第十七話 破滅の救済
やがて空が白み、明るさを取り戻し始めた。
晴れ渡った空の上から、『大怪獣空中戦』を制した三畳三太がふらふらと落ちてくる。二宮が上空に目を凝らすと、三畳の全身を覆っていた黒い『災厄』……『超新星爆発』が霧散しているのが見えた。どうやら気を失っているようだ。二宮たちは慌てて落下地点に駆け寄った。
「三畳君!」
「三畳君! 大丈夫!?」
三畳が落ちてきた。寸前、二宮が右腕をトランポリンに変え、伸ばし、彼を受け止める。メルキアデスが、向日葵が、寒いおじさんが横たわった三畳の顔を心配そうに覗き込んだ。息はしている。だが、全身にびっしょりと汗を掻き、その顔は青ざめていた。
「気絶してる……まぁ、見て。胸にぽっかり穴が開いてるわ。血が出てる!」
「先生、大丈夫なんですかこれ?」
「やっぱり匕首は不味かったんじゃ……」
「うぅむ。確かに半分はそのせいだが」
「図星かよ」
「恐らくは」
化学教師が唸った。
「先ほどの『ガンマ線バースト』で力を使い果たしたんだろう。あれほどのエネルギー量だ、仕方がない。あまりにも強すぎる力がゆえ、『器』の方が壊れかけている」
「それって……つまり」
「身体の方が持たないってこと?」
「このままでは三畳君は、死ぬかも知れない」
メルキアデスが暗い顔で頷いた。二宮の隣で、向日葵が息を呑んだ。
「君たちのように、『災厄』を何らかの方法で強制発症させた場合、最悪死に至るケースも少なくない。そもそも生身の人間に耐えられるような力じゃないんだ。本来であれば、ジグを使って、『器』に負担がかかり過ぎないよう制御しているのだが……君たちはしばらく、ジグなしで『災厄』を使っていたから」
「どうしましょう……助からないの!?」
「僕の研究室に、別世界から持ち込んだ元素を使った『災厄』専用の鎮静剤があったはずだ。それがあれば……あるいは」
「じゃあ、早く戻りましょう」
「ただし、研究室は奴らのお膝元にある」
「奴ら?」
メルキアデスが頷いた。
「嗚呼。絶滅機関……通称・『ノア計画』だよ」
「ノア計画?」
二宮は三畳のそばに膝をついたまま、ジッとメルキアデスを見つめた。
「教えてください、先生。奴らって……先生って、一体何者なんですか? どうして奴らは、この世界を滅ぼそうとしているんですか?」
「……ま、歩きながら話そう」
メルキアデスがゆっくりと立ち上がった。二宮が三畳を担ぎ、彼らは『分岐点』へと向かった。
「そもそも彼らにしてみれば」
辺りは静かだった。誰もいなくなった氷漬けの世界で、滅亡部の面々が瓦礫のそばをトボトボ歩いている。そのうち、メルキアデスが何となしに話しだした。
「『並行世界』に『災厄』を解き放ち、世界を破滅させることは『救済』なんだ」
「キュウサイ?」
「そう。自分たちの世界を救うために、別の世界を滅ぼす。サクラ君……あのサーフボードの少年も言っていただろう? 自分たちは『世界を救う』って」
「意識の高すぎる環境活動家が、勢い余って犯罪に走るみたいなことですか?」
「歴史を紐解けば、別に珍しいことでもない」
メルキアデスが肩をすくめた。
「人類同士の戦争だってそうだろう? やった方が『解放』と謳う行為は、やられた方からしたら『侵略』になるのさ」
「…………」
「二宮君はたとえば、自分の住んでる家の隣で、こっそり爆弾が作られてたとしたら、どう思う?」
「え……」
二宮はしばらくぽかんと口を開けた。吐く息が白く凍りつく。
「普通に怖いですけど」
「それと同じだよ。隣の世界に、『並行世界』に仮に人類を滅亡させるほどの『災厄』があったら、脅威とみなし排除する気持ちも分かるだろう? もちろん、『災厄』を制御するジグの開発も進んではいるが……残念ながらまだまだ技術が追いついていない。そもそも人間が自然を意のままに操ろうなど、烏滸がましい行為なんだろうね」
