第二十六話 自分の空似
バレていた。
身じろぎ一つ取る暇も無く、気がつくと高らかに警報音が鳴り響き、建物からわらわらと黒装束の集団が現れる。あっという間に取り囲まれた僕らは、四方から銃口を突きつけられ、為す術もなく両手を挙げた。
「お前ら……いつの間に!」
サクラテス少年が驚いたようにこちらを振り返った。
「尾けてやがったのか。だが、飛んで火に入る夏の虫とは正にこのことだな」
「おっと。妙な真似をするなよ」
その隣でラプトンが、片手を上げてこちらを制した。
「こっちには人質がいる。誰のことかは分かってるだろう?」
「う……!」
「そう、白亜様……お前らの世界線の白峰白亜だ。間違っても破れかぶれに『災厄化』しようなどと思うな。人質の命が危ない。無論お前のせいでな」
ラプトンがジッと僕の方を見つめた。彼の言う通りだった。いくら薬があるとはいえ、この状況では。また暴走して、万が一のことがあっては元も子もない。完全に機を逸してしまった。
そのうち黒衣の研究員たちがジリジリとこちらににじり寄り、僕らは後ろ手で手錠をかけられた。銃を構えた男たちに乱暴に身体検査され、スマホも生徒手帳も、ポケットの薬も取り上げられてしまった。
「連れて行け!」
ラプトンが低く声を張り上げ、僕らは建物の中へ、地下牢へと連行された。重たい鉄格子の鍵が開けられ、体を投げ飛ばされる。思わずうっと息が漏れた。暗く冷たいコンクリートの床に打ち付けられると、口の中に鉄の味が広がるのが分かった。
「いい気味ね」
鉄格子の向こうから、白峰部長が……並行世界の白峰部長だ……横たわる僕らを見下ろし満足げに笑みを浮かべた。本当に似ている。と言うより同じなのだ。同じ顔の別人に会うと言うのは、何とも奇妙な感覚だった。
「フゥン……本当に似てるわね」
銀色の水着を着た白峰部長が、マジマジと僕の顔を覗き込んだ。違和感を感じているのは、どうやら向こうも同じのようだ。
「どうして水着なんですか?」
「知らないの? SFと言えば『セミ・ヌードのねーちゃん』なのよ」
「意味が分からない……」
「でも」
白峰部長が妖艶な笑みを浮かべた。
「貴方……本物よりなよなよしてて、頼りなさそう。やっぱり偽物はどこまで行っても偽物なのね」
「…………」
「それで? 別世界の貴方も、やっぱり私を好きになったの?」
「な……」
白峰部長がせせら笑った。
「ウフフ。それってちょっとロマンチックだけど……でも、あんな人間嫌いの、へそ曲がり女の何処が良いのよ? あんな、人類を滅亡させようとしてる裏切り者の、性悪女」
白峰部長が不機嫌そうに鼻を鳴らした。
それから意地悪そうに目を細め、唇の端を釣り上げる。
「いっそ貴方も、私に乗り換えたら? 私から私に。私が本物の白峰白亜。それが良いわよ。私は人間が大好きだし、あんな偽物なんかより、よっぽど人間的魅力に溢れていると……」
「……違う」
「え?」
「違う! 白峰部長はそんな人じゃない!」
僕は怒鳴った。
「彼女のことをそんな風に言うな! 僕からしたら、アンタの方がよっぽど偽物だ!」
「三畳君……」
「な……何よ……」
気がつくと僕は、悔しくて目に涙を浮かべていた。
「何よ。顔真っ赤じゃない。自分の不甲斐なさに泣いちゃったの? 可哀想〜」
「いちいち癪に障る女だな……」
「ホント、救えないわね。偽物同士、みんなで仲良く宇宙の塵にでもなれば良いわ。連れてきて」
「はっ」
白峰部長の……白峰部長の姿をした別の誰かの……命令で、薄暗い地下牢にまた新たな囚人たちが連れてこられた。その顔を見て、僕らはあっと声を上げた。
「メルキアデス先生!」
「やぁ、三畳君二宮君。久しぶり」
「それに向日葵ちゃんに、寒いおじさんも!」
「ごめん……捕まっちゃった……」
「チクショウ! 離しやがれぇ!」
連れてこられたのは、異世界に分岐した仲間たちだった。たちまち地下牢がギュウギュウになる。そして。嗚呼、そして。こんなことがあるのだろうか。僕は息を呑んだ。
まるで鏡を見ているみたいだった。鉄格子の向こうに、逆光の向こうに、もう一人の僕が立っていた。
「お前が俺か」
僕が、僕を見下ろしてそう言った。僕は固まったまま返事ができなかった。声に違和感があるのは、自分の声だからだろうか。なるほど僕の声は普段こんな風に聞こえているのか。刺々しくて温かみがなくて、嫌な感じだ。
「嫌な感じだな」
僕と同じことを、向こうも感じているようだった。
「別の世界の自分に会うなんて。認めたくないんだろうな。自分がこんな、弱い人間だなんて認めたくない」
僕がそう吐き捨てるのを、僕は見ていた。
「何だよそのザマは。お前はそれでも俺か? お前みたいにウジウジしている奴を見ると、虫唾が走るよ。これも自己嫌悪って奴なのかな?」
「安心して。偽物たちは全員、処刑するわ」
白峰部長が僕に寄り添いながらほほ笑んだ。僕はそれを見ていた。
「明日の朝、広場で公開処刑よ。もちろんあの偽物女も全員ね。十字架に磔にして、一人一人銃殺してあげる」
「新しい世界に、弱者は要らないんだ」
僕が目を光らせた。僕はそれを見ていた。
「強い者だけが生き残る。それが正しい世界ってもんさ。悪人は一掃する。それが清らかな世界だ。異端は殺せ。美しい世界を汚すゴミは、徹底的に掃除しなくっちゃあ。お前らの罪は、『生まれてきた』ことだよ。偽物は、弱者は、悪人は、存在自体が罪なんだ」
それだけ言うと、僕は僕の前から去っていった。僕は驚きのあまり、しばらく声が出なかった。他のみんなも同じだったようだ。暗がりの中、鮨詰めになった地下牢はシン……と静まり返っていた。
「やれやれ。せっかく用意した薬も取られてしまったし」
やがてメルキアデス先生がポツリと言葉を溢した。
「ジグも取られた。処刑が終わる頃には、『分岐点』のタイムリミットも過ぎている。こりゃ万事窮すだね」
「何とかならないの?」
向日葵ちゃんが悲鳴に近い叫び声を上げた。
「このままじゃ私たち、殺されちゃうのよ!」
「だけど、戦おうにも武器を取り上げられちゃあ……」
「何とかして」
メルキアデス先生が淡々と告げた。
「三畳君の心臓を破壊できれば、あるいは」
「え……え?」
「そうか。混乱に乗じて逃げようってことですね?」
二宮先輩が相槌を打った。
「一か八か、やってみる価値はありそうですね」
「え……」
「僕らも無事じゃ済まないかもしれない。だけど、このままじゃどっちみち処刑されちゃうわけだしね」
「だな」
「そうね」
「いや……あの」
「問題はどうやって、だよ。ジグもない。薬もない。両手両足を縛られて、どうやって三畳君の心臓を破壊するか……」
なんて嫌な会話なんだ。仲間たちに心臓を狙われながら、僕は眠れない夜を過ごした。そして処刑の時間はやってきた。あまりにも淡々と。あまりにもあっけなく。