第二十三話 災厄の恩恵
ここは……?
……どこだろう?
分からない。気がつくと目の前は真っ白だった。四方八方、まるで雲の中にいるみたいに、白い霧がかかっている。
僕は地面に寝っ転がったまま、言葉にならない呻き声を上げた。最近はずっとこんな感じだ。いつの間にか意識を失って、『災厄化』し、目を覚ますと知らない景色の中にいる。時々、僕は本当に目を覚ましているのか疑いたくなるほどだ。
『災厄化』。
謎の怪奇現象に巻き込まれ、僕の日常は、今やどっちが夢でどっちが現実なのかも良く分からなくなってきた。数ヶ月前なら、異世界から『災厄』とやらがやってきて世界を滅ぼさんと大暴れしている……なんて話を聞いても、笑って信じなかっただろう。
それどころか、今や自分自身が『災厄化』しているだなんて。ひんやりとした空気が頬を撫でる。辺りはシン……と静まり返っていた。僕以外の誰もいないみたいだ。白い霧の中、僕はゆっくりと上半身を起こし……遅れて襲ってきた、体の節々の痛みに顔をしかめた。
「いてて……」
どうやらこれは現実のようだった。白いシャツが、べっとりと赤黒い血で濡れていて、僕はギョッとなった。しばらく固まってその様子を見つめる。足元に匕首が落ちているのが見えた。さっきまで僕の胸に刺さっていたものだろう。だけど、よくよく見ると自分の血……ではなさそうだった。
誰かを傷つけてしまった……もしかしたら、人を殺してしまったかもしれない。その事実に、僕はさぁっ、と血の気が引いて行った。最悪だ。僕は汚れた手で顔を覆った。意識がなかったとはいえ、僕がやったことには変わりはない。
もしこれが……もしこれが白峰部長の血だったら。そう思うと、たちまち動悸が激しくなり、胃の中に鉛を流し込まれたかのように、ズシンと身体が重くなった。どうしよう。どうしよう。取り返しのつかないことをしてしまった……という罪悪感に、気がつくと僕の身体は小刻みに震え出していた。
「三畳君!」
すると、濃い霧の向こうから、誰かが僕を呼ぶ声がした。
「先輩……」
二宮先輩だった。右腕が、何故かロケットのような形になった二宮先輩が、ジョット噴射の轟音を上げながらこちらに飛んできた。
「無事だったかい?」
「……先輩、ここは?」
「分からない。暴走した君が並行世界への扉ごと、時空を捻じ曲げて……正直、何処に飛ばされたかも見当が付かないんだ」
それから先輩は、僕が気絶していた間のこと……『災厄化』していた時のことを話してくれた。
「それで、白峰部長は奴らに連れ去られ、先生たちはそれぞれ別の扉から……三畳君?」
「え?」
二宮先輩が心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
「大丈夫かい? 君、顔色が優れないよ」
「いえ……」
僕は座り込んだまま、目を逸らした。
「どこか怪我でも?」
「いえ、そういうわけじゃ……僕じゃなくて」
まともに先輩の顔が見れなかった。
「これ……」
「ん?」
「この血……これ、僕がやったんでしょう?」
「…………」
「ごめんなさい。僕、怖くて……これ、僕がやったんだと思うと、急に……本当に自分が、人類の『敵』になったんだと思うと……何だか」
何だか急に自分が、とても醜い、生きてはいけない存在になったような気がした。声が震えているのが分かった。空気は相変わらず冷たいままだ。二宮先輩は黙って僕の隣に腰を下ろした。
「まぁ俺も」
やがて……僕が落ち着くのを待って……二宮先輩が優しく口を開いた。
「『災厄化』……『超人類』になった時、同じようなことを思ったことがあるよ。どうしてこんな力を手にしてしまったのか……って」
「……先輩は」僕は鼻を啜った。
「怖くないんですか? 『災厄』が」
「そりゃ怖いさ。だけど、台風や地震そのものに、悪意や善意が宿ってると思うかい? ただの自然現象じゃないか」
台風が来なければ、海はかき混ぜられず、海底まで酸素が行き届かない。温室効果ガスがなければ今ごろ地球はマイナス40℃だ。地震がなければ、プレート運動がなければそもそも日本列島が作られていないよ。
「災厄と恩恵は表裏一体なんだ。『敵』だの『味方』だのって、所詮人間の都合で分類しているに過ぎない。アイツは敵。アイツは味方。アイツは悪。アイツは正義……」
「…………」
「君の『災厄』……『超新星爆発』だって。窒素やら、リンやら、他の星にはない元素を宇宙に拡散する重要な役割があるんだ。『超新星爆発』がなければ、はっきり言って地球に生命が誕生していなかったかもしれない」
「…………」
「要は『見方』とか『使い方』の問題じゃないかな。先生の発明したジグとやらで、今はどうにか制御できているからね」
それから先輩は僕に赤い薬を手渡した。これがあれば、ジグ無しでも一時的に『災厄』を制御できると言う。
「悪用する奴もいるんだろうけど。今ならまだ間に合う。行こう。みんなを助け出して、『分岐点』を引き返すんだ。このまま傷つけっぱなしで終わるか、それともみんなを、平和を取り戻すか。未来はまだ確定しちゃいないんだよ」
二宮先輩が立ち上がり、僕に手を差し出した。僕は涙を拭った。
「三畳君。キミは部長に惹かれているんだろう?」
「えっ!?」
二宮先輩の手を取りながら、僕は危うく尻餅を着きそうになった。先輩が笑った。
「ど、どどどうしてそれを……!?」
「いや、バレバレだよ……態度に出てるし。キミの心情描写を読んでたら一目瞭然じゃないか」
「すごい……人の心情描写が読めるだなんて……さすが『超人類』……」
自分より自分のことを理解ってくれる人がいる。もしかしたらそれを親友と呼ぶのかもしれない。先輩が僕の背中を力強く叩いた。
「だったら、ちゃんと想いを伝えなきゃ。このままで終わっていいわけないだろう?」
「は、はい……!」
そうして僕らは、ゆっくりと白い霧の向こうに、未知の世界に足を一歩踏み出したのだった。




