第二十話 未知の通知
……目を覚ますと、やけに体が重かった。
頭が痛い。それに、まるで胸の上に重しを乗っけられたみたいに息苦しかった。少し起き上がっただけで、関節という関節がギシギシ音を立てた。
入院生活の長かった僕は、すぐにそこが病室だと分かった。白い、畳4畳分ほどの小さな個室で、いつの間にか僕は横になっていた。明かりは点いていない。窓の外から、夜のネオンの輝きがカーテンをうっすらと青白く染めていた。
夜だった。汗びっしょりだった。どれくらい寝ていたのだろうか? 熱があるのか、寒気が全身を襲い、視界が霞む。鈍重になった思考をぼんやり持て余していると、突然頭上がパッと輝き、蛍光灯の明かりが降り注いだ。
「良かった、起きたのね」
扉が開かれ、明るく、柔らかな声が聞こえた。白峰部長だった。あれ? どうして部長が此処にいるんだっけ? 僕はぼんやりと、意識を失う前のことを思い出し……たちまち胸の奥がズキリと痛んだ。
「部長……」
「ごめんなさい、三畳君」
制服姿の部長はベッドのそばの椅子に腰掛け、申し訳なさそうに俯いた。
「私……私ね、実は三畳君に異変が起きてること……実は知ってたの」
「え……?」
それから部長はポツポツと、色々なことを話してくれた。
『災厄』のこと。
『並行世界』のこと。
『方舟計画』のこと。
メルキアデス先生が、実は異世界からこっちにやって来て、だけど無双すら出来ずに職場を爆破しようとしたこと……僕は驚いた。てっきり部長のことを陰謀論者だとばかり思っていたのに。まさか奴らとは、真実に実在する奴らだったなんて。
「じゃあ、その『方舟計画』? って奴らが、何やかんや理由つけて僕らの世界を滅亡させようとしてるってことですか!?」
「そう……そうね」
「じゃあ……じゃあ部長の言ってたことは全部真実のことだったんだ……」
そこまで言って、僕ははたと気がついた。部長は滅亡を支持していた側だった。そこまで奴らの陰謀を、真実を知っていてなお、人類滅亡を望んでいるなんて……? まだ若干朦朧とする頭で、僕は『滅亡部』に勧誘された日のことを思い出した。
「部長……」
僕はジッと部長を見つめた。
「教えてください。どうして部長は……人類滅亡を望んでいるんですか? どうしてそんなに人間が嫌いなんですか?」
「…………」
部長は黙って、耳元の黒髪を掻き上げた。俯いたまま、話すべきかどうか迷っているような、複雑な表情を浮かべている。何かまだ、僕に話していないことがあるのだろうか? 狭い病室がシン……と静まり返った。僕らの息遣いが、蛍光管の震える音が鼓膜に纏わりつく。
やがて、意を決した部長が重たい口を開こうとした、その時だった。
『地震デス! 地震デス!』
「うわっ!?」
静寂を破り、急にスマホがビービー大声で喚き始めて、僕らは飛び上がった。災害警報アラートだ。この後すぐ地震が来ると知って、僕は顔を強張らせた。
「わ……わ!?」
「きゃあっ!?」
ただでさえ体調は万全ではなかった。ベッドの下に隠れる余裕なんてなく。
地鳴りが来た。
部屋全体が縦に横に揺さぶられ、しばらく内臓がヒヤリとするような浮遊感を味わった。意識を持っていかれそうになる中、僕は必死にベッドの端にしがみ付き、歯を食いしばった。ブレブレの視界の端で、部長が頭を抱え蹲っているのが見える。
どうすることもできない。無力。圧倒的無力。天井の明かりが明滅し、やがて再び明かりが点いたところで、ようやく揺れが収まった。
「大丈夫ですか? 部長」
「ええ。結構強かったわね……」
それに長かった。心臓がまだバクバク行っている。幸い室内にこれといった被害はなかったが、今の揺れでベッドは数メートルずれていた。壁の向こうからサイレンの音が聞こえる。部長が慎重に立ち上がり、カーテンを開けて、窓の外に目をやった。
「あれ……火事だわ!」
