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第十三話 氷河期 vs 地球温暖化③

 白い龍……ゲームや漫画でしか見たことのない幻想生物と、間近で出会えた感動も、ほんの束の間だった。氷の(つぶて)が、蛇口を捻った水道のように四方から降り注ぎ、僕らは悲鳴を上げた。白龍が大きな翼を羽ばたかせる。それだけで、かまくらは崩れ、立ってられないほどの風圧で僕らは一気に吹き飛ばされた。


「ゲホ、ゲホ……ガハッ!」


 白い街。空は(とばり)が下りたみたいに暗く黒に染まっている。口の中に雪崩れ込んできた大量の雪を吐き出し、僕は寒さと恐怖に体を震わせた。


「どうしよう!? 被害者のおじさんが……加害者になっちゃった!」

「冗談じゃないよ! 被害者って免罪符じゃないだろ!」


 叫びながら、二宮先輩が右腕を咄嗟に大きな傘に変形させる。先輩は傘を盾のように構えて、飛んでくる(ひょう)を何とか受け流した。


「うぉッ……!?」

『ダーハッハッハッハ!』


 今や猛吹雪で、1m先すら(おぼろ)げだった。白く染まった視界の向こうから、おじさんの嗤い声だけが聞こえてきた。


『いい気味だ……思い知ったか! 俺が、俺たち氷河期世代が、このまま泣き寝入りすると思ったら大間違いだぞ! 俺が受けた痛みッ! (うら)(つら)(ねた)(そね)(ひが)みッ! とくと味わえッ!』

「悪意だ……」


 折れそうな右腕傘を左腕で支えながら、二宮先輩が脂汗を滲ませた。


「あのオッサン、自分の悪意に囚われているんだ……俺の時みたいに、どうにかしてそれを弱められれば……」

「で、でもどうやって……」

 先輩がチラと僕の方を見た。


「三畳君、キミだ」

「え?」

「キミが何かしたんだ、あの時は。同じことを今再現できれば」

「で、でも、そんなこと言ったって!」

 僕は慌てた。

「僕本当に何も覚えて無いんですよ!?」


 雹の嵐が強くなってきた。風圧に、雪圧に押され、ズブズブと体が雪の中に埋もれて行く。


『フン……俺様の氷にそれだけ耐えられるってことは……テメーもどうやら【災厄化】してるみてえだなァ』

「う、うわっ!?」


 不意に上から声が降ってきた。いつの間にか龍の巨大な顔が上から僕らを見下ろしていた。間近で見ると本当に化け物だ。だらりと垂れた長い髭がゆらゆらと、鞭みたいに僕らの脇を掠めて行った。


「さ、災厄化……?」

『だが……クク。随分と弱っちい。ったく、これだから若い世代は……』

「な……何かムカつく言い方だなぁ」

 先輩が顔を歪ませた。

「若いとか世代とか関係あるのそれ!?」

『くたばりやがれぇえええッ!』


 龍が大口を開け、絶対零度の破壊光線を吐き出した。僕はというと、案山子のように突っ立ったまま、その様子を引き攣った顔で見上げていた。恥ずかしい話、他にどうすることも出来なかった。パリパリ……と空気が、吐き出した息が凍り付き、頭上に出来た氷の柱が迫ってくる。

「三畳君、危ない!」

 遠くの方で二宮先輩の叫び声がした。と同時に、僕の体は後方に投げ出され、宙を舞った。


 先輩が、右腕の傘を解除して僕をぶん投げたのだ。僕が埋もれた雪から顔を上げた時には、先輩は冷凍ビームをもろに食らい、氷の彫刻と化して固まっていた。


「に、二宮先輩……ッ!?」

『ダハハハハ!』


 白龍が再び大きく息を吸い込む。僕の目は、氷漬けになった先輩に釘付けになっていた。


『あばよ餓鬼共! そこで一億年先まで凍ってな!』


 ありったけの冷気を、悪意を全身に浴び、僕は心臓が、ドンドンと力強く胸を叩く音を聞いていた……すると。

 

『な……何だァ!?』

「う……うぅぅぅうっ!?」


 ……僕は氷の中で呻き声を上げた。胸が痛い。いつの間にか、胸の中心にぽっかりと穴が空いていた。その穴から、黒い濁流が迸り、僕の全身を包んで行く。これはまるで、あの日見た夢……皮膚が硬化し、鱗のようなものが肌を覆った。


『何が起きてる……何世代だ!?』

「うぅぅぅうっ!?」


 意識が遠のきそうになる苦しみの中、両手両足が、自分の意思とは無関係に、勝手に動き始めた。氷の中を、(もが)いている……!


