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幕間

 ※二宮二葉のスクラップ記事から抜粋※


case.1 ロズウェル事件①


 ロズウェル事件は世界で最も有名な未確認飛行物体(UFO)に関する事件の一つである。


 1947年7月2日。アメリカ・ニューメキシコ州のロズウェル近郊で、飛行機の墜落と思わしき事件が発生した。現地で技術職に就いていたバーニー・バーネットは急いで現場に駆けつけ、そこで、一生忘れられない光景を目にすることとなる。


 確かに墜落事故には違いなかった。しかし、どう見ても通常の飛行機ではない。機体は直径10mはあろうかと言う円盤状で、ステンレススチールのような金属製で出来ていた。


 さらに乗組員の遺体を発見し、彼は息を飲んだ。


 遺体は4体あった。どれも小柄で、指は4本、耳も無く、風船型に膨らんだ頭をしていて、全員銀色のジャンプスーツを着ていた。奇妙なことに、スーツの何処にもジッパーがなかった。


 もしこれが着ぐるみで無ければ、明らかに人間ではない……彼がもっと詳しく調べようとしたその時、ちょうど米国陸軍が到着し、周辺をあっという間に立ち入り禁止にした。


 バーネットは軍に「他言無用」の念を押され、即座に現場から退去させられた。



case.2 ロズウェル事件②


 1947年7月3日、同じロズウェル近郊、今度は①の事件から約200km離れたコロナの牧場で、管理人のマック・ブラゼルが広範囲に飛散する大量の金属片を発見した。


 一体これは何なのか? 

 そもそも何処から降ってきたのか? 

 ブラゼルも、街の誰も、謎の金属片の正体が分からなかった。


 やがて噂を聞きつけ軍が破片の調査を開始した。そして来たる7月8日、ロズウェル基地報道官ウォルター・G・ハウトによって歴史的発表がなされた。


『かねてより囁かれていた空飛ぶ円盤の噂が、昨日事実のものとなった』


 米軍が公式にUFOの墜落と回収を明言したのである(数時間後に、軍は「あれは気球の一部だった」と訂正した)。この仰天ニュースはアメリカは元より、世界中で大騒ぎになった。


 8日午前に軍に拘束されたブラゼルは、その後軍関係者に連れられ新聞社やラジオ局を回り、「あれは気球の残骸だった」と語った。


 しかし、だとしたら何故最初から気づかなかったのだろうか? 


 まるで人々の混乱を鎮めるかのように……あからさまに証言を変えたため、返って疑いも濃くなった。マックの息子で当時7歳のディー・プロクターは、

「ここで僕らは破片以外のものも見つけたんだよ」

 と証言している。破片以外のもの……つまり遺体である。父親の方はそれ以来、「気球説」以外には頑なに口を閉ざした。


 他にも軍関係者、医師、人類学者など多数がこのロズウェル事件について

「空飛ぶ円盤もグレイも真実である」

 と証言している。


 UFOが墜落したこと、

 異星人の遺体を陸軍が回収したこと、

 政府が箝口令を敷いたこと……米国政府最大の隠蔽工作として、この事件は今もなお語り継がれている。


 ※2021年6月25日、米国安全保障当局はUFOに関する調査報告書を議会に提出した。ペンタゴンが2020年に撮影されたUFO映像を「本物だ」と認めた後、アメリカに陸海空・沿岸警備隊・海兵隊……に続く第6の軍隊・『宇宙軍』が正式に発足。


 やはりアメリカはUFOの存在を隠蔽していた!(二宮による走り書き)


 さらに日本でも航空自衛隊内に宇宙作戦群が設置。当時防衛大臣だった河野太郎氏は「自分は正直UFOの存在をあまり信じていない」としながらも、自衛隊に「UFO遭遇マニュアル」を作成すると明言した。


 今やUFOは国会で大真面目に議論される時代となったのである。



case.3 メキシコ空軍のUFO遭遇事件


 メキシコは世界でも有数のUFO多発地帯である。2004年3月5日。ユカタン半島南西部のカンペチェ州上空にて、最新鋭のメキシコ空軍偵察機が未確認飛行物体を捉えた。


 初め検知されたのは2機だけだったが、やがて未確認の11機が、約15分に渡り、この偵察機に近付いてきた。レーダーと熱感知センサーで捉えられたこれらの飛行物体は、何故か熟練のパイロットたちに目視されることはなかった。


 見えない11機はレーダー上で消えたり現れたりを繰り返しながら、挑発するように急旋回したり偵察機を取り囲んだりしたという。


 メキシコ政府は一ヶ月半に渡り徹底的に調査を行ったが、この11機の正体は分からなかった。そこで政府は著名なUFO研究家であるハイメ・マウサン氏に調査を依頼、氏は最終的にこれらの機体を「エイリアンクラフト」の可能性が高いと結論付けた。


 国防省が資料を公開し政府が公式にUFOの可能性について発表する……この事件もまた、歴史に残る未知との遭遇になった。



case.4 甲府UFO事件


 1975年2月23日。山梨県甲府市上町の空き地で遊んでいた小学2年生の2人が、東の空にオレンジ色に輝く2つの物体を発見した。怪しげな光はフラフラと2人に近づき、頭上で停止した。下から見るとそれは円形で、底にくるくる回る謎の装置が3つ、ついていた。


 2人が慌てて近くの墓地に逃げ込むと、やがて光は飛び去った。しかし帰り道、葡萄畑でまたしてもオレンジ色の光と遭遇。よくよく見ると、大きさは直径約2.5m、高さ1.5mほどはある銀色の円盤だった。


 2人が立ちすくんでいると突然円盤からドアらしきものが前方に倒れた。中を覗くと、身長約130cmほどの異星人がそこにいた。銀色の服を着て、顔は茶色、口からは3本の牙が生えている。さらに小学生の1人は、異星人に回り込まれ、肩を叩かれた……。


 この少年たちの体験談を元に、後日現場検証が行われた。そこで驚くべき事実が明らかになる。


 現場から放射線が検出されたのだ。


 それも、自然界に存在するはずのない、2週間程度の減衰した残留放射能だった。つまりこれは、目撃現場で原子炉のようなものが稼働していたことを示していた。この事件は日本三大UFO事件の一つとして挙げられている。



case.5 介良事件


 こちらも日本三大UFO事件の一つ。1972年8月、高知県長岡郡介良で、中学生9人が小型のUFOを何度も捕獲した。目撃や遭遇どころか捕獲しているのだから、世界的に見ても稀有な事件である。手のひらサイズの円盤は何でもない田んぼで発見され、中学生たちは持ち帰って遊び道具にした(!)。


 火で炙り、底の穴に水を入れ、ハンマーで叩き……しかし不思議なことに、介良円盤は捕獲されるごとにいつの間にか消失し、元の田んぼに戻っているのだった。その後も捕まえるたびに消失していた円盤だったが、やがて9月29日に完全に消息を絶った。


 今で言うドローンの無人偵察機のようなものだろうか。当時の証言を元に作成された模型は、まるで灰皿か山高帽のようである。


 もしかしたら宇宙人が地球を調査するための無人機だったのかもしれない。因みに作家の遠藤周作は、噂を聞きつけ現地に赴き、

「別の惑星に住む存在が(介良のありふれた街並みに)興味を持つとは思えぬ」

「信じられるか、そんな話」

とは言いつつも

「こんな何でもわかったような世のなかでも、まだまだ珍妙にして不可解なことはあるもんだな」と締めくくっている。

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