自分はまだ若く、学を求める時間はある。人の一生では足りないと、自分が思うことがあるのかということさえ、子供を抜けきっていないシルフィナには想像もつかなかった。だが、

「それで良い。さりとて、お前さんに差し迫ったもう一つの問題には、時間の余裕はない」

 唐突に、マグラダ老は、シルフィナには時間がない、と告げ始めた。それは彼女には当然身に覚えのない話で、彼女が知らないところで、巡りはじめている物語でもあった。

「エリオルじゃよ。あれだけ大型の雛じゃ。狙う人間も出よう? ちと、不用心に目立ちすぎたのう」

「ええ、そうなんですか?」

 極力目立たないようにしたつもりだ。シルフィナは、それでも足りなかったのかと、驚く他なかった。

「お前さん、自分の評判に無頓着すぎるぞ」

 マグラダ老の呆れた声。老人らしい皺だらけの指で、シルフィナの髪を指差す。

「これ程はっきり魔力が満ちとることが外見にも出ておるのじゃ。噂にもなろうて。お前さんは、見習い修行中の頃から、国中の注目の的じゃぞ? そんなお前さんが、あんなデカい雛を連れて人前に現れりゃ、そりゃあ、目を引くのも当然じゃろう? 目立つ×目立つの相乗効果じゃ。堂々と通りを歩き、人の目も避けずに宿をとり、食堂で飯を食う。それだけで、十分他人の目につくわい」

「あっ。ああっ。あわわわわっ」

 言われてみればその通りだ。自分では普通にしていても、周囲から見ればそうではない。門番をしていた時、ラグルも自分の顔と名前を知っていたではないか。あの時に、自分で思っているよりも、自分がずっと有名であることに気付かなければならなかったのだ。

「ど、どうしたら」

 シルフィナは狼狽した。今頃、ロダルーシュではもう噂になっているだろう。それはつまり、エリオルも噂になっているだろうということだ。悪い人間の耳にも、入ってしまっていることだろう。

「うむ。それでのう。ほとぼりが冷めるまでお前さんとエリオルを人前に出す訳にはいかんと言いたいころじゃが、生憎そうもいかん。こればかりは運が悪かったと思うてくれ。付け焼刃になるが、お前さんには、今日一日で、エリオルとの基本的な付き合い方をマスターしてもらわねばならん。手柔らかに指導する余裕はないから、覚悟するのじゃぞ」

 さらに、匿えないというその理由が、シルフィナには分からなかった。狼狽えながら、何と聞いたらいいのか言葉を探したが、うまい聞き方も、思い浮かばなかった。

「どうしてっ?」

 悲鳴に近い言葉が、口からは出ただけだった。ちょっとだけ絶望した。

「うむ」

 と、マグラダ老が頷き、

「単刀直入に言えば、王家の人間が、ロダルーシュに来ておる。要請があれば、お前さん達を出向かせない訳にも、いかん」

 大袈裟にかぶりを振った。友好関係を築く上での約束があるのだ。

「人間同士の問題には、ワシは口を挟まんことになっておる。生憎じゃが、お前さんと一緒にいる限り、エリオル絡みの問題も、人間同士の問題に含まれるのじゃよ」

 つまり、使者が送られてくるまでの勝負、ということだ。時間がないという、マグラダ老の意図が、シルフィナにも理解できた。

「幸い、今すぐに使者が送られてくることはなかろう。向こうも、それなりの面倒な状況にあるようじゃ。とはいえ、いずれロダルーシュの人間が、使者として現れる筈じゃ」

 と、マグラダ老は告げた。

「その時は、お前さんは行かねばならん」


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