第十二話 氷河期 vs 地球温暖化②
「わっ……!?」
外に出ると、たちまち刺すような冷気が肌にまとわりついて来た。寒い、と言うより最早痛い。手元のスマートフォンで確認すると、現在の気温はマイナス20℃を指していた。どう考えても異常だ。僕らは足早に校庭を進んだ。
校門を出た。幸い雪は止んでいた。それでも振り返ると、コンクリートの学び舎は、白い巨塔と化している。360°真っ白に染まった視界に、僕は立ち止まり、思わず見惚れてしまった。いつもの見慣れた景色が、まるで別世界に迷い込んだようだった。
「捕まって!」
二宮先輩がそう叫ぶと、右腕を小型のプロペラに変形させた。僕が先輩の腰に捕まると、そのままゆっくりと先輩の体が浮き上がり、やがて僕らは空を飛び始めた。なんて便利な。前より力が弱まったとは言うものの、二宮先輩の『超人類』は俄然健在である。
結局、白峰部長には内緒で出てきた。部長に知られたら、この豪雪を止めるどころか、むしろ真逆の行動を取りかねない。彼女なら仮に地球が全球凍結状態になっても、喜んで受け入れるだろう。終末論者にこの世界の命運を握らせるわけにはいかない。僕と二宮先輩で何とかするしかなかった。
「うわぁ……!」
「すごいな……」
上空から見る街並みは、さらに異世界だった。見渡す限り、雪、雪、雪。建物が凸凹していない。屋根の上にまで雪が降り積もっているのだ。地平線の彼方まで、真っ白な平野が出来上がっていた。もちろん人の影は見当たらない。
そして、音。いつもなら、この時間車やら何やらで騒がしい街並みも、今はただただシン……と静まり返っている。こんな状況が、ちょっぴり幻想的だ……と思ってしまう僕は、やっぱり不謹慎だろうか? 天と地との境目も曖昧で、上下左右を見失い、ともすれば雪の中で溺れてしまいそうだった。
「こんなの、一体何処を探せば……」
「見ろ! あれ!」
先輩が叫び、僕は雪景色の中を必死に目を凝らした。遠く向こうに、豆粒が……何か動いているものが見える。あれは……ゾウ?
「マンモスだ!」
茶色い、けむくじゃらの生き物の口元には、くるりとカールした大きな牙が生えていた。鼻が長い。子供の頃、図鑑で見たことがある。マンモス……絶滅したはずの生き物が、雪の上を悠々と闊歩していた。いつか見た夢を思い出し、僕はその既視感に軽くめまいを覚えた。
さらにはサーベルタイガー、
サイにも似たアルシノイテリウム、
立派な角を生やしたシカ科のメガロケロス……など、氷河期に生きていた絶滅種たちが次々と姿を現した。それだけではない。向こうでは、どう見ても雪男としか思えない二足歩行の巨人が、何度も何度も、力強く自分の胸を叩いていた。
「やっぱり……UMAは実在したんだ!」
二宮先輩が顔を赤らめて興奮気味に叫んだ。
「すごいぞ! 俺たち今、本当に氷河期にいるんだよ!」
「でも、おかしいですよ! 明らかに僕ら、間違った世界線に迷い込んじゃってます!」
「何とか1匹だけでも、連れて帰れないかなあ……」
「それよりまず『分岐点』を探さないと。僕らも帰れなくなっちゃいますよ」
先輩は近づいて観察したげだったが、何とか踏みとどまった。少し悔しそうな顔をして、腕を組む。
「何かきっかけがあったはずなんだ。地球が氷河期になってしまうような、『分岐点』に差し掛かった日常の些細な異変、兆しみたいなものが」
「……もしかして、あの『南極の遭難事故』ですか?」
「そう言えば……南極に行ったら、何か分かるかな?」
「でも……此処から南極なんて、一体どれほどの距離があるんでしょう?」
少なくとも自転車や地下鉄で行けないことだけは確かだ。風が強くなり、再び雪が降り始めた。こうなるともう、目も開けていられない。寒さが骨の髄まで浸食してきて、脳みそが冷凍庫の中に入れられてるみたいになった。白に囲まれた世界で、僕らが途方に暮れていると、ふと何処かから人の嗤い声が響いてきた。
「行ってみよう」
