第七話 vs 超人類②
「ど、どうなってるの!?」
「うわぁあああ……っ!?」
僕らの目の前で、みるみるうちにその学生は姿を変えて行った。黒い、得体の知れない濁流が彼の全身を蝶の繭のように包み込む。右腕はガトリング砲に、左腕はビームサーベルの形状になり。ツノが生えキバが生え、背中から黒い翼が生えた。僕は肌が粟立つのを感じた。
まるで……まるで悪魔の化身ではないか。
「ゲギャギャギャギャギャ!!」
怖気を呼び起こす、敵意に塗れた獣の咆哮が、鼓膜を、本能を震わせる。逃げた方が良い。僕は直感的にそう悟った。
だけど、だけど体が動かない。余りのことに視線を逸らせない。そうこうしているうちに彼は生え立ての翼を一、二度羽ばたかせ、初めはぎこちなく、やがてグワリと身体を宙に浮かせた。僕の手のひらの中で、『超人類発見装置』がブルブルと暴れていた。
「ま……まさか……」
道端でゴミを啄んでいたカラスが数羽、慌てて飛び去って行った。茜色に染まっていた空がゆっくりと、帳を下ろすみたいに、暗く、黒く塗り替えられて行く。それが、『災厄』の造り出す『境界』と呼ばれるものだと僕が知ったのは、もう少し後になってからだった。
黒く染まった街の上で、空中に静止した青年が小さく息を吐き出し、ニタァ……と唇の端を釣り上げた。
「下種共め。逃げられると思っているのか」
不意に彼の瞳が紫色に光った。その途端、
「あ、うわわ、あ……!?」
「何これぇっ!?」
僕らの体が、まるで風船みたいに空に浮かび上がり始めた。
慌てて手足をバタつかせるも、残念ながら無駄な抵抗だった。体がどんどん地上から離れていく。やがて屋根の上にまで、空に浮かんだ青年よりも高良いところへ打ち上げられ……そこで急にピタリと止まった。くるくると、内臓が持ち場を離れて右往左往して、僕は目を白黒させた。
「『サイコキネシス』」
青年がそう呟いた。サイコキネシス。念じただけでモノを動かす能力。それで、打ち上げられているのは僕らだけではなかった。昆虫標本みたいに、帰宅途中の学生やらサラリーマンやら、大勢の人々が空中にピン留めされている。彼はそちらに右腕を向けた。
「ちょっ……!?」
「やっやめ」
僕は目を見開いた。黒い悪魔の形をした青年は、僕らの方に視線をやり、ニヤリと嗤った。そして、
「や……!」
撃った。
彼の右腕が、ガトリング砲が、無抵抗な市民たちに向けて容赦無く火を吹いた。
時間が止まった。気がした。耳鳴りにも似た破裂音が鼓膜を劈く。目の前がブルブル震え出し、最初僕は、空が割れたのかと思った。毎分4000発の弾丸が、局地豪雨のように降り注いだ。
そこから先は地獄絵図だった。
悲鳴。
絶叫。
断末魔。
やがて聴力を取り戻した時、止まっていた現実が、一気に押し寄せてきた。蜂の巣にされた死体が、潰れたトマトみたいに中空で真っ赤な血を噴き出す。空からペンキを一斉に溢したみたいに、街はあっという間に赤黒く染まり、肉片が雹のように降り注いだ。
「ザマァみろ。思い知ったか、下等種族が」
彼はそう吐き捨て、愉悦に目を細めた。わざと遠くの市民を狙い、しばらく『的当て』を愉しんで、肉塊の飛び散る、汚い花火大会に興じた。
悪魔の化身じゃない。悪魔そのものだ。口の中に胃液が逆流し、僕は宙吊りになったまま、思わず涙で顔を歪ませた。
「……何だよ?」
僕の視線に気付き、悪魔が再びこちらを向いた。僕は空中に浮かんだまま、凍りついた。何も言ってない。目の前で起きた余りにも非現実的な惨状に、もはや声すら失っていた。
「何だよその目は? 何か言いたいことでもあるのか?」
彼はひょいと肩をすくめた。その拍子に、ガトリング掃射の形に沿ってコンクリートが抉れ、家屋が砕け、偶然そこにいた市民が穴だらけになって爆散した。
「俺、何か悪いことした?」
「…………」
「いじめっ子に仕返しして、何が悪いの? 君も見ただろ? 最初に喧嘩売ってきたのはあっちだろ? 君らの大好きな、スカッと美談復讐譚じゃん」
「…………」
「クソが。クソックソッ! どいつもこいつも偉そうに、この俺を見下しやがってよォ……!」
彼は黒い翼を大きく広げ、ガリガリと自分の胸を掻き毟った。
「ああウザってぇ。死ねよ。みんな死ねば良いンだ。無能のくせに。何の能力もないくせに。空も飛べない、武器もない、念力も使えない『旧人類』は、この俺が滅ぼしてやる!」
黒い悪魔がゆっくりと僕の方に近づいてきた。悪意と狂気に満ち満ちた目で、ギョロリと僕を覗き込む。
「まず手始めに、そうだな、いじめっ子は全員皆殺しだ。俺が天下を取ったらな、そういうクズ野郎から真っ先に粛清してやる。人間はもう終わりだ!」
「ひ……っ!?」
「これからは上位存在による、完璧な支配、完全な管理社会。いじめも、戦争もない、善人の善人による善人のための、平和な新時代を俺が築いてやるよ。悪人は死ね。役立たずは死ね。能力のない奴は死ね。ははは。ははははは!」
黒い、墨汁よりも黒い濁流が、感情が、悪意が彼の全身から迸った。僕はその瘴気に当てられて、空中に磔にされたまま、吐き気が、涙が止まらなくなった。
頭が痛い。息が苦しい。心臓が、まるで僕の内側からドンドンと扉を叩いているみたいに、胸が張り裂けそうだった。
「これからはッ、俺の! 時代だァ!! ハハハハハ!!!」
そして……本当に、胸が張り裂けた。
『……オマエノ?』