ガラスの向こうは悲鳴やら怒号やらで騒がしく、また煌々と紅蓮色に染まっていた。近くのビルから火の手が上がっているらしい。次の瞬間、大気を震わす重低音が轟いて、上空が白く光った。僕は一瞬、近くで爆弾でも破裂したのかと思った。
「落雷だわ!」
部長の悲鳴と同時に、天井がバチバチッ! と大きな音を立ててスパークした。部屋が再び暗闇に包まれる。どうやら停電してしまったらしい。医療器具を守るため自家発電に切り替わったようだが、電力節約のためか、蛍光灯の明かりは元に戻ることはなかった。窓の外が再び白く染まった。
「大丈夫ですか!?」
病院内がたちまち騒がしくなってきた。見回りにきた看護師が、慌てて様子を確認しに来た。もはや寝ている場合じゃない。僕もよろよろと起き上がり、窓を開けた。雨は降っていない。だけど空をすっぽりと覆う黒雲には、機嫌の良い猫みたいにゴロゴロと、何度も稲光が走る。街の至る所に落雷のシャワーが降り注いでいた。
「一体……!?」
「見て!」
部長が身を乗り出して、眼下の大通りを指差した。見ると、いつの間にか大勢の人々が、通りを埋め尽くしている。まるでお祭り騒ぎだ。誰もが興奮し、武器やら旗やらを手に取り、何やら大声で喚き散らしていた。暴徒と化した人々は、押し合いへし合い、病院の内部にまで侵入り込もうとしていた。
『親父デス! 親父デス!』
「何……何なの!?」
『地震デス! 地震デス!』
『雷デス! 雷デス!』
『火事デス! 火事デス!』
ぽぽぽぽぽー……ん、と、次から次に、災害警報アラートのプッシュ通知が飛んでくる。
「こ、こんな……こんなことって……!?」
僕はあんぐりと口を開け、その場に立ち尽くした。地震が。雷が。火事が。親父が。古今東西の天変地異が、一片にやってきたみたいな大騒ぎだった。すると、立ち込めた黒雲が風で渦巻き、その向こうから、直径数十メートルはあろうかという巨大な扉が姿を現した。僕はその扉の形に見覚えがあった。
『分岐点』だ。
巨大な『分岐点』は街中に轟く鈍い音を軋ませ……まるで地獄の門が開くかのように……ゆっくりと観音開きとなって、やがて扉の奥から、巨大な眼が現れた。
龍だった。
僕は息を呑んだ。扉から顔を出した真っ黒な鱗の龍が、ギョロリと巨大な眼で地上を見下ろしていた。その巨きさは、寒いおじさんの氷河期龍とは比べものにならない。顔だけで空が埋まってしまいそうだった。
僕らが別世界の『分岐点』に迷い込むばかりではない。あちらの方から、こっちの世界に扉が開くこともあるのだと、その時になって僕は知らされた。
『龍デス! 龍デス!』
ドラゴン警戒アラートが律儀にも僕に今際の際を教えてくれた。この状況でそんな警告をされても対処のしようがない。僕は呆気に取られ、動けないままだった。
無力。圧倒的無力。異世界の『災厄』はやがて、長い胴体を半分ほど扉から出して、欠伸でもするかのように大口を開けた。そこから溶岩のような、灼熱の赫い濁流が滝のように街に降り注ぎ、
「三畳君……危ない!」
「え?」
視界が、世界が真っ赤に燃え上がる。白峰部長の悲鳴が上がるのと、ほぼ同時に、僕の胸から突如熱いものが込み上げ始めた。妙な違和感を感じ、ゆっくり下に視線をやると、ちょうど僕の胸の真ん中から刃物の切先のようなものが突き出ていた。
「あ……え?」
僕は驚いて目を丸くした。振り返ると、いつの間にか病室に入ってきた看護師が……何故か白衣ではなく、黒衣を着ていた……僕の背後に忍び寄り、ピッタリと張り付くようにそこに立っていた。
刺された。
心臓を、せっかく抜いてもらった匕首で再び串刺しにされる。どんな病院だよ……僕の愚痴はあいにく誰にも届かなかった。言葉が上手く出てこなかった。ごぽり、と口から吐血しながら、僕は崖から突き落とされるみたいに、一気に意識を失った……。