僕らは顔を見合わせ、声のする方へと急いで飛んで行った。どの道このまま此処にいては、凍え死にそうだった。声の側まで近づくと、橙色をした仄かな灯りが雪の上に浮かび上がって見えた。上からの角度では見えなかったが、かまくらが作られていたのだ。嗤い声はそのかまくらの中から聞こえてきた。
「ダーッハッハッハッハァ! 凍え凍え、全部凍っちまえ! こんなクソみたいな世界、さっさと滅んぢまえば良いんだ。最ッ高にcoolだぜぇ〜ッ!」
こっそり中を覗くと、見たこともない、お父さんと同い年くらいのおじさんがいた。他に人は見当たらない。藍色の半纏を何枚も着込んだおじさんは、たった1人、何とも美味そうにお猪口を啜りながら、ぽっこりと出たお腹をポリポリと指で引っ掻いた。
中央に暖かそうなストーブがある。何とも怪しげなかまくらだったが、僕らは熱に引かれて、止むに止まれず中に転がり込んだ。
「ふぅう!」
「あったけ〜!」
「む? 何だァテメーらは……?」
おじさんがギョロリとした目でこちらを睨んだ。唇の端から日本酒を溢しながら、おじさんが喚いた。
「勝手に人様のかまくらに上がり込んでんじゃねえ。全く非常識な奴らだ。何世代だ?」
「おじさん、誰?」
「俺か? 俺ァな……『被害者』だよ」
「被害者?」
言いながら、おじさんは顔を真っ赤にして酒を煽った。どうやら相当酔っ払っているらしい。よく見ると足元に空になった瓶が何本も転がっている。僕らは顔を見合わせた。
「おらァなぁ……俺たち氷河期世代はなぁ、ずっと世間に苛められて来たンだよ」
「氷河期世代?」
「イジメ?」
「おう……思えば受験戦争から、俺たちの世代はババを引かされ続け……ヒック」
「受験戦争? 戦争してまで、進学しないと行けないんですか? 友達を殺してまで?」
「怖……」
「うるせぇ! 餓鬼が……何にも知らないくせに!」
「ひぇっ」
風の音が強くなる。だんだんおじさんの目が座ってきた。
「テメーら若い世代は知らねえだろうがなぁ……俺たちは、就職さえもままならず、面接は100社以上落とされ。ようやく仕事にありついたと思ったら、碌に給料も上がらずこき使われ……おまけに退職金も年金も、俺たちの代で崩壊だ! うぅう」
「おじさん……泣いてるの?」
「俺が悪いのか!? 俺が悪いのか!? 違うねッ! 悪いのは世の中だッ! 世の中が、政府が俺たちに何かしてくれたか? いいや! ずっと社会から蔑ろにされ……我慢を強いられ、見放され続けてきた! 分かるか? 俺たちゃこの歪んだ現代社会が生んだ、最悪の世代、最悪の被害者なんだよ!」
「そうなんだ……」
「それがなんだ!」
最悪の世代がギロリと僕らを睨んだ。
「テメーら若いってだけで、少子化だから、数が少ないからってチヤホヤされやがってよぉ。何が教育無料化だよ!? 何が初任給30万だよ!? 舐めやがって……だったら俺たちの苦労は何だったんだ!?」
「そ……」
そんなこと、僕に言われても。僕らは顔を見合わせた。
「世代って、正直あんまり気にしたことなかったなぁ」
「おじさんたちが苦労したから……若い世代が苦労しないで良いようにって、世の中もだんだん良くなって行ってるんじゃないですか?」
「黙れ小僧!」
おじさんは立ち上がり、ストーブの上で焼いていたスルメを一呑みした。僕らは思わず身構えた。
「オメーらはただ生まれた時代が良かっただけ! 許さねぇ……許せねぇよ。何で俺たちだけ……俺たちは世間から酷い扱いを受けてきた。だから世間に酷いことをしても良いんだ」
「え……」
「滅ぼしてやる。氷河期世代が……この俺様が腐り切った世界を、全ッ部凍らせてやるぜぇえええッ!!」
「三畳君、下がって!」
すると、おじさんの吐く息が、白く凍りついて行く。僕は目を見開いた。僕らの目の前で、おじさんの瞳から黒い濁流のようなものが溢れ出し……やがておじさんは、巨大な、真っ白な龍へと姿を変えた。




