第十八話 本物の偽物
「……俺、一度だけ三畳君の『災厄』と喋ったことがあるんですよ」
暗い廊下を進む中。沈黙を埋めるように、二宮がボソリと部活動顧問に言葉を投げかけた。メルキアデスは、目的地が分かっているのだろう、複雑に交差する廊下をスタスタと歩いて行く。タバコに火を付けながら、彼が目を輝かせて振り返った。
「へぇ、ホントかい? それは面白いな。基本的に、『災厄』そのものに意思は無いはずなんだ。元はと言えば自然現象なんだからね。二宮クンのような『超人類』……最初から人格が在るものは別にしても……三畳クン、その時何か言ってた?」
「何というか……『次の時代を作るのはこの俺だ』って」
「フゥン」
メルキアデスが興味深そうに顎を撫でた。
「『次の時代』……か。ウン、面白い。三畳クンの潜在意識が喋っているのかな? もしかしたら、二宮君が『超人類』だったから聞き取れた声なのかも知れないね。『次の時代』……何だろう? あるいは、宇宙からのメッセージなのかも……博士が聞いたら、なんて言うだろう?」
1人ブツブツと呟きながら、メルキアデスは突き当たりの部屋の鍵を当たり前のように開け、入って行った。2人と1匹が後に続く。明かりが付くと、そこはゴミ置き場……もとい、様々な工具や器具がざっくばらんに並んだ、大きな工房のようなところだった。
積み重ねられた段ボール、
崩れた書類の山、
床に転がっている、埃の被ったパソコン……お世辞にも片付いているとは言えない。結構広い。学校のプールくらいはあるだろうか。二宮たちは顔を見合わせた。
「先生、此処は……」
「此処はボクの研究室。いや、研究室だった……というべきかな」
メルキアデスはほほ笑み、手前の段ボールからひっくり返し始めた。元々足の踏み場もなかった部屋が、さらに散らかっていく。
「えぇと、何処にしまったかなぁ、あれ」
「先生……さっきの話ですけど」
「嗚呼」
ポルターガイストの初心者のような動きを繰り返しながら、メルキアデスが汗を拭った。室内は思ったより暑い……というよりこのフロア全体が、一定の温度に保たれているようだった。
「そうだ。白亜クンは、この観測所のトップ……白峰博士の娘なんだよ」
「…………」
「ボクが子供の頃、こんなニュースがあった……曰く、《後100年で世界は崩壊し、人類は滅亡する》」
言いながら、化学教師がはたと手を止めた。
「嗚呼すまない、気を悪くしないでくれ……この世界ってのは、ボクらの世界ってことだ。君たちから見て、ボクらが元いた並行世界。その世界の危機を予見したのが、何を隠そう、白峰乃亜博士なんだよ」
向日葵が散らかった本棚に目をやると、一冊の古びたアルバムに目が止まった。手に取っただけで、たちまち埃が宙を舞う。アルバムを捲ると、在りし日のメルキアデス……黒衣を身に纏った若き研究者……の写真が飛び出してきた。文字通り飛び出してきたのだ。二次元ではなく(原理は謎だが)ホログラムみたいな立体写真だった。小さなメルキアデスの残像に頭突きされ、向日葵は危うくアルバムを落としそうになった。
その中の一枚に、壇上で白峰博士と握手している写真もあった。若い。どうやらメルキアデスと白峰家は大分懇意にしていたらしい。メルキアデスの写真の他に、白峰家の家族写真もたくさんあった。向日葵は乃亜博士とやらを見つめた。なるほど目元が、娘と似ている……気がする。
「博士の予見通り、人類は滅亡した……きっかけは、とある『災厄』の訪れだった。最初は『地球温暖化』だった」
メルキアデスに見つめられ、向日葵は驚いて顔を上げた。彼女の手元では、幼い日の白峰白亜がセピア色の父親にだっこされ、幸せそうな笑顔を見せていた。
「『温暖化』が呼び起こす『災厄』は様々だが……北極圏の氷が年々減っている写真を見たことがあるかい?」
※余談。人間の皮膚は35℃を超えると身体の内側……深部体温が上昇し、脳や内臓が37℃以上になると、大体4〜6時間で死に至る。ただの風邪も中々侮れないのだ。体温計は42℃までしかない。42℃を超えるとタンパク質が破壊され、死ぬからである。
仮に温暖化が7℃進んだ場合、人類は熱帯に住めなくなり、さらに12℃まで上がると、現在の居住区のほとんど全てで、人は生命活動を維持出来なくなる。
約5500年前、実際にこの地球でも暁新生-始新世温暖化極大(PETM)が起きた。この時は世界平均で5〜8℃の温度上昇が約2万年続いた。
異常気象、
炭素濃度上昇、
哺乳類の小型化、
海洋生物の大量絶滅……などを招いたこの過去の時代は、研究者の間で「現代の地球の未来の姿である」……とも言われている。
ちなみに日本ではここ100年で年間平均気温が約1℃上昇、東京に限って言えば、ヒートアイランド現象も相まって約3℃上昇した。