『どうして動けるんだ!? 絶対零度だぞ!? マイナス273℃の中を……テメー、本当にこの世のモンか!?』


 大きな爪の生えた黒い手足が、僕を包んでいた氷塊を無理やり砕いて、内側から押し開いた。卵から孵った恐竜みたいに、地面にどさりと体を投げ出し、僕は(……本当にこれは、僕なのか?)荒い息を吐き出していた。既に顔の半分は黒い濁流に飲み込まれている。汗が止まらない。寒いのに、暑い。今にも意識を失う寸前だった。


『ハァーッ、はぁー……っ!」

『フン……だが』

 

 龍が気を取り直して、再び大口を開け、冷却光線を吐き出した。僕は横たわったまま、避ける気力もなかった。またしても氷漬けにされる。すると、凍らされた部分が、僕を包んでいた黒が少し引っ込んだような気がした。


『効いてない訳じゃなさそうだな……どうやらテメーも、胸の奥にドス黒いモン抱えてるみたいだが』

「う……!」

『まだまだヒヨッコだ。自分でコントロールも出来てねえ。悪ぃが本格的に【災厄化】する前に、此処で始末させてもらうぜ……』

「うぅ……!」


 大仏のように大きな、巨龍の顔がすぐ目の前にあった。寒い。暑い。手足はさっきより入念に凍らされ、ゆるゆると黒い濁流が引っ込んでいく。背中から、全身から汗がドッと噴き出してきた。暑い……暑い?


「ちょっとーっ!」


 遠くから、聞き慣れない声が聞こえてきた。若い少女の声だ。

「何してんのよっ!? こんなところで!」

『ひ、向日葵……!』

 声がだんだん近づいてきて、白龍がたじろいだ。

  

 一体何が起きてるのか、僕にはさっぱり分からなかった。向日葵? この声の主の名前だろうか? 名前を知ってるってことは、もしかしてこのおじさんと知り合いなのか……首が動かせないので顔が確認できない。だけど、少女が近づくに連れ、ゆっくりと氷が溶け出していた。暑い。まるで太陽が近づいて来ているみたいに、僕は全身に熱を感じた。


「まーた酔っ払ってるのね! パパ!」

「パパ……!?」


 今や周辺の氷雪は完全に溶け、足元に大きな水溜まりが出来上がっていた。ようやく動けるようになった体で、僕はよろよろと声の方を振り返った。巨大な龍の胸元で、小さな少女が背伸びをして怒っている。赤みがかった茶髪の、ツインテールのその少女は、この極寒の大地で何故かスクール水着を着ていた。


「あの子は……!」


 同じく氷漬けから解放された二宮先輩が、僕の方に駆け寄ってきた。思い出した。今朝、通学の時に出会った不思議なあの子だ。


「お酒はお医者さんからダメって言われてるでしょ! そんなだからママに愛想尽かされちゃうのよ!?」 

『ま、待て向日葵……ちょうど今、パパは世界を滅亡させてるところなんだ……』

「バカ言ってないで、早く帰るよ!」

「何なんだ……」


 少女が龍のお髭を引っ張って、連れて行こうとする。もちろん巨大な龍はピクリとも動かないが、驚いたことに、抵抗しようともしない。さっきまでの威勢は何処へやら、急に縮こまってしまったおじさんが、哀しそうに眉を八の字にした。


