第四話 vs エレモテリウム
……画面に二つ目の『分岐点』が現れた時、オルドビスは目を疑った。
警戒レベル3。
いつもの『災厄』じゃない。一本の時空連続体に、二つの『災厄』が同時に……ここ最近では滅多に観られない現象だった。暗い地下奥深くの観測所に、大人たちのどよめきが走った。
「本当か? 二次被害じゃないのか?」
「いえ、違います。明らかに性質の異なる境界が、同じ地点に二つ生成されようとしています……!」
部下の声も心なしか上擦っていた。室内も慌ただしくなって行く。計測ミスではない。画面には、確かに点滅が二つ、凶兆のように赤く赤く輝いている。オルドビスは震えた。武者震いだった。
良くある二次被害……地震が原因で火災が起きる……なんてレベルの話じゃなく。たとえるなら『隕石』が降ってきたと同時に『氷河期』を迎えるような……数千万年に一度、いや数百億年に一度の『奇跡』が、たった今、目の前で起きようとしているのだ。
「マジかよ……!?」
「このまま境界同士がぶつかったら……!」
「……どうなるんだ!?」
オペレーターの誰かが興奮気味に囁いて、上司に睨まれていた。無理もない。そのどちらか一つに出会うことすら、今生では叶わないはずだったのだ。
「至急観測に迎え! オルドビス!」
言われるまでもなく、彼は踵を返してモニタールームを後にしていた。薄暗い地下道を疾走する。心臓が高鳴っていた。通常、このまま『分岐点』を突き進めば、時代を分つ新たな『境界』が生成される。観測された『災厄』により、今宵、一つの時代が終わるはずだった。
しかし、それが同時に二つも現れるとは……?
隕石と恐竜はどっちが強いのか?
氷河期と地球温暖化はどっちが強いのか?
火山と地震が戦ったら、どっちが勝つのか?
……そんなもの、この目で見てみないと分かるわけがない!
「何という僥倖……!」
今まさに人類が滅亡の危機に瀕しているこの瞬間、オルドビスの胸は歓喜に震えていた。観測者として、また1人の科学者として、まさかその現場に立ち会えるなんて。興奮気味に、彼は颯爽と黒衣を翻し『エアロバイク』に飛び乗ると、やがて満天の星空の下に機械仕掛けの流星を走らせた。
「何だ……これは……!?」
現場に辿り着いた観測員たちを待っていたのは、想像を絶する惨状だった。
跡形もない。
それが第一印象だった。少なくとも周辺1km圏内の建物は、まるで飴細工のように崩壊し、地面が抉れ、そこらじゅうにボコボコとクレーターが出来上がっている。四方から火の手が上がり、立ち昇った黒煙が空を覆い、そこだけ星を遮っていた。まるで不毛の大地、未知の惑星に不時着したような光景だった。
「一体何が……!?」
しとしとと、霧のように辺りを包む雨に混じり、地面では赤黒いものが水溜りを作っていた。血だ。
「生存者を探せ!」
オルドビスが叫んだ。望みは薄いだろう……そんな諦観が、心の奥底に浮かんだとしても。部下たちは必死に崩れた木材の間を駆け回った。やがて悲鳴や、呻き声のようなものが、鎮魂歌のように響き始めた。
「時空が……歪んでる……」
誰かが慄くように囁いた。確かにさっきからパチッ、パチ……ッと、炭酸の弾けるような音が大気を震わせている。未だ時空間が安定していないのだ。現れた『災厄』が『分岐点』を突き進み、お互いの『境界』がぶつかり合った結果……この世界に甚大なる被害を与えていた。
「まさに『災厄』……といったところか」
オルドビスは生唾を飲み込んだ。1km圏内で済んでいるのがまだマシなくらいである。幸か不幸か、発生した距離が近すぎたため、互いに相殺し合ったのだろう。もちろんこんなことは観測史上初めてだった。
「隊長! あそこに!」
