第十五話 怠惰の勤勉
「ムゥ。いまだに正確な位置に落とせないのが難点だな」
東の空が昼間のように明るく輝く。衝突した方角を眺めながら、空飛ぶ黒衣の男性が顎を撫でた。その眼下には。荒れ狂う海の中で、押し寄せる衝撃波を右腕一本で受け切った二宮先輩が、操縦席で苦痛の表情を浮かべた。
「変身している間、俺は動けない……何とか奴らを止めるんだ」
潜水艦の中で、僕と向日葵ちゃんが顔を合わせ頷いた。天井の蓋を開けると、黒衣の男たちが佇んでいた。僕は生唾を飲み込んだ。どうして人が空に浮かんでいるのかとか、そんなことを疑問に思っている暇はない。二宮先輩の時と同じだ。襲撃を受けたのだ。新たな『災厄』によって。
「よぉ雑魚ども、知ってるか?」
暗い空の下。黒衣の二人組のうち、若い方、まだ僕らと歳が変わらないくらいの少年が話しかけてきた。フードの下、日に焼けた肌が光を反射し小麦色に輝いている。
「『分岐点』に迷い込んで、元の世界に戻れなくなるまで、事象によって個体差はあるが、大体24時間だ」
「24時間?」
黒衣の少年が僕らを見下ろし、ニヤニヤ嗤った。
「24時間を超えると、大抵の『分岐点』は消滅する。つまり、お前らはもう二度と元の世界には戻れないってワケ」
「それって……」
「つまり、アンタらを今ここで倒せばいいってことでしょ!?」
隣で向日葵ちゃんが叫んだ。浅黒い肌の少年が、とうとう吹き出した。
「そうそう……出来るもんならやってみろォ!」
すると、今度は中年男性の方が、再び地球儀をくるくると回し始めた。もちろん遊んでるわけじゃないだろう。黒煙に包まれた空が、再び妖しく渦巻いた。
「来る……!」
僕らは身構えた。
「『ショック・ステージ』」
黒衣の中年男性……確かラプトンと呼ばれていた……が、赤く光り輝く空を見上げ、興奮気味に囁いた。
「良いぞ! 大当たりだ……『S6』だ!」
途端に空が赤く染まった。僕は一瞬、目が焼け焦げたかと思った。視界のほぼ全域を覆うような、無数の火の玉が、突如黒雲の向こうから姿を現した。
※余談だが、約6600万年前に恐竜を絶滅させた小惑星は、現在ユカタン半島沖のメキシコ湾に巨大なクレーターを残している。クレーターの痕跡から察するに、その直径は約10キロ、軽く山ほどの大きさはあっただろうと推測されている。
とあるイギリスの研究チームは、その衝撃は少なくともマグニチュード10.1はあり、衝突地点1000km圏内にいた生物は即死だった……と報告した。1000kmと言うと、大体東京から種子島くらい、あるいは北海道の美深町くらいである。
また衝突から10秒以内に、激しい熱放射と高音波が世界を駆け巡った。地球は火の海に包まれると同時に、多数の生物が全身に大火傷を負った。
そして、星を覆う大火災の後にやってくるのが、大洪水である。
「『X-RAIN』」
そう言うと、今度はサクラテス少年がサングラスを掛け、空中で黒いサーフボードに飛び乗った。すると、遠く向こうから地鳴りが響いてきた。
※マグニチュード10.1の大地震とは、たとえて言うなら「過去160年間に世界中で起きた地震が同時に発生するようなもの」だと地震学者は言う。それによって、大津波が地上に押し寄せてくる。
その津波の高さは、研究によって300mとも、1km越えとも、中には4.5kmとも言われている。一時的とはいえ富士山を越える高さになった大津波が、48時間以内に7つの海を制覇し、世界中を飲み込んだのである。その時の威力は、2004年23万人の死者を出したスマトラ島沖地震・インド洋大津波の約3万倍と推定された。