『向日葵……パパァな、同じ世代を生きた報われない同志達のために、何とかこの待遇を改善しようと日々闘って……』

「改善って、むしろ改悪してるじゃない。破壊してるじゃない。良いから早く家に帰ってきて。パパが家でいつもの寒い親父ギャグを言ってないと、私、暑くてしょうがないの」

「そ……そんなこと言うなよぉ。そんなに寒くないだろ……なぁ?」

「寒いわよ! もっと自分の寒さを自覚してよパパは!」

「もしかしてあの子、あのおじさんの娘さん?」


 僕らは顔を見合わせた。


「あの子の周りだけ何か暑くないか?」

「うん。2人がいると、ちょうど良い温度になってきた」

「あら……あなた達」


 少女がこちらに気がついて近づいてきた。


「こんなとこで何してるの? 春闘?」

「違うけど……」

「もしかして君、あの龍と知り合いかい?」

 先輩がそう指摘すると、少女は慌てて顔の前で手を合わせた。


「あー! ごめんなさい! 私のパパが、また寒いこと言ったんでしょう?」

「パパだって?」

「寒くないって……」


 おじさんが哀しそうに呟いた。お髭を引っ張っているうちに、氷の白龍は寒いおじさんに戻ってしまった。僕らは再び顔を見合わせた。2人は親子だったのだ。それにしても、一瞬死の覚悟すら感じさせたあの猛龍に、まさかこんな弱点があったとは。


「ごめんなさいね。このお詫びはいつか必ずするから……とにかく今は、早く元の世界に戻りましょう」

「元の世界……って」

「もしかして、君も?」

「ええ、そうよ」


 少女が人懐っこい瞳で僕らを見回して、太陽のように眩しい笑顔を弾けさせた。


「私もパパも、『災厄』なの。私のは『地球温暖化』」


 蒼井向日葵。奇しくも彼女は同じ高校の生徒だった。



「しかし、お前……」


 娘が向こうで着替えている間、寒いおじさんが僕の方をジロジロ見ながら小首を傾げた。


「どうして氷の中で動けたんだ? 生き物としておかしいだろ?」

「そんなこと僕に言われても……」

「そうですね……とは言え」


 二宮先輩が僕に代わって答えた。


「たとえばクマムシは絶対零度に近い環境でも生存できますし……何なら宇宙の気温は日陰だとマイナス270℃はあると言われている。僕は、彼が宿した『災厄』とやらは、地球産ではなく宇宙からの産物のような気がしますね」

「宇宙から……」

「ちなみに、この世界で最も低い気温は絶対零度……マイナス273℃ですが……宇宙の気温はそれよりも2〜3℃だけ高いんですよ」

「は?」

「それは真空と言われている宇宙にもわずかながら原子や分子の熱エネルギーが存在しているからで……たとえば宇宙で初めて誕生した光、これを『宇宙マイクロ波背景放射』と言うんですが、このCMBの温度が、マイナス270℃なんですよね」

「話が良く見えないが……」


 僕とおじさんがちんぷんかんぷんになる中、二宮先輩だけが目を輝かせた。


「散々酷い目に遭って来たからこそ、世の中をもっと良くしたいと一番願っているのも、おじさんの世代なんじゃないですか?」

「…………」

「宇宙最古の光が……この世で最も遠い場所からやって来た光が、今もなお、この宇宙をほんの少しだけ温めている」

「…………」

「だからおじさんも……上手くは言えませんが……99%の暗黒に囚われるよりは、わずかでも自分を温めてくれる光があるなら、そっちを大切にしたらどうですか?」

「……フン。ガキが、一丁前に大人に説教してんじゃねえぞ」

「何の話?」


 ちょうど向日葵ちゃんが着替えて戻ってきた。


 観測してしまえばたったの2〜3℃……だけどたったそれだけで……もしかしたら世界が変わるかも知れない。僕は温度差のある親子を眺めながら、さっき部室で聞いた白峰部長の話を思い出していた。



「……最も人類はすでに、絶対零度以下の、さらに冷たい温度を人工的に創り出しているがね」


 そこから少し離れた上空で。


 黒衣を着た2人の男が、三畳たちの様子を眺めながら静かに浮遊していた。二人組の、背の高い方が、低い声で隣に話しかけた。歳は30から40くらいだろうか。


「神がこの世界を創ったと云うのなら……人類の叡智はもはや神を超越している。どう思う? サクラテス、あの少年達を」

「はっ。あんなの雑魚だよ雑魚。力も(ロク)に使えてない。ただ暴走してるだけじゃん」


 サクラテスと呼ばれた小さい方の男が、ニヤニヤと顔を邪悪に歪ませた。こちらはまだ少年のようだ。


「ふむ。だが、放っておけば世界が滅びる……」

「そうだな。んじゃま」


 空飛ぶ少年が目を輝かせた。


「今のうちに一網打尽にしといて、いっちょ世界を救おうぜ!」

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