「……それから2050年には、世界人口が100億人を突破し、そのうち約10億人が深刻な水不足に陥った。平均気温が4℃上がれば、生物の40%は絶滅の危機に瀕する。それで……人類は食べ物と水を奪い合い、戦争を始めた。あれはまさに、最高に世紀末だったね」
※大量絶滅のデッドラインは「6℃の温暖化」だと言われている。6℃を超えると、アマゾンの熱帯雨林が消失する可能性が「非常に高まる」。
「だが、最悪の事態を前に乃亜博士は対策を練っていた。それがこの観測所の前身……『方舟計画』だ。博士は密かに優秀な人物や動植物の番を集め、滅亡直前、時空を超え、辛くも『並行世界』へと逃げおおせた」
「……何処かで聞いたような話ですね」
「しかし、それでハッピーエンド……にはならなかった。逃げてきた『並行世界』にも、また新たな『災厄』が待ち受けていたんだ。俺たちの戦いはまだまだこれからだ! だった」
隕石衝突、パンデミック、人口爆発、少子化、ゲノム編集、サイバー戦争、食糧危機、水不足、環境破壊、砂漠化、巨大地震、火山噴火、海面上昇、海退、海底無酸素化、氷河期、磁場逆転、太陽フレア、ビッグクランチ、ビッグリップ、ブラックホール、陽子崩壊、真空崩壊……。
それからは『災厄』との戦いの連続だったという。安定した『世界』の一つに居住区を構えても、隣の『並行世界』から『災厄』がやってくる。いつしか『方舟計画』は、悲劇の生存者から無慈悲な戦闘組織へと変わっていった。
「中には『不老不死』なんてのもあったな。医療が発展し人類の寿命が伸び続けて、何でも薬で治せる時代になって、ついにはドラッグが世界を支配しちゃったんだよ。しかし薬と言うのは本来、毒を薄めたものだからね。依存という副作用もあった。ドラッグに逆らえなくなったその世界の人類は、結局は争いの道を辿り、奪い合い、そして滅んだ」
「…………」
「太陽が巨大化し地球が飲み込まれた世界もあれば、時間が完全に静止した世界もあった。それで……そのうち、白亜クンが命を落としてね」
「え?」
二宮たちは目を丸くした。
「どういうこと?」
「でも、じゃあ、あの部長は……?」
「不慮の事故だった。君たちの知るあの白亜クンは、娘の死を嘆いた博士が、また別の『並行世界』から連れてきた彼女の同位体なんだよ」
「ど、同位体……!?」
向日葵が息を呑んだ。メルキアデスは動きを止め、静かに肩を落とした。
「若くして奥さんを亡くされた乃亜博士は、一人娘の白峰クンを溺愛していた。ボクは、博士の愛情が異常だったとは思えない。だけど、悲劇を招いてしまったことも確かだ」
「『並行秩序』……ボクはそう呼んでいるが……隣り合った世界同士は、どうやら互いに影響を与えているようなんだよ。それを無理やり乱すような真似をすれば、時空間が捻じ曲がり、本来あるはずのなかった『分岐点』が生まれる」
「新たな『分岐点』の出現は、また新たな『災厄』を呼び起こす羽目にもなった。こうして人類は……いや『方舟計画』は、永遠に終わらない戦いに身を投じることとなった。俺たちの戦いは、まだまだまだこれからも……だ」
二宮たちはしばらく絶句していた。メルキアデスの段ボールをひっくり返す音だけが、部屋に虚しく響いていた。
「そんな……」
「まさか白峰部長が、2人いたなんて……」
「2人じゃない」
メルキアデスが再び手を止めた。二宮は、その手が微かに震えていることに気がついた。
「2人どころじゃない。それどころか、この観測所内だけでも、1人の『正室』の他に、532人の『側室』が人工冬眠で眠っている」
「オリジナル……? スペア??」
「何を言っているんですか?」
化学教師がメガネの奥の顔を曇らせた。
「博士は……滅び行く並行世界から愛娘を連れ出した。それだけでなく、亡くなられたはずの奥さんもね。見殺しにはできないからと……まるでどっかのゲームキャラクターの『残機』みたいに、博士の家族の同位体が、この観測所内で保存されているんだよ」
「そんな……!」
「それじゃあ……」
「……君たちの知るあの白亜クンの同位体番号は『X - Day /00467』。数年前、ボクがいつも通り仕事が嫌になって、こっそり夜逃げしようとしていた時に、一緒に連れて行って欲しいとお願いされた」
二宮はその場に立ち尽くし、言葉を失っていた。一体部長は、あの白峰部長は、どんな気持ちだったのだろう?
世界が滅ぶからと、突然父親に別の世界に連れ出され、愛されるわけでもなく、まるで予備の部品みたいに扱われ……自分は本物の娘ではないと知った時の部長は? ずらりと並んだ自分の予備を見つけた時の部長は?
ゆっくりと、メルキアデスが振り返り、哀しげな目で生徒たちを見つめた。
「……彼女が一体どんな気持ちなのか、ボクには分からない。ただ……一つだけ言えるのは、あの白峰クンは、父親を憎んでいる。それどころか、それで、人間そのものを嫌いになってしまったんだよ」