やがて部下の1人が興奮気味に飛んできた。『バイク』に跨り、急いでそちらに向かうと、焼け野原になった住宅街に得体の知れない巨大な生物が横たわっていた。
「あれは……」
「エレモテリウム!」
化石マニアの隊員の1人が、倒れた獣を見下ろし、興奮気味に唾を飛ばした。
※エレモテリウムは後期更新世、大体12万年前から1万年前に生息していた、古代のオオナマケモノの一種である。現代のナマケモノとは大きさが全く異なり、体長は6m、重さは3トンと、まさにトラックをイキモノにしたようなバケモノである。
どうして絶滅したかは良く分かっていない。マンモスと同時期に生息していたので、人間に狩り尽くされて絶滅したのだとか、自分の糞で水を汚してしまい、それを飲んでしまったため……なんて説もある。
立ち上がると成人男性3人分はありそうな巨大生物が、この日、F市街の住宅地に突如出現した。間違いなく、観測した『災厄』の一つはこのバケモノである。
「すごい……! まさか生きたエレモテリウムをこの目で見られるなんて……!」
「そう喜ぶなよ。コイツは、我々を滅ぼすために出現したんだぞ」
「しかし……誰にやられたんだ?」
計器で測った結果、エレモテリウムの境界は破られているようだった。隊員たちはさらに警戒を強めた。確かにこれで、この怪物によって人類が滅ぼされることはなさそうだ。だが、今夜はこれで終わりじゃない。もう一つあるはずだ。これを倒した、もう一つの『災厄』が……。
「隊長! あれを!」
すると、部下の1人が慌てて暗がりの方を指差した。
オルドビスは暗闇に目を凝らした。怪獣の背中に、人影が乗っている。
「アイツ……」
「……笑ってる?」
隊員たちが顔を見合わせた。背中に乗っていたのは、どう見ても人間だった。およそ立ち上がったエレモテリウムの、腰より下の背丈ほどしかない、小柄な人間……まだ年端も行かない少年だった。
『ギャハハハハ!!』
黒い皮膚……あれは鱗だろうか……に覆われた少年が、暗闇の中、目を赤く光らせ、両手を天に掲げて哄笑している。隊員たちは思わず固まった。その嗤い声が、全身から醸し出される雰囲気が、まるで地獄の底から這い出てきたような、底知れない悪意を帯びていたからだった。
「何だ……アイツは……!?」
少年はなおも嗤いながら、黒く鋭く尖らせた爪で、息絶えた獣の皮膚を突き破った。瓦礫の上に赤黒い血が雨のように降り注ぐ。それから、大口を開けて露わになった内臓に牙を突き立て、勢い良く引き千切った。
「う……!?」
「『災厄』を……喰ってる!?」
腹から伸びた直腸が、夜空の下で踊る。まるで、肉食獣が獲物の肉に齧り付くように……少年は無我夢中でエレモテリウムを貪り続けた。
皆、絶句していた。
オルドビスでさえ、計器から目を逸らし、しばらくその光景に釘付けになった。饗応は長くは続かなかった。あっという間に『ご馳走』を食べ終えると、少年はそのまま気絶したみたいにその場に倒れ込み、やがてその肉体からシュウシュウ……と黒い煙を上げ始めた。
「何なんだよ……?」
「何でしょう……あれは? 『超人類』?」
「何て禍々しい……」
ようやく我に返った隊員たちが、口々に戸惑いの声を漏らす。オルドビスは気を取り直し、姿勢を正した。
「どうします隊長? 見た目は少年みたいですけど……再び『災厄化』する前に、今のうちに回収しておきますか?」
「いや……」
少し逡巡して、オルドビスはやがて隊員たちにこう告げた。
「しばらく様子を見てみよう」
「え?」
「『災厄』を喰べる『災厄』……こんな現象は初めてだ。観察するに値する」
「しかし……」
「もしかしたら彼が……」
黒衣の隊長は、努めて平静を装い、夜空の下で声を震わせた。
「彼こそ、我々の待ち望んだ『BIG6』になるかも知れん」