「じゃあ」
「つまり、やられる前にやれ。彼らの考えを一言で言うと、こんな感じだね」
「じゃあ、あの人たち……先生は」
メルキアデスが頷いた。
「そう、僕らは元々君たちのいる世界の住人じゃない。別の並行世界から来た」
「道理で……変な名前だと思ったわ!」
「それに変な顔!」
「変な性格!」
「聞かなかったことにしておこう。絶滅機関の目的は、危機となる『災厄』を観測し、必要ならその世界の生物を大量絶滅させること。僕らはそのために派遣されたのさ」
「でも先生は、その組織を抜けた」
「……別に崇高な理念があったわけじゃないよ。単純に仕事が嫌いだったんだ、ボク」
「でも、何も全部滅亡させることないのに」
「私だったら……」
向日葵が少し寂しそうにポツリと呟いた。
「先生の前だから言うわけじゃないけど……別の世界の人間に会ったら、戦うより、仲良くなってみたいわ」
「……君みたいな良い子ばっかりだったら、世界は平和になっただろうにねぇ」
メルキアデスがにっこりと笑い、深くため息を漏らした。
「本当に、陰謀論にハマる奴らって、どうして『敵』を作りたがるんだろう?」
そのうち彼らは『分岐点』へと辿り着いた。『分岐点』は、分かりやすく扉の形をしていた。大きさは4階建てのマンションくらい。今回は結構大きな扉だ。街の真ん中、何もない空間に突如巨大な、謎の扉が出現していた。
二宮は『分岐点』を見上げ、ロダンの『地獄の門』を思い出した。
「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」
……なんて銘文は刻まれてはいないが、「考える人」にも似た、謎の生物の彫刻が異世界への扉の上に鎮座していた。ともすれば、あれは異世界人なのだろうか?
扉を潜ると、元の世界、隕石が衝突する前の日常へと彼らは戻った。人類が生きている。車の騒音に、街の喧騒に、騒がしいことにこれほどホッとしたのは、二宮は初めてだった。
「とにかくまずは、三畳君を病院に……」
メルキアデスが口を開くと、ふと彼らに近づく人影があった。
「部長!」
二宮は顔を上げ、驚いた。白峰白亜だった。帰りを待ち構えていたように現れた白亜が、二宮たちを見渡し、ほほ笑んだ。
「お疲れ様。大変だったわね」
「……部長」二宮が白亜を見つめた。
「貴女は知ってたんですね? 奴らの存在を」
白亜は頷いた。
「ええ。でも、その話はまた後で。まずは三畳君を助けましょう」
それで、白亜が三畳三太を病院に運び、残りの面々は組織の研究室に向かうことになった。
「良いかい。くれぐれも、ボクがその匕首を渡したって言ったらダメだよ」
メルキアデスが白亜に念を押した。
「じゃないと、ボクが警察に逮捕されかねないからね」
「そっちの心配?」
「行こう。奴らの観測所に忍び込むんだ」
観測所には意外とすぐ着いた。と言うより、この世界とは違う時空間にあるようだった。建物の外観は分からない。メルキアデスが『簡易ワープホール』を展開し、直接、建物内の廊下に出口を繋げたからだった。
薄暗い、人気のない廊下で足を忍ばせながら、二宮は小声で囁いた。
「先生」
「ん?」
「白峰部長は……彼女は何者なんですか? もしかして、彼女も……」
「ん……ああ」
先を歩いていたメルキアデスは、振り返ることなく、前を向いたままボソリと呟いた。
「これは、ボクが教えたなんてことは、彼女には内緒にしておいてくれよ」
「…………」
「しかし君たちがここまで深く入り込んだ以上、いずれは知ることになるだろう。彼女は……白峰白亜は、この絶滅機関のボスの娘なのさ。白峰クンのお父さんが、この組織を立ち上げたんだ」
「え……」
「いや、娘だった……という方が正しいかな」
そう言うと、メルキアデスは胸ポケットから「しんせい」を一本取り出し、口に咥えた。