衝突から約8分後。
地殻からマグマ等が噴出し、地表は数百mから、大きいところで数千mの岩屑に埋もれ、世界中がオーブンの中で熱されているようになった。さらに45分後、時速645kmの暴風がその岩屑含め全てを薙ぎ倒して行く。ちなみに観測史上世界最大の台風・2013年フィリピンの「HAIYAN」が895ヘクトパスカル、その時速は約400km超である。
その頃には世界各地で、巻き上げられた岩が流星群のように降り注いでいたことだろう。この時の岩屑は通常の隕石とは違い、一度低高度から大気圏に再突入し、ゆっくりとした速度で落ちてくるため、地上からは赤く輝いて見えた……と学者は語る。
それから続いた長期間に及ぶ大気汚染、酸性雨、大規模火災によるオゾン層の破壊……等によって、ついに恐竜は絶滅した。隕石衝突説、これが現在の主要な恐竜絶滅の仮説である。
ちなみに隕石衝突により、約10兆トンの二酸化炭素と、1000億トンの一酸化炭素、そして1000億トンのメタンが一気に放出された。SDGsに励んでいた当時の意識が高い恐竜たちも、さすがにこれには参ったに違いない。
余談終わり。僕の頭上で、赤く輝く無数の火球が、今にも地表に振り注ごうとしていた。隣で向日葵ちゃんが身を乗り出し、
「『地球……温暖化』!」
そう叫ぶと、大気が高熱を放ち、地球の温度を上げた。
「ム……!」
「何だ……隕石が」
異変の起きた空を見上げ、ラプトンたちが眉をひそめた。熱だ。向日葵ちゃんの『災厄』、『地球温暖化』によって大気圏で断熱圧縮された火球の群れが、プラズマ化し地表に降り注ぐ前に燃え尽きていったのだ。
「小癪な……何処でこんな方法を……?」
「ハッハァ! 少しはやるじゃねぇか!」
サクラテスが空飛ぶサーフボードの上で曲芸師みたいに一回転し、牙を剥いた。
「だが……これはどうかな!?」
津波だ。地平線の彼方から、全てを飲み込む巨大な大津波が押し寄せてくる。※水深5000mでは時速800km、ジェット機並みの速度で向かってくる津波も、水深1mでは時速34km程度まで落ちる。とはいえこの波もオリンピック記録並みで、到底人間が逃げ切れる速度ではない。
「『X-RAIN』ッ!」
「パパ!」
「おうッ!」
サクラテスが叫ぶのと、カバンから寒いおじさん……白龍が飛び出してくるのと、ほぼ同時だった。白龍はたちまち巨大化し、荒れ狂う波に向かって絶対零度の冷凍光線を吐いた。
「喰らえッ! 『就職氷河期』ッ!」
その必殺技名は確かに寒い。だが効果は絶大だった。怨念じみた寒波が、みるみるうちに迫り来る津波を凍らせていく。
「ダーハッハッハ! 見よ、この寒さは、大勢の人生を狂わすぜ……!」
「何か、哀しいな」
「ケッ」
彫刻のように固まってしまった津波を一瞥し、サクラテスが面白くなさそうに唾を吐いた。
「いつまでンな大昔のことを引きずってんだよ。ダッセー歳の取り方だな、オッサン」
「んだとォ!? このクソ餓鬼ィッ!」
「それにしても、対応が早すぎる」
燃え尽きた隕石。凍らされた津波。ラプトンが首をかしげ目を細めた。
「……誰か、助言者がいるな? 私たちの『災厄』について」
「……!」
「フン。だから何だってんだよ!?」
凍ってしまった津波の上で、サクラテスが再び踊り始める。その動きに合わせ、ゆっくり、ゆっくりと、氷が溶け始めた。
「何ィ……!?」
「ハハハハハ! どうした!? また凍らせないのか? それとも……」
黒衣の少年が意地悪そうに唇の端を吊り上げた。
「連発できない。そうだろう?」
「う……!」
「ヤバ……」
