プロローグ:未知との遭遇
「…なんだ、これ」
目の前に広がる光景を全くと言っていいほど理解を示すことができない。
現在、俺の眼前に存在しているそれは何の変哲もない平凡な人生しか歩んでこなかった自分にとってフィクションの中でしか見ることのない巨大なガラス製の円柱だった。
もっとも、その円柱の内部を満たしていた培養液らしき液体は円柱の中から飛び出したモノによってそのほとんどが円柱の外へと流れだし、それは驚きのあまり腰を抜かし倒れた俺のズボンを無慈悲に濡らしている。
円柱の中にいたソレにはそれぞれ五本の指を持つ四肢が存在し、その体には体毛の類は見受けられない。しかし、その頭部には黄金を彷彿とさせるほどにキラキラと輝く長い長髪が存在していた。
現実逃避のあまりもったいつけた言い方をしてしまった。訂正しよう。
――円柱の中から飛び出してきたのは、5歳ほどの小さな女の子だったのである。しかも真っ裸の。
彼女はこの研究所に初めて入ってきた人間が珍しいのか、自身の状況など意にも介さず腰を抜かした俺の姿をそのまんまるな目を見開きながらじっと眺めている。
とりあえず早急に服を着てほしい。こんなところを通りすがりの人に見られようものなら、お巡りさんのお世話になることは避けられないだろう。
脳のキャパシティを超える異常事態に放心し、その場から動けずにいる俺。
しかし、そんな姿をさぞ滑稽だと言わんばかりに高笑いを上げる女の足音が聞こえると同時に俺はようやく正気を取り戻すことができた。
「いやはや、君のことだからいい反応を見せてくれるだろうとは思っていたが、まさかこんなにもマヌk…面白い反応を見せてくれるとは。この私の頭脳をもってしてもわからないことはあるものだね」
「イヤミかこの野郎…!」
「こんな可愛らしい白衣の似合う天才美少女を捕まえて野郎だなんて、言うに事を欠いたとはいえひどいんじゃないかい?」
コイツ自分のこと天才美少女って言いやがった。
まぁ実際彼女は美人だ。プロポーションの整った体形に白衣はとても似合っているし、ハーフの象徴ともいえるキラキラとしたブロンド髪をたなびかせるその姿はまさにできる女という印象を受ける。
とはいえそんなことを言えば彼女をさらに調子づかせてしまう。彼女との付き合いは長いが、あそこまでムカつくドヤ顔を長時間見せられるのはいまだに苦痛なのだ。
「そんなことよりも、まずは説明責任を果たせ。この子はいったいなんなんだ。何が何だか全く理解できてないが、納得できる説明がなきゃ友人とはいえ躊躇なくお巡りさんに突き出すぞ!」
培養液の中に素っ裸の女の子、よく考えなくても明らかな事案である。その場合俺は彼女の数少ない友人としてそれを止めなければならない義務がある。
俺は己に不思議そうな顔を向ける少女に着ていた上着を被せるとそのままそっと背中に隠す。
しかし自称天才美少女はそんな俺のかませ犬を彷彿とさせる脅しにも屈することなく、むしろこちらに微笑みを向ける余裕まで見せている。
「もちろん、この場所に案内したのはこの私。なれば私には君の言う通りこの施設、ひいては彼女について事細かに説明する義務がある。…だがまあ、どこまでいっても圧倒的凡夫である君に理解できる程度でさらに正確に情報を伝えるとなると困難だ!だから、説明をする前に先に要点を簡潔に伝えようと思う!」
「なぁ、今の会話で俺を馬鹿にする必要あったか?」
「ない!」
元気があって大変よろしい。後で説教をくれてやる。
恨みがましく睨みつける俺の視線を意にも課さず、彼女はまるでステージに登壇するスターの様に円柱のある場所へと昇りそれを背にするようにして俺を見下ろす形となる。
そして、一度息を整えたかと思うと一点に向けまっすぐと指をさす。その指の示す先には俺の後ろからちらりと顔を覗かせる少女があったのだ。
「彼女は現段階で私に実現可能な科学のすべてをつぎ込んで作り上げたまさに愛の結晶!そして、私と君の遺伝子を組み込んだ私たちの娘というわけさ!」
彼女が高らかに宣言したその言葉は、俺の思考をさらに混乱の渦に叩きこむには十分すぎるものだった。
人間を、作った?それも科学的に?その少女には俺と彼女の遺伝子情報があって、つまり…
――見知らぬ間に、俺に娘ができていた?
長い付き合いの中で、彼女が引き起こす奇想天外な出来事に巻き込まれるのは一度や二度ではない。
しかし、これは想像の埒外にあるものだ。理解できないというよりは、思考することは自らの脳が拒絶していた。
「…パパ?」
やめてくれ、いくら彼女の言葉が真実だったとしても思考が追い付いていないんだ。そんなキラキラとした期待のまなざしも向けるのはやめてくれ。
これまで見たことのないほどのドヤ顔を見せる女、思考が追い付かず固まる男、そんな男に無垢な瞳を向ける少女。状況はまさしく混沌を極めていた。
いや、それでも何か言わなければ。どんなに意味の分からない状況でも理解を放り投げてはいけない。
息を吸い、固く閉ざされた口を強引に開き、俺は何とか言葉を絞り出す。
「…いや、なんも分かんねぇよ」
そんな俺の空虚な疑問符は、広大な地下研究室の壁に反響し霞のごとく消えていくのであった。
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