見抜かれていた。僕らはたじろいだ。彼の言う通りだった。『地球温暖化』や『氷河期』なんて天変地異、容易く人間に操れるものではない。僕らの中で唯一『災厄』を操っていると言えるのは、二宮先輩くらいだった。その先輩も、今は足場作りのため身動きが取れない。
「パパ! 早く!」
「待て待て待て! チクショウ、思い出せ俺。あの時受けた痛みを、恨みを……!」
寒いおじさんが気張ったけれど、しかし何も起こらない。白龍が大口を開けて途方に暮れた。
「どうして……恨みが、弱くなっちまったのかなぁ? 俺……」
「ハハハハハ! 『ジグ』を持っていないお前らは、暴走させることは出来てもコントロールが出来ねえ! だからお前らは、雑魚だッつってんだよ!」
「もう! 何なのよぉ、その『ジグ』って!?」
「これで終いだ! 滅びろ人類!」
サクラテスが叫んだ。氷が水に変わり、溶けた悪意が滝のように降り注ぎ始める。僕に至っては、いまだに『災厄化』することさえ出来ていなかった。万事休す。僕らは目を瞑った。
……しかし、いつまで経っても大津波は押し寄せて来なかった。僕が恐る恐る目を開けると、潜水艦の隣に、いつの間にか見知った顔が立っていた。
「『ジグ』って言うのは」
「あ……!」
「『神具』……あるいは『人具』、『慈具』、『治具』とも書かれ、いわゆる『災厄』を、人類にとって有益なものに変換・制御するために発明されたんだ」
「先生……!?」
「メルキアデス先生!」
僕らは驚いた。悪名高き滅亡部の顧問。メルキアデス先生が、白衣をはためかせ、潜水艦の隣で……宙に浮いていた。いや、確かに学校では常に浮いていた先生だったが、そうじゃなくて、本当に、物理的に宙に浮いていたのだ。先生が僕らに向かってにっこりと笑いかけた。
「遅れてすまない。君たちの『ジグ』を作るのに、少し手間取ってね」
「え……!?」
先生の肩には、何やら真っ黒なポリ袋が担がれていた。僕らは顔を見合わせた。
「メルキアデス!」
すると、上空から地球儀をくるくるしていたラプトンがこちらを睨みつけ、叫んだ。瑪瑠奇先生が空飛ぶ知り合いに向かって、ひらひらと手のひらを振った。
「久しぶり〜。何世界ぶりかな?」
「メルキアデス。やはり、貴様だったか……!」
「ウソ? 本物……?」
動揺は、隣のサクラテス少年にも広がっていた。黒衣の少年が思わず動きを止めてこちらを覗き込んだ。
「メルキアデス先生!?」
「やぁ。サクラ君か。見ない間に、ずいぶん大きくなったねぇ」
「作ったの? ジグを?」
サクラテスが目を丸くして驚いた。
「いくら先生が天才とはいえ、生成に数世紀はかかると云われるあの『ジグ』を、この短時間で……!?」
メルキアデス先生が肩をすくめた。僕らは先生と、それから黒衣の襲撃者を何度も見比べた。白衣と黒衣。どうやら先生とあの2人は顔見知りのようだ。
「教えてください、先生……!」
今や僕らは後回しだった。久しぶりの再会に、サクラテス少年が、先ほどの威勢はどこへやら、今にも泣き出しそうな顔で叫んだ。
「どうして先生ともあろうものが僕らを……組織を裏切ったりしたんですか!? 一緒に世界を救おうって、約束したのに!」
「……君も、知ってるだろ?」
メルキアデス先生もまた少し寂しげな表情で、長い髪を掻き上げて、呟いた。
「だって、ボク……」
「……!?」
「働きたく、なかったから……!」
……そんなセリフを、キメ顔で言われても。足を滑らせた僕らは次々に氷の上に堕ちて行った。だけど、1人の働きたくない怠け者によって、少なくとも僕らの世界に、一縷の望みがもたらされたのだった。




